以前から持っていたのに置きっ放しにしていた本を読みました。


路上のうた ホームレス川柳


路上生活(いわゆる「ホームレス」生活)を送る人たちが販売員となっている「THE BIG ISSUE」。

ビッグイシュー日本版|BIGISSUE JAPAN

販売員の生活をささやかながら支えるという事もありますが、内容が面白いので、販売員の方を見つけるとよく買って読んでいます。
その販売員の中で川柳を創っている方々がおり、その作品をまとめたものがこの本です。
僕は販売員の方から直接買いましたが、Amazonでも売られていました。

日々の生活の中から出てくる川柳なので、路上生活が反映された作品になっています。
僕が良いな、というか興味を持ったのはたとえばこれらの作品です。

盆が来る 俺は実家で 仏様

寒い夜 マッチで焚き火 怒られる

駄洒落でも クルシミマスと 言えぬ今

クリスマス 風邪をひいたら クスリマス

ご来光 拝む前から 缶集め

見てしまう 故郷(ふるさと)行きの 高速バス



故郷の家族・親戚には自分はもう死んだものとなっているだろうな、ということや、クリスマスで世間が賑やかな中、寒さに耐えている様子、捨てきれぬ故郷への思いなど、つらさを感じられるもの、それでも川柳に、言葉にすることでユーモアを感じます。
ユーモアを込めることでつらくても生きぬこうという力だったり、しぶとさが現れているような。

あとがきは、作家の星野智幸さんが書かれていました。
星野さんがいくつかの川柳を引用しつつ、このように書いていました。

枕元 門松がわり 靴を置く
雨上がり 我が寝床から 虹が立つ
これらは想像力の勝利だ。正月の路上の寝床が、たちまち門松の並ぶお屋敷となる。路上のねぐらにとって、寝ている最中に降る雨は悩みの一つだが、それを幻想的な光景に変えてしまう。



ユーモアだけでなく、想像力によって困難な状況を生きぬくという勝利。
筋肉質な力強さというよりも、ひらりと柔軟に生きぬいていく力強さを感じる、とても良い本でした。
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2017.02.17 Fri l 月間読書レポート l top
昨日、諦めるとか悟るとか書いて、そういえばこんな漫画があったなと思い出しました。


悟りパパ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)


元々インターネット上で公開されているもので、それを単行本にまとめた作品です。

悟りパパ(となりのヤングジャンプ)

「悟り」、ということで思い出しましたが、この作品の主人公である悟りパパは「専業主夫」でした。
妻が会社勤めで、ある日悟りを開いたパパが家事・育児を担い、一人息子で小学一年生の梵(ぼん)さんとの日常が描かれています。

悟りを開いているために物欲がなく、買い物に行っても「私は何もいりません」と何も買わない。
それだと、さすがに家族が困ってしまうこともあり(着ているものが古くなってきたとか)、家族が知恵を絞ってプレゼントを悟りパパに受け取ってもらったり。
ほのぼのとした日常ですが、その中に悟りパパが仏の教えを入れてくれます。

まぁ、漫画ですし、楽しんで読めば良いのですが、ちょっとだけ突っ込みを入れると
「会社は解脱できても、家族は解脱できませんから」
という発言があって、それを前提にこの物語があるのですが、本当に悟ったら家族も解脱出来るはずじゃ?と。

それを言ってしまうとさすがに物語の前提が崩れてしまいますし、それよりも、悟ったはずのパパが梵さんの願いで「第二子」を授かろうとするのか、そして実際に授かるのか、という点で、今後の話を楽しみにしています。
2017.02.13 Mon l 主夫の本など l top
前の月に読んだ本をまとめて書いていましたが、そうするとどうしても1回に書く量が多くなってしまって面倒になってしまうので、たまには一冊ずつでも書いていこうと思います。


せいのめざめ


著者の益田ミリさんは僕が好きな作家で、映画にもなった『すーちゃん』はもちろん、『週末、森で』や、なんだか評価がすごく二分されている『47都道府県女ひとりで行ってみよう』も僕は楽しんで読みました。

そして、もう1人の著者の武田砂鉄さんは、本を読んだことはないのですがcakesでの連載を毎週欠かさず読んでいたり、いつも聞いている荻上チキさんのラジオ番組Session-22に荻上さんの代役で出ている時の話に共感することが多い方です。

ということで、タイトルと内容を全く気にすることなく、新刊予告みたいなものが来たときに迷わずに予約し、早速読んでみました。
(ちなみに今は単行本しかありませんが、2月17日にはKindle版も出るようです。)

内容は、「せい=性」の「めざめ=目覚め」とあるように、益田さん、武田さんがそれぞれ、中学生や高校生の時に性に関して考えていたことや体験したことが書かれています。
「めざめ」ですので、性体験について書かれていることもなく、安心して(?)読めるというか、特に武田さんは僕と割と近い年代なので、今ではスマホなどで簡単に性に関する情報や画像、動画を検索して手に入れることが出来ますが、そうではなかった時代のことが書かれていて、懐かしい思いで読みました。

また、武田さんの書くコラムや新聞での書評が好きになったあとで、僕の職場の卒業生ということも知りました。
この本では中学や高校での体験に基づいて書かれているので、すごく具体的にその光景を思い浮かべることも出来、それもとても面白く読むことが出来ました。

逆に言うと、一般的には、ちょっと読者層を想定しづらい本かな、とも思います。
せいのめざめの時期にある今の子たちには、懐かしくもなんともないでしょうし、かつての人が知ることが出来なかったので(情報源も少なかったので)妄想していた内容も、今ではすぐに検索して知ることが出来ます。

「懐かしい」という思い出に浸るには良いのかも知れませんが、それ以上の出来事もなく、僕のように、単に著者が書いたものが好きということでなければ、あまり面白く感じられないのかな、と思います。
まぁ、それはやはり個人的な出来事が書かれているからで、個人的な出来事を提示されても、それを興味を持って受け止めるのは、同じような体験をした人と、その人個人に興味を持っている人に限られてしまうからですね。
2017.02.10 Fri l 月間読書レポート l top
2月になったので、先月読んだ本について書いていきます。
ちなみに最近は、Kindleで読める本はKindleで買うことが多くなってきました。
理由としては、①Kindleの方が安い(ことが多い)、②すぐに読み始められるからです。
ということで、Kindle版の方が安い場合は、Kindleで買って読むようになりました。

さて、まず最初はこちら。


九十歳。何がめでたい


佐藤愛子さんの文章自体読んだのは初めてだったのですが、今すごく売れているということで広告をよく目にしていました。
そんな中、Kindle版でかなり安くなっていたので、読んでみました。

元々は女性誌に連載していたエッセイだそうで、生きてきた時代が違うので、物事の捉え方は違うところもあるものの、面白く読めました。
出来事への考え方が違うなとは思うものの、それは決して反発を抱くようなものでもありませんでした。
例えば、自転車が怖い、というような話。
これは、考え方の違いを表すものではありませんが、最近の自転車は音がしないので、すっと後ろから出て来て怖いという指摘。
自動車が静かになってきたことは自覚していましたが、確かに自転車も静かになってきていて、特に音が聞こえづらくなってきている年齢の人たちには、僕も気をつけないといけないな、と思いました。

もし、不満があるとしたら、いわゆる「高齢者」の意見なので、今高齢の人の方が多くなってきていて、その人たちによって割と迷惑している出来事もある、ということ。(集団で歩くときに、周りに歩いている人を気にしないとか。)

そういう点にも自覚的であって欲しいといのは、その世代ではない者の勝手な意見なのでしょうが、高齢ではない人たちに意見を述べるのならば、その人たちからの意見にも少しは耳を傾けて欲しいな、と思ってしまいます。

でも、根本的には、人への優しさがあるように感じました。


倚りかからず (ちくま文庫)


何で紹介されていたのか忘れてしまいましたが、詩集です。
詩集なので、ささっと読めるのですが、やはり一番心に残った作品はタイトルにもなっている「倚りかからず」。
これだけでも、みんなに読んでもらいたいな、と思う作品でした。
他には、その時代を表す作品もあって、今だったら、こんな出来事はネット上で炎上するんだろうな、ということに触れた作品があって、時代の変化というか、なぜこんな出来事に多くの人が集中砲火を浴びせるようになってしまったのだろうか、と物思いに耽ってしまいました。


死にカタログ(だいわ文庫)


新聞書評欄で文庫になった本のところに載っていて、面白そうだったので読んでみました。
著者がデザインやイラストの仕事をしているので、死という概念を視覚的に捉えようとしていてとても面白く読めました。
内容的には、著者が書いているように、エリザベス・キュブラー・ロスの『死ぬ瞬間』に依拠するところが大きいのでしょうが、視覚的に捉えるというのは、今までとは違った角度から死を捉えられるように感じました。


お金の教養 (だいわ文庫)


知人が、「子どもにお金をどう教えるかを考えている中で読んだ本」ということで紹介していたので、読んでみました。
とても分かりやすく、読みやすい(文字数も少ない)のでさくっと読めるようになっています。
お金について考える入門書としてとても良い本だと思います。
今では、中高生向けにお金の授業が取り組まれているところもありますが、僕らはお金について学ぶ機会もなく、親も基本的に「お金のことは子どもが話すことではない」というような姿勢でした。
なので、僕は全くお金について考えたことがなかったといって良い。
収入をどのように扱うか、資産を増やす方法、チェックの方法など、具体的な取り組みが示されるだけでなく、最終的に自分だけでなく、他者の生活の向上にも目を向け、寄付ということについて書かれていることにも好印象でした。


ソープランドでボーイをしていました


Kindleでやたらレビューの評価が高く、200円とかだったので、読んでみました。
著者は、小説にしたかったようですが、実話です。
文章はこなれているとは言えませんが(小説にはしづらい)、読みやすいものでした。
「ソープランド」という場が舞台になっていますが、いわゆるエロの話は一切無く、何故ソープランドで働くことになったのか(震災の影響)、働いていたときの仕事内容や人間関係、ソープランドをやめることになった時の出来事などが書かれています。

さくっと読めるので、「知らなかった世界」を知る、という意味では面白かったのですが、話すことが許されていないソープランドで働く女性について殆ど触れられないのは仕方がないにしても、ボーイたちが一緒に寝食を共にしているにも関わらず、どのような過程を得て今この仕事をしているのかよく分からないというのは、事実であっても、物足りなさを感じました。
また、例え高級店(合計8万円以上するそうです)でも、いろんなお客が来るはずで、描かれている人間関係が基本的にボーイたちで、客について書かれていないので、その点も物足りなさを感じました。

すごく礼儀の正しい客もいれば、横柄な態度の客もいるはずで、それらの客についても書いて欲しかったな、と。
客に関しては、いわゆる「障がい者」について触れられていたのですが、風俗店が障がい者の福祉的一面があることが分かるのですが、障がい者だから著者の心に残ったのでしょうが、障がい者ではない他の客についても書いて欲しかった、と思います。
2017.02.02 Thu l 月間読書レポート l top
恥ずかしげもなく今回も先月中に読んだ本について書いて見ます。

まずはこちら↓


僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想


この本の著者である荻上チキさんがパーソナリティを務めているラジオ番組「セッション22」を聞いています。
22時から番組が始まるので、早寝早起き型の僕には生では聞くことが出来ないのですが、ポッドキャストになっているので、それを使って聞いています。
ちなみにポッドキャストだと倍速再生も出来るので、大体1.5倍で聞いています。
そうすると時間も短縮して聞けるのでかなり便利です。
(その代わり番組中に流れる音楽は聴けないのですが。)

と、本の話ではなく、ラジオをどうやって聴いているかの話になってしまいましたが、「そういえばチキさんの単著って読んだことがなかったなー」と思い読んでみた次第です。

今の政治(国会議員を中心とした中央政治)が置かれている状況を踏まえながら、果たして今行っている議論やこれまで行われてきた来た議論が適切だったのか、ということについて書かれています。

とこれでは何が書かれているかは分かりませんが、例えば「交通事故を減らす」と言うときに、減らそうとするための方法として、車自体の性能の向上や、道路などの整備という交通環境の整備とともに、飲酒運転や持病があるなどの事故を起こすリスクが高い(と思われる)人たちの運転を控えるようにさせるという運転する人へアプローチする方法があります。
しかし、メディアで盛んに取り上げられるのは、飲酒運転などの運転する人へのアプローチばかり(例えば飲酒運転に対する厳罰化もその流れで起きました)。
では、実際に事故がそれによってどのくらい減っているのかというと、曖昧で、むしろ交通環境の整備による交通事故の減少の方が確実に成果を上げているという事実があります。

これらの具体例から、感情的に盛り上がるのももちろん、果たして仮に感情的に盛り上がってしまったとしても、その盛り上がりによって行われたことが、実際にその後どのくらい有効だったのか、ということをちゃんと検証しましょうよ、ということが述べられていました。

また、最後の方では、では無力にも思える1人の自分が何が出来るだろうか、という思いを持っているであろう個人にも方法を提示しています。
それらの方法は決して無理難題ではなく、地に足の着いたものであるとも僕には思えました。
一番難しいのは、それをやれるかどうか、というよりも、やり続けることが出来るかどうか、ということかな、と。


犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)


子どもたちが小学生になり、区の安全防災メールというようなものに登録したり、あるいは学校独自のメール連絡網から「不審者情報」が送られてくるようになりました。

でも、その「不審者情報」に書かれてるのは、「男性に女児が話しかけられた」とか、話しかけられた内容も分からないので何故「不審者」なのかも分からなかったりします。
単に近所に住む人が挨拶したのかも知れないし、道が分からなかったから訪ねただけかも知れない。

だけど、「不審者情報」として内容が曖昧なものを保護者や地域の人に知らせることで、余計に不安を煽っているのではないか?と思ったりすることがあります。

ということで、自分で犯罪がどの程度増えているのか調べるという方法もあるのですが、まさにこのテーマの本があるので読んでみました。

この本に書かれてあるのは、犯罪って本当に増えてるの?、ネガティブな情報に惑わされることなく、「実際に起きていること」を知ってみましょう、ということです。

たとえば、子どもが犠牲者になる殺人についてこんな記述がありました。


たとえば、昨今、メディアで問題になっている小学生が殺害される事件であるが、一九九O年以前と比較して大幅に減少したまま安定している。最も多かった七六年が一OO人、八二年は七九人、それ以降、目に見えて減少し続け、O五年は二七人である。
 しかも、殺人事件の統計は未遂を合むものであること、さらに子どもが殺害される事件の大半は家族などによる虐待であることを考え合わせると、見知らぬ不審者に命を奪われた小学生の数は、実際はほとんどいないというのが現実なのだ。



殺人だけでなく、小学生が被害にあう犯罪で最も多い加害者は誰かというと「見知らぬ人」ではなく、「知っている人」です。
統計に表れているものなので、もちろん性犯罪など、被害をそもそも申告していない犯罪が多数ある可能性もありますが、少なくとも統計に表れているものでは、小学生に対する加害者は「知っている人」なのです。

それらを知った上で、「防犯」を考えていますか?というのがこの本の呼びかけているものだと思います。

また、過度に防犯が行き渡った結果、街に居づらく(というか排除)なってしまった人たちのことへの言及もありました。

生活時間帯が多くの人とは異なる職種の人問、失業者やホームレス、精神障害者や知的障害者、在日外国人など、「普通の人」とは異なる生活リズムやスタイルを持つ人びと、結局はこうした者たちが不審者と見なされるのだ。
 それは揃いのジャンパーに身を包み、「防犯」という腕章をつけた善意の住民たちの目に、異質な者として映る者たちでしかない。だが、そうした異質者たちが不審者として、今社会から排除されている。



この指摘はとても重要だと思います。
防犯という名目で「不審者」扱いされる人たちが出て来たことによって、むしろ彼らにとっては生活しづらい社会が出来てきているのではないか、と。
実際に、路上生活を送る人たちが排除されていく姿を目にし、本来ならば彼らを保護しなくてはいけないはずの行政がむしろ「不審者」として排除しようとするのはこのような「防犯」という背景が少なからずあるのではないかと思います。

他にも、刑務所に収容されている人の実態を明らかにすることで、犯罪を犯す人たちがどのような状態にあるのかということを明確にしてあり、「本当に犯罪が増えているのか?」というものを刑務所といういわば「内部」からも焦点を当てていて、より実情が理解出来たように思います。


無業社会 働くことができない若者たちの未来


ここまで書いていて疲れてしまったので、あとはさらっとコメントを書くだけにします。

この本は、今年に入って(僕が)緊縮財政下にあり、本をなるべく買うのを控える名目で通い始めた古本屋さんで見つけたものです。

「無業者」特に「若年無業者」の実態と、その人たちにどのようなアプローチが必要なのかということをこちらも統計と実際の活動を通して書かれています。
根底にある、「誰もが無業者になり得る。自分は運が良かったので就労できている。」という西田氏の実感は同意しますし、今後もそれを忘れないで欲しいな、と思いますが、「運が良かった」人とそうではない人とは何が違ったのか、ということをもう少し掘り下げられていたらよかったかな、と思いました。


カルト村で生まれました。 (文春e-book)


朝日新聞(だったかな?)の書評を読んで買いましたが、実はその前から知っていて、読むかどうか悩んでいたのですが、書評に後押しされて読んでみました。
新宗教を少しでも学んだことがある人にはすぐに「あそこか」と分かる団体で生まれ育った著者によるコミックエッセイです。

著者が僕と同世代で、団体を出て10年以上経っているので今現在も同じような状況なのかは分かりませんが、とりあえず僕が子供の時のことを思い出しながら、「こんなことがあったのか」と読みました。

先日行ったアースデイでもこの団体がブースを出していて野菜や卵を売っていて眺めていたら、他の人がこの団体を知らなかったようで「全国に農場があるんですか?」とか聞いていて、この団体を全く知らない人も多いんだなぁ、と逆に驚いた次第です。


北欧女子オーサが見つけた日本の不思議 (コミックエッセイ)


こちらもコミックエッセイです。
著者のオーサさんが朝日新聞に出ていて、京都で舞妓さん(?)体験か何かをしていて「この人何者?」と思って調べたら、この本を出しているということで、レビューの評価も割と高かったので読んでみました。

過度に「日本ってすごい!」というものでもなく、過度に「日本って変だよね…」というものでもなく、成人してから日本に来て生活するようになった「外国人」が日常生活で発見したこと、驚いたことを生活者視線で書いているのが好印象でした。

たとえば、最近見かけるようになった、くねくねまがっている手すりとか。

この本が面白かったので2巻もすぐに読みました。
2016.05.04 Wed l 月間読書レポート l top
先日、ツレも子どもたちもツレ両親宅に行っていて、自由に出来る時間がたっぷりあったので、久しぶりに教文館に行ってきました。
教文館に行ったのは、まぁ、年度が替わるので、その前に仕事の資料探しということも兼ねて行ったのですが、キリスト教関係書だけでなく、一般書などもゆっくり見て回りました。

その中で、「これは!」という本を見つけました。
それがこの本です↓


子どもに食べさせたいおやつ


最近、(自分の中での)料理のモチベーションは高くなく、新しい料理に挑戦することもなく、1ヶ月のうちに同じ料理を出すこともあるのですが(自分の中のルールで同じ月に同じ料理をあまり出さないようにとか、揚げるだけとかはなるべく避けるとかがあります)、モチベーションを上げるために、何か良いレシピ本がないかなぁ、と思って探してみました。
レシピ本のところではめぼしいものを見つけられなかったのですが、階段のところに並んでいたのがこの本でした。

気になったのでパラパラッと見てみたところ、そこで紹介されている「おやつ」に一気に魅了され、すぐに買いました。

最近、子どもたちに与えている「おやつ」が(僕のモチベーションの低さによって)買ってきたもので、スナックばっかりになっていて、僕自身もスナックばかりはまずいなぁ、と思うものの、「おやつ=甘いもの」というような認識がありました。
でも、このレシピ本を読んだら、紹介されている「おやつ」には甘いものもあるものの、えだまめやとうもろこし、ふかしいもというところから、ごはんのおせんべいなど、甘くないものも沢山載っていて、改めて自分の中の「おやつ」の認識が修正できました。

あぁ、これで良いんだよな、と。

食材(小麦粉や砂糖)に関しての解説や、上に書いたような簡単な(日常的な)おやつから、特別な日のおやつとしてスポンジケーキやアイスなども載っていて、料理の基本というかシンプルなものから、少し手の込んだものまで載ってて、とても良いレシピ本だな、と思いました。

9年も前に出版されたみたいですが、何故今まで目にしたことがなかったのか、残念なのは、もっと早く手にしていたかった!というその一点です。
2016.04.02 Sat l 育児・料理雑誌 l top
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【告知】「『主夫志望男子』と『働き女子』のためのハッピーワークショップ」を開催します!
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先日、「秘密結社 主夫の友」で顧問を務めて下さっている白河桃子さん(の著作の編集者経由で)から献本していただいたので、早速読んでみました。


(077)「専業主夫」になりたい男たち (ポプラ新書)


タイトルは以前の著作(『専業主婦になりたい女たち』)にリンクさせただけで、内容が全く伴っていないので、タイトルに期待して読むと肩すかしするかも知れませんが、とても読みやすい本でした。
「主夫の友」のメンバーやその配偶者、そして「主夫の友」の活動に関することも書かれていて、僕自身が知っている人たち、知っている事柄だから、ということも大きいのかもしれませんが、すらすらっと読めました。
まるで物語を読むような感じでした。

ですが、読んでいて、実際に白河さんとお会いしている中でも感じていた考え方の違い、「主夫」に対しての捉え方の違いも、本を通して以前よりは明確になったような気がします。
なので、その白河さんとの考え方、捉え方の違いということをメインに書いていきたいと思います。

「シュフ」はわざわざ「なる」ものなのか?

文中に出てくる僕の発言だと思われるものに対する白河さんの文章でも思うのですが、基本的にこの本は上に書いたように「まるで物語」です。
巻末に参考文献が一覧として載っているものの、その引用の仕方は「○○さんはこう書いている」という事であって、たとえば「社会調査の結果こういうことが言える(のではないか)」というようなものではありません。
つまり、白河さんの考え、結論に適したものを拾い上げてきて(それが主夫本人や配偶者の発言であれ、研究者の文章であれ)引用している、という方法なので、「こういう世界も(もしかしたら)あるのかもね」と「物語として」読むのは良いのですが、では、この本に書かれていること(たとえば主夫に適した傾向など)が、本当なのか、というと、この本を読む限りは分かりませんし、僕としては「本当にそうなの?」と疑ってしまうところがありました。

その代表的なものは「主夫に「なる」納得出来るきっかけが必要」というものです。
後述しますが、白河さんはカテゴライズするのが好きなようで、「主夫に向いている人はこういう人」だとか、「現在主夫の人は6つに分けられる」、というようなことを書いています。
なので、その白河さんの中にあるカテゴライズというか主夫としての物語が合致する人は取り上げられているのだけれど、カテゴライズや物語に合致していない人はスルーされていると感じました。

そもそも、「シュフ」(男女とも)って「なりたいと思ってなる」ものなのでしょうか?
共働きでも、今の日本の社会では女性の方が育休や時短を取りやすかったりするので(もちろんこれが良いことだと言うわけではなく)、勤め先による時間的拘束が多くの場合男性より少なくなるので、家事や育児を費やす時間が多くなり、それが続いていった結果、女性が兼業主婦になるのでしょう。
専業主婦の場合も、結婚や出産という契機に仕事を辞めることによって専業主婦になるわけで、それは「シュフになりたいからなる」のとは全く違うものです。

女性の場合は「主婦に向いている人」や「主婦の人は6つに分けられる」というようなことを考えることはないのに、何故男性がその役割を担う場合には「その役割に適しているかどうか」ということや、「現在のシュフとしての役割、生き方をどのように受容しているか」をカテゴライズされなければならないのでしょうか?

「シュフになる」というのは、大学などの高等教育機関を卒業する時に「就職する」ということと同じようなものだと僕は思います。
別にそれは「なりたいからなる」ものでも、「向いているからなる」ものでもなく、「そういうものだからなる」だけです。
自分に向いているかなんて全く分からないけれど、みんながやっていることでもあるし、卒業しても何もせずに暮らすわけにも行かないので、就職活動をして、(中には自分がなりたかったり、最初から希望していた企業などに就職する人もいますが)たまたま内定をもらえた企業などに就職するのです。

殆どの人は「自分に何が向いているか」とか「自分が希望するから」という理由で就職はしていきません。
そんなことをもし言っていたら、ミスマッチが起きすぎて、ただでさえ正社員になれない世の中なのに、もっと正社員として就職出来ない人が出て来ます。

だから、「主夫」になったきっかけがさも感動的な話だったり、みんなが納得出来るような話であることに、「本当に女性も男性もみんなそんなストーリーがあってシュフになるの?」と思ってしまうのです。
我が家で、僕が主夫なのは、「僕の方が家事・育児に費やせる時間があるから」です。
男女問わずの社会的調査の結果などがあれば良いなと思うのですが、多くのシュフはそんなところなのではないか、というのが僕の実感です。

「男は~」とか「女は~」とかいう固定観念に縛られているのは誰なのか

上でも少し触れましたが、白河さんは何かをカテゴライズしたり、そこに人を当てはめたりするのがお好きなようです。
たとえば、主夫の妻4人との座談会のまとめでこんな文章がありました。

奥さまたちに会って分かったこと。みな「仕事が大好き」「楽天家」「オトコマエ」「休めないマッチョな業界や役職にいる」という共通点がありました。


このあとに続いて、上に書いた「主夫に向いている人」の条件のように、「大黒柱妻の条件」を書いています。
同じ文脈ではないのですが、このような「主夫に向いている人の条件」や「大黒柱妻の条件」などのような、何かの条件を満たすことによって主夫が可能になるというような考え方には、夫が会社を辞め、家族とオーストラリアに移住したフリーアナウンサーの小島慶子さんとの対談で小島慶子さんが指摘した言葉が一番的を射ていると思いました。

(働きながら母親をしていることに感じていた後ろめたさがなくなったのは)なぜならば、今は私が働いていないと、子どもが飢え死にするから。前は、働いてなくても、子どもは飢え死にしませんでしたから。


これは、大黒柱妻にも当てはまるのではないか、と思うのです。
大黒柱妻になったのは、何かの条件を満たしているからではなく、「自分が働かないといけなかった」というそれだけのことでしょう。

なぜそのような状況になったのかは、(多くの場合は夫の病気なのですが)その家庭それぞれですが、別に何かの条件を満たしていたから、そして相手(夫)が主夫に向いている条件を満たしていたから、主夫家庭になったわけではないでしょう。
もし、主夫やその妻に同じような傾向があるとしたら、それは家庭や社会で同じような役割を担っていることによるものとも考えられるのですが、それについては全く指摘がされていません。

僕が読んでいて、一番気になったのは、最終的に「各家庭で一番最適な働き方、生き方をその都度話し合って実践して行ければ良い」「多様な生き方があって良い」という結論があるにも関わらず、カテゴライズすることによって、何かしらの「前提」が生み出されていることでした。
上述しているようなカテゴライズや「向いている人の条件」などもそうなのですが、「男はこうだ」とか「男はこういう傾向がある」、あるいは「主夫の仕事量や質は育った家庭(特に母親)の影響が強い」というようなことが書かれていると、何故そんなことにとらわれているのだろう?と思ってしまいました。

僕の育った家庭は、専業主婦家庭で、父親は家事を一切やりませんでしたが、別にそれを反面教師にも教師にもしませんでした。
父は父であって、僕ではないし、母も母であって、僕ではないからです。
僕が主夫になったのは、結婚した時にツレが働いていて僕が学生だったからで、そして、その後フルタイムで働けると思っていた僕にいろんなアクシデントがあったので、仕事よりも家庭を中心にした生活を送るようになったからです。
それは母親の影響でもありませんし、父親の影響でもありません。
ツレとそして子どもとの生活を送る上で僕の最適な役割は何かと考えた結果です。

妻より収入が低いことを嫌がる男子中学生の話

でも、こういう「男はこうだ」とかいう考えは僕が思っているよりも根深いんだな、と実感する出来事がありました。
先日、僕がお弁当箱を洗っていた時の出来事です。
僕が昼休みにお弁当箱を洗っていると、男子中学生3人が話しかけてきました。

中学生「先生、また弁当箱洗ってるんですか?奥さんの手作りですか?」

僕「違うよー、自分で作るんだよ。奥さんのも僕が作ってるし。」

中学生「えっ?先生が奥さんのも作ってるんですか?」

僕「そうだよ。ごはんは基本的に僕が全部作ってるよ。」

中学生「ああ、そういえば先生、主夫でしたもんね。じゃあ、奥さんは何やってるんですか?」

僕「お金稼いでるよ、たくさん。」

中学生「奥さんの方が稼いでるんですか?」

僕「そうだよー、僕の何倍も稼いでるよ。」

中学生「それはイヤだな…

大体こんなやりとりがありました。
昼休みにお弁当箱を洗っていると話かけられて、「お弁当は誰が用意しているのか」とか「誰が食事を作っているのか」というような話をすることはこれまでもよくありました。

でも、今回印象的だったのは妻(=女性)の方が沢山稼いでいるということに明確な拒絶感を示したことでした。
僕はこのあと、彼らに「男は女よりも稼ぐもの」という思想を誰が植え付けたのか、どこで習得したのかが気になってしまいました。
まだ中学生なのにこういう考え方を持っていたら、大人になった時どうなるのでしょうか。

もちろん、どういう考え方の人がいても尊重しますが、「○○はこういうもの」というような、ある程度固まってしまった考え方を早い内から持つことはその後の生き方を狭めてしまうような気がします。
それは男女の性に関わることではなくても、人種、年齢、国籍など様々なものに置き換えることが出来るからです。
「○○人はこういうもの」「○○歳の人はこういうもの」「○○国はこういうもの」…。
実際の人間はもっといろんな人がいて、出会えば出会うほど、「○○は~」というような言い方が出来なくなってきます。

こういう「○○はこういうもの」というような価値観をなるべく揺らがせようということで、「主夫の友」の活動に僕自身は関わっているので、これからどういうアプローチが出来るのか、考えて行きたいと思いました。
2016.02.26 Fri l 主夫の本など l top
ちょっと遅くなりましたが、先月読んだ本についてです。
というか12月から続く体調不良で本当に本を読む余裕さえなく、今回は2冊だけになります。


始めよう。瞑想~15分でできるココロとアタマのストレッチ~ 光文社知恵の森文庫

とにかく身も心も何とかしたい、ということをずっと考えていて、身体からのアプローチの他にたどり着いたのがこの本にあるように、【瞑想】です。
まぁ、禅でも、マインドフルネスでも良いのですが、初心者としてどのように行ったら良いのか、ということで探していたら、レビューでダントツに評価され、評価している人の数も多かったこの本を読んでみることにしました。

瞑想のやり方が書いてあり、それらがとてもわかりやすい説明で書かれていたので、この本をさらっと読むだけで瞑想を行うことが出来るようになります。
本の表紙にも書いてあるように15分で良いことや(それ以上やってもむしろ効果はない)、毎日やろうとしなくても良いというようなとにかく【気軽に】始められるように説明されているのが好印象でした。



差別原論―“わたし”のなかの権力とつきあう (平凡社新書)


瞑想と打って変わってもう一冊はこの本です。

僕の中にある差別的な意識にどうすれば良いのか、ということを考えたくて読んでみました。
この本の中にどのようなことが書かれていたのかを説明するのはなかなか難しいのですが、とりあえず、本の章立ては以下のようになっています。

第一章 “差別の日常”という主題
第二章 差別とは何だろうか
第三章 差別した人と差別を受けた人の対話
第四章 差別を学び、目を開く
第五章 性的なからかいに対抗する
第六章 “決めつけ”“思い込み“を崩す
第七章 「差別」を生きる手がかbにする



著者が関わってきた被差別部落に関する記述や身近なところでの女性差別に関する記述も様々な示唆があったのですが、その前に差別とどのように向き合うか、ということの記述がとても良かったです。

例えばこれらの文章です。

誰であれ、どのような場所で生きていようと、差別してしまう可能性がある。私はそう思っている。だからこそ、日常的な自分の語りや振る舞い、他者とのやりとりなどを手がかりとして、さまざまな関係性や状況の中で、いかに差別が生じるきっかげが生まれてしまうのか、それが差別として立ち現れてくるのか、を詳細に見つめようとする姿勢が大切なのである。そして、ここには、差別をめぐり硬直した認識は必要ないし、自分はさまざまな差別問題や人権問題についての詳しい知識を持っていたり、問題への確固たる姿勢を持っているから、差別など間違ってもすることはないのだ、という硬直した認識も必要ない。


差別を考えるうえでの、今一つの基本。それは、差別を受けることの“痛み” への想像力をいかに深め、大きくすることができるか、である。踏まれた痛みは、踏んだ人にはわからないという。それはそのとおりだと私も思う。いくら鋭く広く深く共感できる力を仮に持っていたとしても、差別を受けた人や被差別の現実が受ける“痛み”や“苦悩”は、完全には理解できないだろうし、完全なる共感は不可能だろう。しかし完全なる共感不可能性を十分にわかったうえで、被差別の“痛み”“現実”への想像力をできる限り働かせることは、私たちが差別を考えるうえで、必須の営みなのである。



差別はしたくないと思っていてもしてしまう瞬間があるかもしれない。
なるべくならそれらのことには近づきたくはないのだけれど考えないわけにもいかない。
そういう気持ちをもっている人にどのような心構えでこれらのことを考えて行けばいいのか、を大上段から振りかざすのではなく、一緒に考えて行こう、というような表現で書かれていると感じました。

また、日常のちょっとした場面で差別の場面に出会うことがあります(たとえば女性の容姿を嘲笑したり)。
そういう時に自分自身がやっているかもしれない態度についても鋭い指摘がありました。

それは、端的に言えば、一つは、差別という行為が与える本質的な人間存在への痛みであり、差別を受けた者が「私はこれこれの我慢できない差別を受けた」と主張することの困難さである。今一つは、そんな言葉を受けたくらいで、そこまで怒るのも大人気ない、深刻に考えすぎだよ、といったかたちで、たとえば差別的な発言や言葉をか“からかい”“野次”“冗談”“本気ではない他愛のないこと”などとして処理していこうとする、私たちがあたりまえのように暮らしている日常が持つ力の問題性なのである。



“痛み”を感じた人が「痛い」と言った時、それをした人が「冗談」で済まそうとすることがあります。
周りの人もそれで済まそうとすることも。
その日常が持つ力の問題性の指摘はとても重要だし、自分自身も常に気を付けなければいけない、日常だからこそそういう場面に出会ったときに自分自身がどういう態度を出来るのかが試されるのだと思いました。
2016.02.21 Sun l 月間読書レポート l top
今月も恥をさらして、先月読んだ本について書いて見ようと思います。
度々書いていることですが、体調不良が続いているということで、本は殆ど読めませんでした。
活字が読めないような時でも、漫画を多く読んだり、映画を多く見たりする事もあるのですが、漫画も6冊だけ、映画も2作品だけでした。
これだけを振り返っても自分自身の不調具合が分かります…。

さて、そんな中読んだ本は3冊でした。

まずはこちら↓


働く男 (文春文庫)


昨年末のNHK紅白歌合戦にも初出演したので、多くの人に知られるようになってきたと思われる、歌手であり、俳優の星野源さんのエッセイです。
まるで動き続けないと死んでしまうというマグロのようなワーカホリックぶりから、一転して、くも膜下出血により活動休止、という状況になりワーカホリックぶりが一皮むけたというところまでが書かれています。

「働く男」というタイトルから少し想像出来るように、星野源が関わった仕事について丁寧に書かれています。
僕自身は、星野源のエッセイは『蘇える変態』からだったので、ちょっと下ネタが入るような軽快なものに惹かれたのですが、今回は下ネタは少なめでした。
まぁ、仕事について語っているので当然なのですが。



女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル (朝日新書)


僕自身の大学や大学院にいた時からの関心は、ひとくくりに言ってしまえば「貧困」です。
そこには、教育格差や、ワーキングプア、非正規労働者、ブラック企業など、いろんなテーマが入ってくるのですが、その中でも最近よく読んでいるのが、この本の著者中村淳彦さんのものなので、読んでみました。

この本を読んでいて、一番僕の中に残ったのはこの文章でした。

 多くの風俗経営者や現場関係者が言うように、現在は入学難易度に関係なく、あらゆる大学の女子大生が裸の仕事をしてい。その中で特に目立つのは、青山学院や明治学院大学を代表とする付属校のあるキリスト教プロテスタント系の大学だ。
 女子の比率が高く、裕福な家庭の子供が多い。自由で華やかでゆとりのある校風で、必然的にある程度のお金があることを前提とした環境になる。そのような中で貧しい家庭や地方出身の苦学生が、周りに合わせた学生生活を送るために、単価の高い水商売や性風俗の仕事に流れる。90年代からよく聞く、プロテスタント系大学で定番のケースである。山田さんには家からの援助がないので、学内の友人たちとの格差は顕著だった。



僕がいた時はまだ今よりもマシな状況で、風俗業で働いている人がいましたが、それらの多くは、学費や生活費を稼ぐため、というよりは、より今の生活水準(ブランド物を買うなど)を上げるため、あるいはそこに自分自身の居場所を見いだした(そこにしか見いだせなかった)、という感じでした。
その中でもうすうす感じていた「女子の比率が高く、裕福な家庭の子供が多い。自由で華やかでゆとりのある校風で、必然的にある程度のお金があることを前提とした環境になる。」という指摘は、僕自身が見えなかったというか、見ようとしなかった現実を突きつけられた気がしました。

僕自身の出身大学も、今現在関わってるのもこのような校風なので、こういう現状に対して僕自身が何が出来るのか、あるいは、僕がこの現状を知りつつ、この場にこのままいても良いのだろうか、と考えてしまいます。

また、最近新聞などでも指摘されるようになってきた、大学生の奨学金制度についても鋭い指摘がされていました。

将来、なんの職業に就くかわからない高校卒業したばかりの未成年に有利子のお金を貸しつけるのは、どう考えても無謀だ。返済の一時猶予や返済期間延長の仕組みこそあるが、実質上、救済制度はほとんどない。大学卒業後から始まる月々の返済には容赦がなく、3か月間延滞をしたら一般の金融業者と同じく、ブラックリストと呼ばれる個人信用情報機関に登録される。そして、債権回収の専門会社からの取り立てが始まる。クレジットカードやサラ金と同じなのだ。
 実態は単なる学生ローンであり、”奨学金”という「支援や給付を想像させる」歴史ある聞こえのいい単語がビジネスに利用されている。実態と名称に乖離のある、いわゆるポエムビジネスといえる。日本学生支援機構の”奨学金” は国と金融業者がタッグを組み、低所得世帯をターゲットにした貧困ビジネスなのだ。
 驚博するのは、その利用者の比率の高さだ。「平成24年度学生生活調査」によると、全学生のうちの奨学金を受給する者の割合は大学昼間部で52.5%、大学院修士課程で60.5%、大学院博士課程で66.2%と過半数を大きく超えている。教育を受ける立場である
大学生の過半数が、利子を利益とする金融業者の顧客となるとは、とんでもないことだ。大学生の半数以上が数百万円の負債を背負って社会にでるという現実は異常としか言いようがなく、歴史的にも前例のない事態だ。



「アメリカよりはマシ」とか言う人や、団塊の世代以上の人たちが「私たちの時代だって大変だった」と平気で言う人がいますが、置かれている状況がまるで違ったり、アメリカでは既に借金を返すために「優秀な学生」は殆ど金融機関に就職してしまうなど、労働者の多様性が失われつつあると指摘されています。
このままアメリカのように進みたいのか、真剣に考えるべき(方策を取るべき)だと思います。



整形した女は幸せになっているのか (星海社新書)


今話題の(?)ライターの著作ということで、以前から少し気になっていたので読んでみました。

「幸せ」って計るのが難しいので、それをテーマにしている時点で何となく内容が分かってしまうな、と読み終わった後に思いました。
その中でも次の指摘は興味深かったです。

製進業中心の産業社会では、生産者は自身の「健康」に気を配る必要があった。労働者として何より大切なのは「健康」だ。一方、消費社会で人々が重視するのは「フィットネス=身体をフィットした状態にしておくこと」である。
 私たちは身体を心地よい状態にフィットさせるために、試行錯誤を繰り返す。ダイエットにボディビル、エステ通い、美容整形もその一例だろう。(中略)
「フィットネス」には中毒性がある。「健康」にはある程度の数値基準があるが、フィットネスには明確な基準がないからだ。



健康とフィットネスの違いについての指摘です。
ジムの宣伝などで盛んに使われている言葉は「フィットネス」で、そのフィットネスというのは、「身体をフィットした状態にしておくこと」。
健康を越えた状態なのかは人それぞれですが、自分自身が思い描く状態に身体をフィットさせることが優先される、ということは整形する人たちの心理ともリンクするのではないか、ということです。

まぁ、でも、最終的には整形をしても、フィットネスを続けようが、本人が「幸せ」を感じているかどうかが重要なのかなと思いますが、結局そこをうまく計るのは難しいようです。

それに対しては、前に紹介したことがある、『幸せのメカニズム』の4つの指標が有効かな、と僕は今の所考えています。
2016.01.02 Sat l 月間読書レポート l top
11月18日の放送だったので、大分前のものですが、録り溜めていた番組を見ていたら、NHKのクローズアップ現代で、同性パートナーについて特集されていました。

“家族”と認めてほしい ~同性パートナーシップ承認の波紋~(NHK クローズアップ現代)

この番組の中で、生まれ育った家族に同性パートナーがいることを隠していたために、10年以上も連れ添った同性パートナーの最後を看取ることが出来ず、さらに、「【友達】としてなら葬儀に参列していい」と言われ結局参列出来なかった、という方が出て来ました。
また、同性パートナーと暮らし始めたけれど、親は理解してくれず「普通に結婚し子どもを生むと思っていた」というような内容の手紙を母親に渡され、未だにその母親は「主人や親戚には言えない」という状況の方が出て来ていました。

同性パートナーをなるべく認めていこうという渋谷区や世田谷区の動きに対して、様々な意見が寄せられたようで、そこには「家族の形が崩壊する」だとか、「少子化を助長する」だとか、僕にとっても既視感のある意見が多くありました。

同性婚を認めるかどうか、ということをここで議論するつもりはありませんが、家族の戸惑いということで最近読んだ漫画を思い出しました。
(議論はしませんが、僕は認めるも認めないも僕には他者の生き方を制限出来る権利もないし(認めないという権利もありません)、同性婚が認められるようになっても僕の権利が侵害されるわけでもないので、同性婚が異性婚と変わらない状況になることを願っています。)


弟の夫 : 1 (アクションコミックス)


内容は、長い間離れて暮らしていて亡くなった双子の「弟の夫」がある日やって来たという物語です。
主人公は娘との2人暮らしで、その家にカナダ人である「弟の夫」がやって来たことから、主人公の戸惑いや、娘が友達に「カナダでは男の人同士でも結婚できるんだって」というようなことを言った時の周囲の反応などが描かれています。

想像が付くかと思いますが、主人公や娘の友達の親などの「大人」は戸惑い、娘などはそもそも何が「普通」かも分かっていないので戸惑うことなくその現実を受け入れています。

でも、この作品で好感が持てるのは、主人公が戸惑ったときに「これがもし相手が女性(弟の妻)だったら?」と考えるところです。
戸惑うこと自体をダメだ、というわけでも、拒否するのでもなく、戸惑ったのは何故なのだろうか、性別が違ったら自分はどう受け止めるだろうか、ということを考えるところです。

これは同性パートナーについてだけではなく、他のことでもそうなのですが、何か戸惑ったときに、戸惑っている理由を考えることや、理由が明確なら、その理由が少し変化した時に自分はどうなるのか想像する、ということはとても重要だと思います。
2015.12.10 Thu l 本・雑誌 l top