先日、ムスメが通う保育園のクラスの懇親会がありました。
休日のお昼過ぎから2時間ほどを、区内にある植物園で、プログラムはないものの、一緒に過ごす、というものでした。

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先週末は東京でも30℃近くあったので、とても暑かったですが、天気が良くて日陰もたくさんあり、芝生なので、気温ほど暑く感じる事なく過ごすことが出来ました。
参加者は、23人のクラスの内、欠席が3人。
子どもたちが20人に、父親だけで来ていたのが僕含め2人、両親と来ていたのが7人、他は母親と来ていました。

プログラムは特になかったので、近くにレジャーシートを敷きつつ、それぞれ自由に2時間を過ごしていました。
子どもたちは、休日に保育園以外で遊べること、それ自体が楽しいようで、走り回ったり、ボールやフリスビーで遊んだりしていました。
母親たちは、主に母親同士でおしゃべり。

父親は?

父親は、半数が母親を含めたおしゃべりの輪に加わり、半数は子どもたちを遊んでいました。
僕は、ムスメを中心にしつつ、他の子たちと一緒に、持ってきたボールやフリスビーで遊びました。

屋外でのこうした複数の家族が集まっての懇親会やピクニックなどの活動は今までも何回か経験があるのですが、今回助かったのは、父親が(母親ほどではないですが)それなりにいたことです。
父親がそれなりにいて、しかも、その中で何人かは子どもたちと一緒に遊んでいました。
これが僕としてはとても良かったというか、助かりました。

なぜ父親が何人かいて、子どもと一緒に遊んでいたのが良かったのか。
それは、子どもの様子をみている大人が何人かいたからです。
一緒に遊んでいるはずが、ちょっとしたきっかけで子どもたち(特に今回は男の子たち)がケンカを始めるということが2時間の間に何回も起きました。

その様子を複数の大人がみていたことで、ケンカを始めそうな時にそれ以上発展しないように声をかけたり、暴力を振るうケンカになってもすぐに止めることが出来ました。

何回かとっくみあいのケンカにまでなっていたものの、母親の中にはおしゃべりに夢中で、自分の子どもがケンカをしていたことに気づいていない人も何人かいました。
僕は「一緒に遊ばなくても、せめて自分の子どもがどこで何をしているかくらいは見ていてくれよ」、と思ってしまうのですが、今までは父親の参加者が少ないので、僕だけが複数の子どもたちを見ている、ということもありました。

でも、今回は何人かの父親たちが(きょうだい含めると)20人以上いる子どもたちを見ていたので、複数の目で何人かの子どもたちを見ることが出来ました。
これは、ケンカのような事態を事前に防いだりすると言うことだけでなく、何人か大人がいると、「一緒に遊ぶ」ということに関しても、20人以上を一斉に見なくてはならない、ということもなくなるので、その分子どもたちとちゃんと遊べるということでもあります。

僕はおしゃべりは苦手ですが、何人か父親が参加してくれると、やっぱり良いな、と思いました。
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2017.05.26 Fri l 日々雑感 l top
先日、子どもたちの習いごとに付き添って観覧席にいたら、目の前に座っていた女性3人組が話している内容が耳に入ってきました。

それは、

「(幼稚園児くらいの年齢の)子どもが他の子に暴力を振るわれ、やり返そうとしていたので、『やり返しちゃダメ』と言ったら、『なんで?やられた方は一方的にやられて我慢しなくちゃいけなくて、やった方はやりっ放しなの?』と反論された」

という話でした。

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この子どもからの反論に困ってしまい、返答に窮したこと、そして「一応言ったのは」、「誰かが「やり返さない」ということをしないと際限なく暴力が続いて、どんどんその暴力が大きくなって、最終的には戦争にまでなってしまう」ということでした。

この話を聞いていた他の2人の女性たちは「難しい問いだね」というようなことは言っていたものの、特に自分なりの「答え」は言っていませんでした。


この話を聞いていて、「僕だったらどう答えるだろう」と考えていました。
皆さんが子どもに同じ質問をされたら、どう答えるでしょうか?


まず僕が思いついたのは、「暴力に暴力で返すということは、自分自身が「暴力を振るうような人間」に貶める行為だ」ということです。

もう一つは、「人間が他の動物と唯一違うのは、理性があり、話し合うことが出来るということ。だからこそ、話し合いで解決するべきではないか。」ということです。

でも、よく考えてみると、前者は「暴力を振るう人間を下に見ている感じ」がしますし、後者では「他の動物よりも人間の方が優れているかのようなおごり」があるようにも感じます。
正解のない問いですが、どんな答えがあるのだろうか、と今も考え続けています。

皆さんだったら、どう答えるでしょうか?
2017.05.23 Tue l 日々雑感 l top
先日、Eテレ(NHK)のハートネットで「フェミニズム新時代」というテーマで、女性を中心にアナウンサーを含め7人がVTRを観つつ、座談会のように語りあう形式の番組が2回続けて放送されていました。

フェミニズム新時代 第1回 "フェミ"な女がカッコイイ(2017年5月16日(火曜) 再放送2017年5月23日(火曜))
フェミニズム新時代 第2回 あなたも私もフェミニスト(2017年5月17日(水曜) 再放送2017年5月24日(水曜))

「新時代」と銘打っていることもあって、現在のどのような動きが「フェミニズム」と捉えられているのかということを、特に日本でのフェミニズム運動の流れも踏まえつつ構成されていて、基本的に好印象でした。

しかし、出演者が語り会っている中で気になるやりとりがありました。
そのやりとりを文字起こししてみました。
括弧内は僕による補足です。

やっぱその(自分の)親の影響もあるんでしょうけれど
「まぁ、女として男の人を養うくらいじゃないとね」くらいのことを(自分は)言っちゃったりもするんで
それで新しい女性の生き方みたいなのは、その、(自分が)選択肢にはなれたら良いなと思うんですけど
そんなことばっかりしてたら、いわゆるヒモをどんどん生んでしまうので(周囲の人たちから「あはは」と笑いが聞こえる)
そこは紙一重ですよね(以下略)



先に断っておきたいのは、この発言をした人自体を批判する意図はないことです。

それを踏まえてこの発言と周囲の人たちの反応に何が気になったのか。
それは、

女性が誰かを養えるくらいの経済力を持つ→ヒモが増える

という図式で語ることに何の疑問も語った本人も周囲の人たちも感じていないことです。

僕がこの発言の上に書いた図式で疑問に感じるのは、主にこの2点です。
①(性別関係なく)パートナーの1人が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、他方のパートナーは何もしなくなるの?
②男性が主な稼ぎ手として、女性が家事・育児をしていることはあるのに、男女が逆だと何故男性が家事・育児をしないと考えるのか?

それぞれの疑問点をもう少し丁寧に言葉にしていきます。

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①(性別関係なく)パートナーの1人が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、他方のパートナーは何もしなくなるの?

女性がパートナーを養えるくらいの経済力を持つことが何故「ヒモ」を生んでしまうのでしょうか。
「ヒモ」という偏見まみれの言葉自体にはここではペンディングさせてもらいますが、パートナーが家族を養えるくらいの経済力を持った時、他方のパートナーは何もしなくなるのでしょうか?
それまで仕事をしていればそのまま仕事をし続けるというのが、日本の世帯調査からも多数だと明らかになっています。
つまり、結婚をしても女性は仕事を辞めることは少なくなっているにもかかわらず、男女逆転すると、何故か男は仕事を辞め、さらには家事もしない、という「何もしない人間になる」と決めつけているのです。

仕事を続けている上で、過酷な環境から逃れやすくなるとは思いますが、(パートナーが経済的に自立していれば、自分が過酷な労働環境にも関わらずその仕事を「継続しなければならない」という負担はかなり減ります)、そのことと「ヒモ」というように「何もしない人間になる」というのは全く違うことです。

②男性が主な稼ぎ手として、女性が家事・育児をしていることはあるのに、男女が逆だと何故男性が家事・育児をしないと考えるのか?

誰かを養えるくらいの経済力を持った男性が結婚したとき、女性が家庭のことを分担することになっても、殆どの人は疑問や違和感を感じないようです。
でも、それが女性がパートナーを養えるくらいの経済力があるので、男性が家事・育児を分担することになることには、多くの人は戸惑うようです。
「結婚したから仕事やめたんだ」と女性が言えば、多くの人は疑問や違和感を感じることなく受け入れるけれど、「結婚したから仕事やめたんだ」と男性が言えば、多くの人は疑問や違和感を感じる。
これこそが番組で触れられていた「性的偏見(ジェンダー・バイアス)」なのではないでしょうか?

さらに、この発言でより深刻だと思うのは、女性が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、「パートナーの男性が何もしなくなる」(ヒモ)と当然のように考えられていることです。
女性がたとえば結婚し仕事を辞めたら、家事をする(している)ことは当たり前だと捉えられているにもかかわらず、男性が結婚し仕事を辞めたら、家事など全くしない(していない)と当然のように考えられているということです。

そもそも、パートナーに家族を養えるくらいの経済力があろうと、仕事をすぐに辞めると考えていることにも疑問がありますが、パートナーに家族を養えるくらいの経済力があると何故男性は何もしなくなると考え、そして多くの人もそれに何も疑問を思わず受け入れるのか。

番組では、フェミニストとはという話の中で、このように語られていました。

(フェミニストとは)性別・性自認・性的嗜好をもって
人を区別して序列を持ち込んで差別しない人



でも、残念ながら「ヒモをどんどん生んでしまう」という発言、そしてそれに対する周囲の「あはは」という笑いは、性別による序列を持ち込んでいるようにしか見えませんでした。

男性だろうが女性だろうが、パートナーとの関係の上で家庭のことを分担する立場になれば、家事・育児を当然のこととしてやるでしょうし、実際現にやっているのではないでしょうか。
2017.05.22 Mon l 日々雑感 l top
連休中の出来事です。

我が家には車がないので、ツレ両親宅(つまり祖父母宅)が暮らす街に行くときは、僕が僕の両親に車を借りて行くか、東京駅から出ている高速バスで行くことになります。

今回は連休中もツレに仕事があったため、先に小学生のムスコたち(5年生と3年生)が先にツレ両親宅に行き、その後ツレとムスメが行き、僕が両親から車を借りて迎えに行くという予定でいました。

しかし、春になり、ツレに実質休める日が殆どなかったことや、家でやらなくてはいけないことが溜まっていたため、ムスコたちだけがツレ両親宅に泊まりに行くことになりました。

ツレ両親宅へ向かう際は、僕とムスメが東京駅まで行き、バスに乗せ、それをツレ母に連絡し、バスの到着を現地で待ってもらって、ピックアップしてもらいました。
行きは行きで、連休の前半だったということで、いつもより1時間以上かかり、長くツレ母を待たせることになってしまったのですが、とにかく無事にピックアップしてもらいました。


連休も後半になり、今度はムスコたちが帰ってくる日。
ツレ母が2人をバスに乗せ、それをツレに連絡。
が、この時、東京駅に到着予定の時間を間違って遅めに連絡しました。

ツレも連絡が来た時間にしては遅いなと思ったようで、少し早めに家を出たそうですが、ムスコたちを乗せたバスが東京駅に到着した時にはまだ電車に乗っていました。

ムスコたちはツレとバスが到着する場所の目の前にある東京駅にあるスタバで待ち合わせをしてたのですが、ムスコたちがスタバに行ってもツレはいませんでした。

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そこで、ムスコたちはスタバの店員さんに「お母さんと待ち合わせをしているのだけれど見つからない」と伝えたようで、店員さんがツレに連絡をしてきてくれました。
(ムスコたちにはツレと僕の携帯電話の番号を覚えさせています)
ツレがまだ電車に乗っていて、今向かっていることをムスコたちに伝え、ツレがスタバに到着するまでの間、席に座らせてくれ、水も用意してくれたそうです。

僕自身はその日1日中外出していたので、この出来事は帰宅してから聞いたのですが、改めて、スタバの店員さんに感謝を伝えたいな、と思います。
ありがとうございました。

子育てしていると、特に東京で子育てしていると、保育園や公園、あるいは子どもがたくさんいる場でないと、結構冷たい対応や態度を取られてしまうことがあり、そのたびに心が折れそうになります。

そんな中で、今回のスタバの店員さんのように親切にしてもらえると本当に嬉しいです。
名前も顔も分からず申し訳ありませんが、ムスコたちに親切にしてくださって、本当にありがとうございました。
2017.05.14 Sun l 日常あれこれ l top
「今更?」と思う方もかなりいるかと思いますが、先日、コストコに行って来ました。

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車を持っていないので、知ってはいても行ったことがなかったのですが、先日実家で車を借りるついでにコストコに行ってきました。
コストコは会員制なので、会員じゃないと買い物が出来ないのですが、これもチラシでゲストとして買い物が出来るというのがついていたので、それを持って行ってきました。

連休中だったので、かなり中は混んでいましたが、買い物中はそこまで人の多さが気になりませんでした。

僕自身は、家計がずっと逼迫した情況であること、そして、多分そんなに良いものは売っていないんじゃないか(安かろう悪かろう)という疑念があってそこまで乗り気ではありませんでした。

でも、行ってみて初めて分かりましたが、結構我が家で使っているものが安く売っていたので、予想以上に買い物をしてしまいました。

僕自身の予想は半分当たっていて、生鮮食品は決して安いとは言えませんでしたし、国産の生鮮食品も少なかったので、生鮮食品はあまり魅力的ではありませんでした。
逆に、生鮮食品以外のものは魅力的なものも多かったです。
例えば、我が家で使っている浄水器のフィルターやクレイジーソルト、お風呂場用の洗剤などは普段買うよりも安く、買いませんでしたが、自分が使っている活動量計もかなり安く売っていました。

じゃあ、4千円以上も払って会員になるかというと、近くにないので良いかな、と思いました。
コストコに売っているものの多くは容量が多いので、車がないと運べず、我が家は車がないので買うことが難しいのです。
さらに、容量の大きいものはそこまで高い頻度で買うわけではないので、一番重要な生鮮食品が安くないとあまり意味がありません。

ということで、会員になることは見送り、買い物を楽しんで帰ってきました。
2017.05.11 Thu l 日々雑感 l top
この1年くらいでしょうか、ルンバの調子が少しおかしいな、と思っていたのをだましだまし使っていました。
我が家はルンバを使い始めたのは丁度5年前くらいで、その時、僕がダブルワーク&保育園2箇所と中々家事に時間&体力・気力を割くことが出来なかったので、毎日の簡単な掃除をルンバに任せることにしました。
ムスメもハイハイし始めて、床の汚れ、ホコリが気になったということもあります。

そんなルンバですが、どこがおかしいかというと、充電するホームベースとルンバ本体のドッキングする部分がゆがんで来ており、本体がホームベースにうまくドッキングできなくなり、右往左往し、最終的にバッテリー切れで行き倒れのようになっているということが頻発するようになりました。

ホームベース部分のゆがんでいたのは下の箇所で↓

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ルンバ本体では、ちょうどそのホームベース部分と接する、下の部分がどんどん内側に入りこんで行くようになっていました↓

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先日、あまりにも本体にうまくドッキング出来ず、どうなっているのか、どうしたら良いのか探ろうと、ホームベースの赤い丸で囲った部分を触ったところ、ものすごい熱で、指をやけどしてしまいました。
さすがにこの熱さはおかしい、それによく見るとホームベース部分は溶け始め、本体の赤い丸で囲った部分もどんどん中に入っている。
これはホームベースが異常な熱を発していて、それで内側にどんどん入りこんでいるのではないか、と予想できました。

熱が理由だということはこの時に初めて知り、さすがにこの発熱は放っておいては火事になる可能性もあるので、すぐにホームベースをコンセントから抜き、ルンバも使用できないようにしました。


問題はその後です。
ルンバの調子がおかしくなっている理由は分かったものの、掃除をどうするか。
軽くだとしても毎日僕が掃除をするのは結構しんどい。

新しく買い換えるかどうか検討しはじめたのですが、一応ルンバの問い合わせセンターに電話してみました。
もしかしたら、下取りしてもらって、新しいものを安く買えるかな、と思ったからです。

で、電話してみたところ、思わぬ結果になりました。

それは、無償で新品と交換になったのです!

これ↓

iRobot Roomba 自動掃除機 ルンバ 770


買ってから5年も経過しているので、我が家(というか家計)の財政状況が近年かなり逼迫しているので少しでも安く買い換えたり出来たら、と思って電話したら、無償で交換になり、本当に助かりました。
コールセンターの担当の方は、「充電の方法が変わったのでそれでも大丈夫ですか?」と何回か確認してきて、正直その電話ではどう変わったのかよく分からなかったのですが、今まで使っていたものと殆ど変わっていませんでした。

以前使っていたものは、本体に直接アダプターを挿して充電することも出来たのですが、その機能がなくなっていただけでした。

元々使っていた機種なので、外見は全く分からない上に無償(送料も!)で新しいものと交換できたのは本当にラッキーでした。

使っている型や使用年数によってルンバ側の対応も違うのかな、とは思いますが、もし、明らかな不具合が起きている様な場合は問い合わせてみると何か今考えているだけでは出てこない選択が出来るかも知れません。
2017.05.09 Tue l 日常あれこれ l top
保育園の送り迎えを主にしているのは僕なのですが、送りの時も迎えの時も保育士さんら保育園の方だけでなく、保護者にも挨拶しています。

送りの時は「おはようございます」、帰りの時は「こんにちは」と。

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朝はどの人も「おはようございます」と返ってきたり、先に先方から言われるのですが、帰りは少し違う挨拶が返ってきたりします。

僕は割とお迎えの時間が早く、保育園では送りは男性は多いものの、お迎え時は大体女性が来ているので、育休や産休の方や早めのお迎えの女性たちに会います。

その時に僕自身は「こんにちは」とか、保育園を出て帰るところだと「さようなら」とか言うのですが、たまに「お疲れ様です」と言われます。

「おつかれさまです」?

批判する気持ちは全く無いのですが、すごく違和感があります。
仕事場で帰り際に職場の人に言うのなら分かるのですが、保育園にお迎えに来て「お疲れ様です」と言われると、なんというかこれからやる家事や育児が急に仕事っぽくなるというか。
まぁ、実際、僕にとっての仕事なのですが、同時に子どもと一緒に過ごす家族との時間でもあるわけで、仕事とはちょっと違うかな、と。

勝手な妄想ですが、保育園で「お疲れ様です」と挨拶される度に、この方はそんなに仕事や家事・育児に疲れているのだろうか、と思ってしまいます。


先日、買い物の帰りに公園の脇を通ったら、そこで公園から切り上げようとしている子連れの女性が、公園に残っている子連れの女性に「お疲れ様です」と言っていました。
子どもを連れて公園に行き、そこでも交わす別れの挨拶が「お疲れ様です」。

家事・育児をしている世の多くの女性たちはそんなに「お疲れ」なのだろうか、とちょっと心配になるのでした。
2017.05.08 Mon l 日々雑感 l top
先日、ちょっとした用事があり、ムスコたちが通う小学校に次男を迎えに行きました。

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ムスコたちが通う小学校の玄関脇には保健室があり、次男のクラスはその時間たまたま校庭での観察学習だったようで、養護の先生も近くに出て来ていました。

次男がクラスに戻り、ランドセルを取りに行っている間、養護の先生と少しお話しました。

その先生は、公立小学校なのですが、この小学校での勤務が10年以上になっていて、昨年度末で定年退職だったのですが、今年度も再任用ということで勤務されている方です。

継続して勤務しているということで、長男は5年目、次男は3年目にはなるものの、話していると本当によく観て下さっているな、と話の端々に感じられました。

僕自身のちょっと長かった学生生活などの経験から、こういう、直接関わる機会はそこまで多くないけれどちゃんと観てくれている人、というのは、学校生活を送る上でとても重要だと感じています。

今年度から再任用ですし、来年度もいらっしゃるかどうかは分かりませんが、とりあえず今年はこの養護の先生もいらっしゃることだし、ムスコたちの小学校生活も安心できそうだな、と感じました。
2017.04.23 Sun l 日々雑感 l top
大分前の話になりますが、掃除機を買い換えました。

結婚し、ツレと2人で暮らしはじめる時にダイソンの掃除機を買い、それを10年来使っていました。
色は違いますが、使っていたのはこれです↓

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DC12 - Dyson | ダイソン


音は結構うるさかったものの、不満があるとしたらそのくらいで、他には何にも不満なく使っていました。
じゃあ、何故買い換えることになったのかというと、ある日突然電源が入らなくなってしまったからです。
修理して使い続けようと思ったものの、10年以上経っているということで、修理代だけで3万円くらいかかると言われてしまい、やむなく買い換えることにしました。

ダイソンの掃除機が気に入っていたので、またダイソンで買い換えることも考えたのですが、結果的には、ダイソンの掃除機の修理代と言われた金額よりもかなり安く、レビューの評価がすごく良かったこれにしました↓


シャープ 掃除機 サイクロン ベージュ EC-CT12-C


今まで使っていたダイソンの掃除機のように10年使えるか分かりませんが、ダイソンの掃除機のように「何の前触れもなく突然電源が入らなくなる」ということが起きてもこの金額ならまぁ諦められるかな、と思ったのもこの掃除機にした理由です。

使用感ですが、これもレビューに書いてあった通りなのですが、ヘッドの小回りがあまり効かないという点がありますが、それが気になったのも最初だけで、使い続けていたら気にならなくなりました。

あとは、我が家は掃除機をクローゼットにしまっているのですが、その際、ホースの長くて固い部分がちょっと邪魔になります。
立てかけて収納できるスペースが出来れば関係がないのですけれども。

とりあえず、掃除機を買い換えるかかなり悩み、最終的に買うことに決めた掃除機がダイソンに遜色なく使えているので、本当に嬉しいです。
2017.04.18 Tue l 日々雑感 l top
最近、コミュニケーション不全でストレスを抱えるようになりました。

「言った」「言われてない」ということも大きな問題ですが、それは紙に残したり、メールやLINEにして「残す」ことで「言った」「言われていない」という記憶違いは防ぐことが出来ます。
そのような「残す」こともしないで「言った」と主張する人がいること自体も大きなストレスなのですが、より深刻だなと僕が感じていることが、言ったかどうか、よりも「相談したか」ということです。


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日々生活していると何かを「決定」していかなければなりません。
食事のメニューや買い物をどこでするのか、という家事に関すること、仕事などで外出する際には、どのような経路で行くのかということも決定していっています。

何故、食事のメニューを決定するのかといえば、食事を用意するのが【自分】であり、買い物をどこでするのかを決定するのは、買い物をするのが【自分】だからです。
自分自身のこと、つまり当事者であるから、決定するのです。
逆に言えば、その「決定」にかかわっていなければ、当事者ではない、ということになります。

食事のメニューの決定にかかわっていないということは、その食事を作ったり食べたりするのは自分ではなく、買い物をどこでするのか決定しないということは、自分で買い物に行かないからです。
買い物に「付いていく」ことはあるかもしれませんが、それは「付いていく」というだけで、主体性はなく当事者ではありません。


この何かを「決定」する際に、その「決定」にかかわったかどうかが、その人が「当事者」かどうか、「当事者性」を持つことが出来るかどうかに大きくかかわってきます。
他人が決定したものを知っただけでは、とても当事者であると認識したり、当事者性を持つことは出来ません。

じゃあ、誰かにも当事者であると認識してもらいたい、当事者性を持ってもらいたい、と思ったらどうすればいいのか。
それは、決定を下す際に、かかわってもらうことです。

決定を下す前に「相談」し、意見を聞く。
そうすればその意見を聞かれた人は自分の意見が反映された結果での「決定」に当事者として認識することが出来るでしょう。

逆に、既に何かしらの決定をしたものを、報告しただけでは、その話を聞いた人は意見を言う場もなく、意見を求められてもいないので、その「決定」に当事者としての認識を持つことは出来ないでしょう。

一応広辞苑で調べてみると以下のように書いてありました。

【相談】
互いに意見を出して話しあうこと。談合。また、他人に意見を求めること。

【報告】
しらせつげること。報知。
②ある任務を与えられたものが、その遂行の情況・結果について述べること。また、その内容。


何かを「決定」する際に、僕は常々「相談されていないことにはかかわることは出来ない(かかわりたくない)」と思っていて、それを伝えるようにしています。
それは、何故かと言えば、当事者としての意識を持つことが出来ないからです。

でも、相手は「相談した」と言ってくることがあるのですが、それは【相談】と【報告】ということの違いをその人が分かっていないということがようやく僕も気づいてきました。
僕に「意見を求め」ていないにもかかわらず、それを【相談】と相手は認識し、「意見を求め」られていないので、僕はそれを【報告】と認識する。

【報告】された僕としては、その決定にかかわっていると認識することは出来ず、当事者として認識することは出来ません。
でも、相手は【相談】したと思っているから、僕に当事者としての行動を求めてくる。
このズレに僕としては大きなストレスを感じることになります。


殆どの人にとって【相談】と【報告】が全く違うことだということは当然のことかもしれませんが(そうであって欲しい)、この【相談】と【報告】の違いが分かっていない人によって最近ストレスを感じることが多々あったので、改めて書いてみました。
2017.04.15 Sat l 日々雑感 l top