昨日、諦めるとか悟るとか書いて、そういえばこんな漫画があったなと思い出しました。


悟りパパ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)


元々インターネット上で公開されているもので、それを単行本にまとめた作品です。

悟りパパ(となりのヤングジャンプ)

「悟り」、ということで思い出しましたが、この作品の主人公である悟りパパは「専業主夫」でした。
妻が会社勤めで、ある日悟りを開いたパパが家事・育児を担い、一人息子で小学一年生の梵(ぼん)さんとの日常が描かれています。

悟りを開いているために物欲がなく、買い物に行っても「私は何もいりません」と何も買わない。
それだと、さすがに家族が困ってしまうこともあり(着ているものが古くなってきたとか)、家族が知恵を絞ってプレゼントを悟りパパに受け取ってもらったり。
ほのぼのとした日常ですが、その中に悟りパパが仏の教えを入れてくれます。

まぁ、漫画ですし、楽しんで読めば良いのですが、ちょっとだけ突っ込みを入れると
「会社は解脱できても、家族は解脱できませんから」
という発言があって、それを前提にこの物語があるのですが、本当に悟ったら家族も解脱出来るはずじゃ?と。

それを言ってしまうとさすがに物語の前提が崩れてしまいますし、それよりも、悟ったはずのパパが梵さんの願いで「第二子」を授かろうとするのか、そして実際に授かるのか、という点で、今後の話を楽しみにしています。
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2017.02.13 Mon l 主夫の本など l top
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【告知】「『主夫志望男子』と『働き女子』のためのハッピーワークショップ」を開催します!
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先日、「秘密結社 主夫の友」で顧問を務めて下さっている白河桃子さん(の著作の編集者経由で)から献本していただいたので、早速読んでみました。


(077)「専業主夫」になりたい男たち (ポプラ新書)


タイトルは以前の著作(『専業主婦になりたい女たち』)にリンクさせただけで、内容が全く伴っていないので、タイトルに期待して読むと肩すかしするかも知れませんが、とても読みやすい本でした。
「主夫の友」のメンバーやその配偶者、そして「主夫の友」の活動に関することも書かれていて、僕自身が知っている人たち、知っている事柄だから、ということも大きいのかもしれませんが、すらすらっと読めました。
まるで物語を読むような感じでした。

ですが、読んでいて、実際に白河さんとお会いしている中でも感じていた考え方の違い、「主夫」に対しての捉え方の違いも、本を通して以前よりは明確になったような気がします。
なので、その白河さんとの考え方、捉え方の違いということをメインに書いていきたいと思います。

「シュフ」はわざわざ「なる」ものなのか?

文中に出てくる僕の発言だと思われるものに対する白河さんの文章でも思うのですが、基本的にこの本は上に書いたように「まるで物語」です。
巻末に参考文献が一覧として載っているものの、その引用の仕方は「○○さんはこう書いている」という事であって、たとえば「社会調査の結果こういうことが言える(のではないか)」というようなものではありません。
つまり、白河さんの考え、結論に適したものを拾い上げてきて(それが主夫本人や配偶者の発言であれ、研究者の文章であれ)引用している、という方法なので、「こういう世界も(もしかしたら)あるのかもね」と「物語として」読むのは良いのですが、では、この本に書かれていること(たとえば主夫に適した傾向など)が、本当なのか、というと、この本を読む限りは分かりませんし、僕としては「本当にそうなの?」と疑ってしまうところがありました。

その代表的なものは「主夫に「なる」納得出来るきっかけが必要」というものです。
後述しますが、白河さんはカテゴライズするのが好きなようで、「主夫に向いている人はこういう人」だとか、「現在主夫の人は6つに分けられる」、というようなことを書いています。
なので、その白河さんの中にあるカテゴライズというか主夫としての物語が合致する人は取り上げられているのだけれど、カテゴライズや物語に合致していない人はスルーされていると感じました。

そもそも、「シュフ」(男女とも)って「なりたいと思ってなる」ものなのでしょうか?
共働きでも、今の日本の社会では女性の方が育休や時短を取りやすかったりするので(もちろんこれが良いことだと言うわけではなく)、勤め先による時間的拘束が多くの場合男性より少なくなるので、家事や育児を費やす時間が多くなり、それが続いていった結果、女性が兼業主婦になるのでしょう。
専業主婦の場合も、結婚や出産という契機に仕事を辞めることによって専業主婦になるわけで、それは「シュフになりたいからなる」のとは全く違うものです。

女性の場合は「主婦に向いている人」や「主婦の人は6つに分けられる」というようなことを考えることはないのに、何故男性がその役割を担う場合には「その役割に適しているかどうか」ということや、「現在のシュフとしての役割、生き方をどのように受容しているか」をカテゴライズされなければならないのでしょうか?

「シュフになる」というのは、大学などの高等教育機関を卒業する時に「就職する」ということと同じようなものだと僕は思います。
別にそれは「なりたいからなる」ものでも、「向いているからなる」ものでもなく、「そういうものだからなる」だけです。
自分に向いているかなんて全く分からないけれど、みんながやっていることでもあるし、卒業しても何もせずに暮らすわけにも行かないので、就職活動をして、(中には自分がなりたかったり、最初から希望していた企業などに就職する人もいますが)たまたま内定をもらえた企業などに就職するのです。

殆どの人は「自分に何が向いているか」とか「自分が希望するから」という理由で就職はしていきません。
そんなことをもし言っていたら、ミスマッチが起きすぎて、ただでさえ正社員になれない世の中なのに、もっと正社員として就職出来ない人が出て来ます。

だから、「主夫」になったきっかけがさも感動的な話だったり、みんなが納得出来るような話であることに、「本当に女性も男性もみんなそんなストーリーがあってシュフになるの?」と思ってしまうのです。
我が家で、僕が主夫なのは、「僕の方が家事・育児に費やせる時間があるから」です。
男女問わずの社会的調査の結果などがあれば良いなと思うのですが、多くのシュフはそんなところなのではないか、というのが僕の実感です。

「男は~」とか「女は~」とかいう固定観念に縛られているのは誰なのか

上でも少し触れましたが、白河さんは何かをカテゴライズしたり、そこに人を当てはめたりするのがお好きなようです。
たとえば、主夫の妻4人との座談会のまとめでこんな文章がありました。

奥さまたちに会って分かったこと。みな「仕事が大好き」「楽天家」「オトコマエ」「休めないマッチョな業界や役職にいる」という共通点がありました。


このあとに続いて、上に書いた「主夫に向いている人」の条件のように、「大黒柱妻の条件」を書いています。
同じ文脈ではないのですが、このような「主夫に向いている人の条件」や「大黒柱妻の条件」などのような、何かの条件を満たすことによって主夫が可能になるというような考え方には、夫が会社を辞め、家族とオーストラリアに移住したフリーアナウンサーの小島慶子さんとの対談で小島慶子さんが指摘した言葉が一番的を射ていると思いました。

(働きながら母親をしていることに感じていた後ろめたさがなくなったのは)なぜならば、今は私が働いていないと、子どもが飢え死にするから。前は、働いてなくても、子どもは飢え死にしませんでしたから。


これは、大黒柱妻にも当てはまるのではないか、と思うのです。
大黒柱妻になったのは、何かの条件を満たしているからではなく、「自分が働かないといけなかった」というそれだけのことでしょう。

なぜそのような状況になったのかは、(多くの場合は夫の病気なのですが)その家庭それぞれですが、別に何かの条件を満たしていたから、そして相手(夫)が主夫に向いている条件を満たしていたから、主夫家庭になったわけではないでしょう。
もし、主夫やその妻に同じような傾向があるとしたら、それは家庭や社会で同じような役割を担っていることによるものとも考えられるのですが、それについては全く指摘がされていません。

僕が読んでいて、一番気になったのは、最終的に「各家庭で一番最適な働き方、生き方をその都度話し合って実践して行ければ良い」「多様な生き方があって良い」という結論があるにも関わらず、カテゴライズすることによって、何かしらの「前提」が生み出されていることでした。
上述しているようなカテゴライズや「向いている人の条件」などもそうなのですが、「男はこうだ」とか「男はこういう傾向がある」、あるいは「主夫の仕事量や質は育った家庭(特に母親)の影響が強い」というようなことが書かれていると、何故そんなことにとらわれているのだろう?と思ってしまいました。

僕の育った家庭は、専業主婦家庭で、父親は家事を一切やりませんでしたが、別にそれを反面教師にも教師にもしませんでした。
父は父であって、僕ではないし、母も母であって、僕ではないからです。
僕が主夫になったのは、結婚した時にツレが働いていて僕が学生だったからで、そして、その後フルタイムで働けると思っていた僕にいろんなアクシデントがあったので、仕事よりも家庭を中心にした生活を送るようになったからです。
それは母親の影響でもありませんし、父親の影響でもありません。
ツレとそして子どもとの生活を送る上で僕の最適な役割は何かと考えた結果です。

妻より収入が低いことを嫌がる男子中学生の話

でも、こういう「男はこうだ」とかいう考えは僕が思っているよりも根深いんだな、と実感する出来事がありました。
先日、僕がお弁当箱を洗っていた時の出来事です。
僕が昼休みにお弁当箱を洗っていると、男子中学生3人が話しかけてきました。

中学生「先生、また弁当箱洗ってるんですか?奥さんの手作りですか?」

僕「違うよー、自分で作るんだよ。奥さんのも僕が作ってるし。」

中学生「えっ?先生が奥さんのも作ってるんですか?」

僕「そうだよ。ごはんは基本的に僕が全部作ってるよ。」

中学生「ああ、そういえば先生、主夫でしたもんね。じゃあ、奥さんは何やってるんですか?」

僕「お金稼いでるよ、たくさん。」

中学生「奥さんの方が稼いでるんですか?」

僕「そうだよー、僕の何倍も稼いでるよ。」

中学生「それはイヤだな…

大体こんなやりとりがありました。
昼休みにお弁当箱を洗っていると話かけられて、「お弁当は誰が用意しているのか」とか「誰が食事を作っているのか」というような話をすることはこれまでもよくありました。

でも、今回印象的だったのは妻(=女性)の方が沢山稼いでいるということに明確な拒絶感を示したことでした。
僕はこのあと、彼らに「男は女よりも稼ぐもの」という思想を誰が植え付けたのか、どこで習得したのかが気になってしまいました。
まだ中学生なのにこういう考え方を持っていたら、大人になった時どうなるのでしょうか。

もちろん、どういう考え方の人がいても尊重しますが、「○○はこういうもの」というような、ある程度固まってしまった考え方を早い内から持つことはその後の生き方を狭めてしまうような気がします。
それは男女の性に関わることではなくても、人種、年齢、国籍など様々なものに置き換えることが出来るからです。
「○○人はこういうもの」「○○歳の人はこういうもの」「○○国はこういうもの」…。
実際の人間はもっといろんな人がいて、出会えば出会うほど、「○○は~」というような言い方が出来なくなってきます。

こういう「○○はこういうもの」というような価値観をなるべく揺らがせようということで、「主夫の友」の活動に僕自身は関わっているので、これからどういうアプローチが出来るのか、考えて行きたいと思いました。
2016.02.26 Fri l 主夫の本など l top
水木しげるさんが亡くなったという知らせを受け、水木作品をもう少し家に置いておいても良いかも、と思い本屋さんに行ったら、また新刊が出ていました。
これで三ヶ月連続出版ということになるようで、前回までの10巻、11巻は「薄くなった?」という印象でしたが、今回の12巻は「また戻った?」という印象でした。

ちなみに、水木しげるさんの作品で手元にあるのは『総員玉砕せよ!』で、冒頭から始まる慰安所に並ぶ兵士たちの話にショックを受けたのを覚えています。
水木さんの訃報に際し、妖怪もそうですが、やはり戦争に関する作品もとても重要だという意見を読み、他の作品を探しましたが、残念ながら書店にはなく、ネット書店でもどこも在庫なしや発送まで数週間という感じだったので、読むことは出来ませんでした。


コウノドリ(12) (モーニングコミックス)


さて、水木しげるさんのことをつらつら書いてしまいましたが、今回は『コウノドリ』です。

今回のテーマは【妊娠高血圧症】、【アレルギー】、【転科】というものになっています。
今まで読んできた流れの中で重要な転換としては下屋医師の転科ということになるのでしょうが、読んでいてもやもやを感じたのはこの転科に関してです。

なぜなら、患者さんと胎児が死んでしまう、ということが起きたからこそ、下屋医師が転科を考えることになるのですが、下屋医師に焦点が当たりすぎていて、患者さんと胎児という家族2人を亡くした夫の気持ちやその後の生活について全く触れられていなかったからです。
医師の物語でありながら、患者や胎児、赤ん坊の物語でもあるというところに魅力を感じていたので、家族を突然2人も失ってしまった夫の悲しみが一切触れられていない、ということにもやもやとした気持ちが残ってしまいました。

また、転科ということに関しては、医師の世界についてはよく分からないのですが、「こんなに簡単に転科できるものなのだろうか?」と思いました。

教員と違い、医師の場合は医師という免許なので、専門以外の科を受け持つことも可能なのかも知れませんが、教員で言えば小学校の免許であれば、(特別な場合を除き)中学校、高校では教えられませんし、同じ中学でも数学の免許しかない者は(特別な場合を除き)社会を教える事は出来ません。
まぁ、それが良いのか、悪いのか、という判断をしようということではないのですし、作品中でも転科の難しさが描かれますが、それでも「そんなに簡単に転科ってできるものなの?」と思ってしまいました。

街にある個人病院でいくつも科を掲載している病院ほど「この医師の専門は結局何?」と思ってしまう自分なので、思ったことなのかも知れませんが…。
2015.12.05 Sat l 主夫の本など l top
つい先日、『コウノドリ』10巻について書いたばかりだったのですが、TVドラマの影響からか、毎月新刊を出すようになったようです。


コウノドリ(11) (モーニング KC)


Amazonのレビューで低い評価をしている人たちは、大体「薄くなった」ということを指摘していて、刊行スピードを上げたために、収録される作品数が少なくなった、ということのようです。
その分、コミックの値段が下がったか、というと、そういうわけでもないので、レビューが低いようです。
まぁ、出版社としては、ドラマの放送にあわせて、沢山買ってもらいたい、という狙いなのでしょうが。

と、掲載されている内容についてではないことを書いてしまいましたが、掲載されていた話は、先日のドラマにも出て来たものもありました。
一応、ドラマも観ているのですが、「こんなエピソードあったっけ?オリジナルかな?」と思って観ていたものは、コミック由来のものだったようです。

今回の11巻に載っているテーマは前回に引き続き【長期入院】、【フルコース】、【未熟児網膜症】というものです。
特に僕にとって新鮮(?)だったのは、【未熟児網膜症】の中で指摘されている、小児科(特にNICU)と眼科がきってもきれない関係があるというもの。

次男S(6歳)とムスメM(4歳)が小児眼科にかかっていますが、大学病院にもかかわらず、小児眼科医が少ない理由と、いつもいつも小児眼科が混雑している理由が分かりました。
2015.10.30 Fri l 主夫の本など l top
月ごとに書いている前月に読んだ本についての記事だと書き切れなさそうなので、この本だけで感想を書いてみたいと思います。

最近、新聞で見かけたり、育児系のネットメディアで見かけていたけれども、著書を読んだり、書かれているものをちゃんと読んでいなかった、水無田気流さんの著書です。
本屋さんで見かけて、タイトルで興味が沸き、読んでみました。


「居場所」のない男、「時間」がない女



本のタイトルからして、「エッセイ」なのかな、と思って読み始めたのですが、水無田さん自身が社会学者ということで(社会学者としては田中理恵子という名を使っているようですが)、過去の調査結果から、日本における男性と女性がどのような状況に置かれているかを明らかにしていきます。
それが、タイトルの「『居場所』のない男」と、「『時間』がない女」です。
取り扱う年齢層は幅が広いものの、視点としては、「子育て」を中心にしています。

男性がいかに「居場所」がなく、女性がいかに「時間」がないか。
様々な研究者の調査結果を総覧する感じで書かれているので、日本における状況がどのようなものなのかを把握するのはとてもわかりやすい様に思いました。
参考文献も明記されているし、この点は、大学で非常勤講師をしている研究者ということが分かるものでした。

また、著者が様々な調査結果から導き出した、「高齢者による子ども(と主に母親)への苦情」(たとえば「子どもの声が【騒音】である、とか、ベビーカー論争だとか)の急増が、団塊の世代が家庭と地域に現れた時期とリンクするという指摘は、とても納得の行くものでした。



が、単に様々な研究者の調査結果を基に、日本における男性がいかに居場所がないか、女性がいかに時間がないか、ということを、特に結婚や子育てということを中心に見たときに、どのような状況にあるのか、ということを総覧し、その現状をいかに打破すべきかという提案をしている(いわば学術論文のような)ものだったら、とても良かったのですが、この本にはそれ以外のことも書かれています。

それは、著者自身の子育てを巡る状況です。
たとえば、次のような文章が「女性がいかに時間がないか」というテーマの中で語られます。

 私の仕事は、先述したように子どもが2歳くらいまでは大学よりも専門学校の講義のほうが多く、時間帯は主として夜6時から10時くらいであった。たとえ日中保育所に入れられても、夜間保育も別途手配しなければ対応できない。結局子どもが乳児期に一番利用したのは、夜10時まで預かってくれる近所の公営一時保育所だった。もっとも、これも小学校入学と同時に使えなくなってしまった。
 私のように、不規則な仕事の多いフリーの物書き兼非常勤講師掛け持ち就業者は、土日や夜間に突発的に仕事が入ることが多い。これまで、私は都内の一時保育所マップを自分の頭の中にたたき込み、「どの場所の仕事でこの時間帯ならここ」というのを組み合わせ、綱渡りのように仕事を続けてきた。それが、子どもの就学と同時に白紙になってしまったのである……。



仕事を持つ女性にとって、子育てや家事はその仕事量の「純増」でしかない(男性はやらないので)という指摘は調査結果からも明らかですし、水無田さんの置かれている(置かれていた)状況が特殊ではないことも分かります。
そして、本当に困難な状況なので、何とか変えていかなければ、と僕も思います。

しかし、これらの文章で気になるのは、「パートナー(夫)」の存在です。
オランダの状況について詳述し、「ワークライフバランス」や「ダイバーシティ」の重要性を説き、日本でも変えていくことは可能だ、と述べる中で、不思議なことに著者のパートナーについてはほぼ触れられません。

結婚するのも、子どもを授かるのも、著者だけが望んだから可能になることではありません。
パートナーがいるからこそそれらは実現できるもので、非常勤講師という育休・産休も取れない非常に不安定な状況にあることは、パートナーも十分に分かっているはずです。
そして、女性が仕事をしながら子育てをするのはかなり大変なので、男性も変わっていかなければならない、と書いているにも関わらず、著者は結局自分(女性)だけで子育ても家事もしながら仕事をしています。

(読んでいる途中で、「離婚したのかな?」と疑問が沸くくらい、パートナーの存在が出てこなかったのですが、最後の謝辞で一応夫が出てくるので、離婚はしていないようです。)


目の前にいる人が変わらなければ社会は変わらない


これは水無田さんだけではないのですが、女性たちが「社会が変わってほしい」ということを書いているときに、時々感じる違和感と同じです。
それは、「夫に期待出来ないものを、社会に期待している」ということです。

家事・育児について「もはや夫には何も期待していない」という女性の多さは、著者が示している各種調査からも明らかで、そのような心境に至ってしまうことは理解出来ます。
でも、目の前にいる人に何も期待していない、ということは、つまり、その状況を認め、受容しているということに他なりません。
それなのに、社会には変わって欲しい、というのは矛盾しているように感じるのです。

「他の男性には変わって欲しいが、目の前にいるパートナー(夫)は変わらなくても仕方が無い」と言っているということだと思います。
ここに僕は(多くの)女性たちの意見に違和感を感じるところです。

変わらなくても仕方が無い、と、男性が家事・育児をしないことを認めているのも女性であり、同時に家事・育児をちゃんと応分にやってくれ、と迫っているのも女性なのです。
しかも、その意見が同じ人から発せられているのです。


社会は目の前のことから変わっていく


僕が子育てをするようになった時と今とで全く変わった風景があります。
それは、平日昼間に乳児を連れている男性が増えた、というものです。
長男T(8歳)がまだ乳児だったとき、僕がベビーカーに乗せて歩いたり、スーパーに買い物に行くと、それだけで奇異な目で見られました。
一時期通っていた近所にあった子育て支援センターでは、スタッフの方には腫れ物を扱うように接せられたのを今でも鮮明に思い出せます。
でも、それからおよそ8年経った今、僕が買い物をしていると、乳児を連れた男性を毎日必ず目にするようになりました。

今では、(少なくとも僕が住んでいる地域では)平日昼間に乳児を連れた男性がいても、それだけでじろじろ見られるようなことはありません。
8年前の状況とは明らかに変わりました。
どのようにして変わったのか。
いきなり、突然変わったわけではありません。
少しずつ少しずつ、1人1人が平日昼間でも乳児と過ごすということを繰り返し、積み重ねて来たからこそ、今では珍しくない状況になったのです。

社会が変わるべきだ、と主張することは大切なことです。
だけれども、目の前にいる人が変わらないのに、目の前のことを変えようとしないのに、社会が変わることはありません。
目の前にいるパートナーが家事・育児を主体的に行うようになり、その「目の前にいるパートナー」が積み重なったとき、「社会も変わった」となるのだと思います。

どんなに諦めそうになっても、もはや期待出来ないと思っても、目の前にいるパートナーに変わることを求め続けない限り、「家事・育児を応分に担う男性が一般的になる社会」はいつまでも現れないように思います。


蛇足

最後に、内容ではなく、文章の書き方がちょっと気になる点があったので、それについてです。

内閣府の2013年版「男女共同参画白書」によれば、総合職として採用された社員の10年後で女性は7割が離職し、管理職に昇進したのはたった1割だ。一方、男性は4割が管理職に昇進し、離職は3割。この差は大きい。



先に述べている女性は、「離職」→「管理職」となっているのに、そのあとに述べる男性は「管理職」→「離職」となっています。
さらっと読んでいると、僕は混乱してしまうので「離職」→「管理職」という順で書いたなら、続く場合は「離職」→「管理職」と書いた方が読みやすいように感じます。

まぁ、これは個人の読みやすさの問題かもしれませんが。
2015.10.24 Sat l 主夫の本など l top
ツレがもう出産することはないだろうなぁ、と思いつつも、新刊を本屋さんで見つけて買って読んでしまいました。


コウノドリ(10)


まぁ、【自分にこれから起きること】ということよりも、もう単純に面白いということで読んでいます。

今回は、テーマとすると【無痛分娩】と【長期入院】というものでした。
無痛分娩というのは、僕たちには無縁の存在だったので、もちろん名前は知っていたものの、中身を(僕は)全く知らなかったので、どういうものなのか分かって良かったです。
当たり前のことですが、麻酔でコントロールするということは、専門の麻酔医が必要な訳で、妊婦が「痛いのイヤだから」とかそういうノリでは無理なことが分かりました。

それと、これは【無痛分娩】と直接関係がないかも知れませんが、「痛い思いをしたからこそ母性が育まれる」とか、「帝王切開だと母乳がちゃんと出ない」とか、そういうことを本気で信じてしまっている人もいて、僕なんかは(男性ということもあるのかも知れませんが)「やれやれ」と思うくらいですが、妊婦さんの中にはそういう言葉がものすごくプレッシャーやストレスになっている人も現にいるんだろうな、と思います。

そして、長期入院。
子宮口(?)の厚さが短いということで突然2ヶ月以上の入院を突きつけられた、妊婦さんとその家族(夫と子ども2人)のドタバタです。
産婦人科医が「ファミサポ(ファミリー・サポート)を教えるだろうか?(というかそもそもファミサポをどれくらい知っているのだろうか)」という疑問は沸いたものの、妊娠・出産に関してじゃなくても、日頃から家事・育児を分担することは大切だよな、と我が家だとツレに、世間だと男性方に申し上げたいところです。

日頃から家事・育児を担っていないと、そもそも【手加減】ってこと自体が出来なくなってしまうんですよね。
いきなりパートナーが長期入院なんてことになってしまったら、ちょっとくらい他の人の手(今回だとファミサポや食事の惣菜など)を入れることは当然しないと回らないだろうけれど、そもそもその【他の人の手】というもの自体を知らなかったり、そんなことをしていいのか?と思ってしまったりしてしまうんだろうな、と。

最後に、今週からこの『コウノドリ』のテレビドラマが始まるそうです。
主演の俳優があまり好きではないということや、日本の民放のテレビドラマは殆ど観ていないので(特にゴールデンといわれる時間帯のものはほぼ)、正直あんまり観る気はなかったのですが、巻末のおまけ漫画を観て、観てみようかな、という気持ちになりました。

とりえあえず、今度の金曜日の第1回の放送は観てみようと思います。

金曜ドラマ『コウノドリ』(TBSテレビ)
2015.10.14 Wed l 主夫の本など l top
先日、ハフィントンポストのこの記事を読みました↓

17歳のアルバイトは、中絶された胎児の処置だった――漫画家・沖田×華さんが描く、産婦人科の光と影

紹介されている沖田×華さんといえば、アスペルガー症候群ということを公にしていて、その作品(たとえば『ニトロちゃん~みんなと違う、発達障害の私~』)で知っていました。
僕が割とよく観ているハートネットTVでも特集がありました。

ブレイクスルー File.6 弱点を笑い飛ばす 発達障害の漫画家・沖田×華(ハートネットTV)

と、そんな前置きをしつつ、このハフィントンポストの記事を読んでみると、紹介されている漫画にとても興味が沸きました。
いつも読んでいる『コウノドリ』もとても良い作品ですが、産婦人科医の話だけあって、出産すること、出産したあとのことに焦点が当たっています。
それはそれで良いのですが、僕が気になっていたのは、年間18万件以上にも及ぶ人工妊娠中絶の数です。

(もちろんいろんな事情があると思うので、人工妊娠中絶そのものを否定しているわけではありませんが)子どもの数が少ない、100万人を切りそうだ、という報道がされている中で、その20%近くにもなるような数の人工妊娠中絶が行われているわけです。

何故それを扱わないの?と以前からずっと思っていました。
そんな中で、この記事を読んだので、すぐに読んでみたくなりましたが、残念ながらネット書店などではどこも数週間の入荷待ち状態。
半ば諦めつつ、近所の比較的大きな本屋さんに行ってみたら、ありました。


透明なゆりかご(1)


作者は細部にこだわったり、緻密な絵を描く人ではないので、中絶によって取り出された胎児(と呼んで良いのかどうか…)にリアルな描写で迫ってくることはありませんが、ピンセットでつまむ様子や、ケースに入れる様子、しかも、それを行っているのがまだ17歳の高校生ということに非常にリアルさを感じました。

僕は男性だからか、あんまり中絶をしたという人の話を聞いたことは殆どありませんが(数人はいますが、もっと多いんじゃないかと思っています)、女性にとっては身近な話なのだろうな、と思います。
この漫画の中でも中学の時の友達が妊娠し、中絶しに行く様子が描かれていますが、そういう話なのだろうな、と思います。

それは毎年18万以上という数からも分かるように思います。

まだ1巻目なので、今後の展開がどうなるのかは未知数ですが、高校生などが性教育的なものを学ぶ時にも良い教材(って堅い言い方ですが)になりそうな感じです。
2015.07.29 Wed l 主夫の本など l top
ちょっと忙しい時期に入っているということもあるのですが、なんだか気候のせいか、全く眠れない日があったりと、かなりモチベーションも体力も落ちています。
ということで、最近、絵本やら映画やらのことばかり書いていますが、今日は漫画です。

現実逃避的に読んだ漫画だったのですが(Kindleでポイント還元セールをやっていたので)、思いの外良かったです。


逃げるは恥だが役に立つ(1)


今は5巻まで出ているようで、3巻あたりからはかなり恋愛要素が強くなっていって、それはそれでとても面白いのですが、シュフ的に面白かったのは、「契約結婚」という話です。

主人公が、大学院を出たのは良いけれど、院を出たばっかりに、ろくな仕事には就けず、なんとか派遣で働いていたらそれも着られてしまう、という、かなり同じような境遇を体験しているので、その設定自体、かなりの親近感を感じました。

が、それは置いておいて、とりあえず何か働かなきゃということで、家事代行業をやることになった主人公が成り行きで(家事代行業を続けるために)契約結婚するという話です。
結婚と言っても、事実婚状態なので、入籍とかはしないのですが、契約内容は家事を代行する、というものです。

この話、恋愛の話に発展していくものの、【家事は労働か】とか、【家事に相応しい賃金とは】という、シュフにとっての永遠のテーマとも言うべきものをさらりと(深刻にならずに)盛り込んできます。

3巻あたりからは、恋愛の話にシフトしてきてしまうような感じなので、この【家事とは何か】的な話が少し薄れてきてしまうものの、まさかこういう漫画があるとは、ととても面白い出会いでした。

結婚していて、金銭が発生しないから、ストレスが溜まっていきますが、この漫画のように周囲には結婚しているかのように振る舞っていても、実は家事代行をしている、というビジネスとしての付き合いだったら、家事をしていてもこんなにストレスが溜まらないんだろうな、と思います。
一度こういうのを試してみたいけれど、まぁ、我が家は無理なんでしょうね…。
2015.07.13 Mon l 主夫の本など l top
先日、『きのう何食べた?』を本屋さんで買った時に、こちらも新刊が出ていたので買いました。


コウノドリ(9)


今回はなんというか【重い話】は殆どありませんでした。
たとえば、「障がい」とか。

裏表紙に載っているテーマでは、【研修医】、【インフルエンザ】、【出産予定日】となっていました。

その中で僕が面白いな、と思ったのは、【出産予定日】です。

我が家の子どもたちは長男T(8歳)を筆頭に、次男S(6歳)も2週間から10日くらい出産予定日よりも早めに産まれてきました。
上の2人がそんな感じだったので、ムスメM(3歳)も早めに産まれてくるのかな、と思っていたら、(なかなか産まれてこず)出産予定日ちょうどに産まれてきました。

ツレも僕も、「出産予定日に子どもが産まれてくる」と勘違いしたことはありませんが、「赤ちゃんは出産予定日に産まれてくると思っていた」というのは結構耳にする話です。

この話を読んでいて思い出したのは、(漫画とは全く関係がありませんが)国内現役最高齢助産師である、坂本フジヱさんのインタビュー記事です。

【坂本フジヱ】「男と女が同じなら、そらセックスもせん」(日経ビジネス)

この中で良いなと思った言葉をいくつか引用してみます。

 私は古い人間ですから、昔の考え方が強いんやと思います。今の方は皆さんお産をものすごく大仰に考えている。ご飯食べて、うんこして、寝て、起きてという生活のその一コマでお産があるとは思っていないんです。でも当たり前ですけど、大昔、病院のない時代から人間はずっとそうしてきている。何万年と、自分の体のプログラムに沿って、みんな生まれてきたんですよ。


 でも、生きるための根本の力が欠けていれば、それはそれまでの命です。それまでの命の子供は絶対に息はしませんよ。そのまま死んでいく。

 今の人たちはそんなの考えられんでしょう。でも人の命というものは、生まれたらあとは死ぬしかないんです。何歳で死ぬかは自分も誰も分かりませんよ。私も3人目の子を流産しましたけれども、いつかは必ず死ぬということが、人間の体に必ず起こってくる出来事です。こればっかりはどうしようもない。


子供というのは神の意思でなかったら、なかなか授かれんです。それを「やっぱりもうちょっと楽しんでから結婚しようか」という人が増えたでしょう。子供も「つくる」って言うようになりましたね。でも年いってからあわてて子づくりしても大変ですよ。



子どもを「つくる」という表現が一番端的に表していると思いますが、命をコントロールしようということや、コントロール出来ると思っている人たちが多くなっているのではないか、と思っています。
だから、出産予定日も子どもが産まれてくる日だと信じ込んでしまっている。

これは、命が生まれてくるということだけではなく、死んでいくということとも同じなのですが、僕は小さい時から割と身近な死を見てきたからか、他の人と感覚が違うな、と思う時があります。
最終的には「生きてりゃ死ぬだろ」と思うのですが、そういうことを言うと「冷たい」とかそんなことを言われることもしばしばです。

もちろん、突然の死に驚き、悲しむことはありますが、それに意味づけをしたりすることはありませんし、コントロールしようとも思いません。
最近の話題で言えば、心臓の病気を抱えている小さな子どもの【心臓移植】をアメリカで受けるために2億円とかそんなお金を募っている友人たちを見ても心が動かされることはありませんでした。

それは、
・お金を集めれば助かり、集められない人は死ぬという経済論理が強く影響していること
・【心臓移植】ということは【脳死】の人がいるということ
なども非常に気になるからですが、一番はなんと言っても、誰しもがいつか死ぬんだから、そこまでする必要があるのか、ということを思うからです。

「自分の子どもでも同じ事を言えるのか?」という批判が来るでしょうが、どんな問題でも(たとえば犯罪被害など)冷静な時に考えるということが必要だと思っています。
もし、自分の身に起きた時に、客観的に考えた時と全く違う考えになったのなら、その差が何故生まれたのかを考えなくてはいけませんし、違いがないのなら軸が通っていたということにもなるのではないかと思います。

話が大分ずれてしまいましたが、こんなことを思い巡らすことが出来るきっかけを与えてくれるので、とても良い漫画だなといつもながら思います。
2015.06.28 Sun l 主夫の本など l top
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【告知】7人の主夫でパネルトークします。
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先日、ふといつも使っている駅の改札付近にある小さな本屋さんの陳列棚の方を見てみたら、いつも読んでいる漫画の新刊が出ていました。


きのう何食べた?(10)


内容については以前書いたことがあるので(「よしながふみ『きのう何食べた?』」)割愛します。

この漫画を読んでいるのは、僕の料理のモチベーションを維持するためだったり、料理のレパートリーを少しでも増やそうという意図からなのですが、今回は珍しく(?)子育て話が少しありました。
ゲイカップルの話なので、赤ちゃんや子どもといったものが身近な存在ではないのですが(むしろ今回は親の老い、介護系の話が多め)、少しだけ触れられていました。

もちろん、メインテーマは「食」なので食事中の話題として出てくるだけなのですが、
・保育園に入園させるのも難しい。
・1歳児で入園したものの、入園してからの3分の1くらいは病気で休んでる。
・病児保育も当日予約はできないので、祖父母にかなり頼っている。
と、こんな話題がさらっと出て来ていました。

認可保育園に入園するのが難しいという話題はもうかなり長い間大きな関心事になっていますし、毎回待機児童がらみの話題は新聞などでも大きく取り上げられているので多くの人に知られていると思います。

それに比べると、【入園したあと】のことというのは殆ど知られていないように感じます。
この漫画では「最初の1年は病気を沢山もらうけど、そのあとは免疫もついて減っていく」みたいな表現がありますが、僕の経験だと、そんなに楽なもんじゃなかったような、という感じです。

病気には季節のはやりもあって、1度かかったからもうかからないという病気ばかりではありません。
それに、我が家だと、子どもが3人いるので、1人が病気にかかって、やっと保育園(or小学校)に通えるようになったと思ったら、もう1人の子にかかり、その子も回復したと思ったら、最後の1人がかかってしまった、ということがありました。
振り返ると1ヶ月間ずっと同じ病気に振り回されてたな…、と。

それでも、(少しずつ変えようとしている人たちもいますが)病児保育の利用のしにくさや、自分の親に頼らなければとても共働きを維持できないという現状をあくまでもさらっと書いているのは好印象でした。

子育てがメインのものではないので、この話題に深く突っ込んでいくことはしないけれど、現状をちゃんと把握しつつ、それを周知しているのはとても良いな、と思います。
2015.06.24 Wed l 主夫の本など l top