先日、新聞を読んでいたら、こんな記事を見ました。

「友だち幻想」急に売れ出す 9年前出版、あの童謡も…(朝日新聞2017年6月6日)

へー、こんな本があるんだ、と思っていたときに丁度古本屋さんに寄ったところ、あったので買って読んでみました。


友だち幻想 ――人と人の〈つながり〉を考える (ちくま新書) Kindle版


あっという間に読み終わる文量の本で、僕は割と遅読なのですが、1日で読み終わりました。
内容は、人はどのようなことに幸福を見いだすのかということから、他者とどのような距離感で関わっていくべきかということが描かれています。

例えば、人が幸福を何に感じるか、という点については、以下のようにまとめられています。

「幸福」の本質的なモメント
①自己充実
②他者との「交流」
 ㋑交流そのものの歓び
 ㋺他者からの「承認」



これは、調査とか実験に基づくものではありませんが、この指摘は確かにその通りだな、と感じるものでした。

また、僕は教育に関わっていることもあり、以下の記述は激しく同意するものでした。

私は教育大学に勤めていますので、仕事柄、小中学校の校長先生や先生方とお話しをする機会も多いのですが、非常に人格がすぐれていたり、リーダーシップもある先生、教育現場で力を発揮していると定評のある先生ですら、というよりもだからこそかもしれませんが、やはり「子どもたちというのはみんな良い子たちだから、教師がサポートさえすれば、みんな一緒に仲良くできるはず」という前提で頑張っているようなのです。



「ともだち100人出来るかな」という童謡があるように、「みんなと仲良く」という幻想に囚われている人が多いのが現状です。
でも、社会に出ると「みんなと仲良く」、あるいは「みんなと友だちになりましょう」なんて言われたり推奨されることはなく、むしろ、いかに軋轢を生まずに、イヤな相手、そりの合わない相手でも円滑にやり過ごすかが重要になってきます。
その点を例え学校生活であっても、理想化することなく子どもたちに教えていく必要があるのではないか、という指摘はとても重要だと感じました。

他にも、「自由」について触れられた箇所では、

ルールを大切に考えるという発想は、規則を増やしたり、自由の幅を少なくする方向にどうしても考えられてしまうのですが、私、が言いたいことはそういうことではありません。むしろ全く逆なのです。



ルールというものは、できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものなのです。
なるべく多くの人が、最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルールです。ルールというのは、「これさえ守ればあとは自由」というように、「自由」とワンセットになっているのです。
逆にいえば、自由はルlルがないところでは成立しません。



僕は高校で初めて「自由」とはどういうことなのか、ということを知りました。
その時の「自由」とは「全く何もルールのない状態」ではありませんでした。
むしろ「最低限守るべきルール」を提示された上での「自由」であり、その「最低限守るべきルール」を高校生であった僕も納得出来るものだったからこそ、そこに「自由」を感じました。

今現在、教育に少し関わっている身として、この「自由」ということを改めて言語になり読み取ることによって、自分自身の行動を振り返ることが出来たように思います。

最後に、他者と自分との関わりについて、以下の文章がとても良いな、と思いました。

どういうことかというと、信頼はできるかもしれないけれど、他者なのだから、決して自分のことを丸ごとすべて受け入れてくれるわけではないということを、しっかり理解しておこうという」ということなのです。


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2017.06.20 Tue l 月間読書レポート l top
先日も少し触れましたが(「発達障がいではなく、HSPなのかも」)、こんな本を読みました。


内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫) Kindle版


何でこの本を目にしたのか、気になったのかは忘れてしまいましたが、気になったので読み始めてみたところ、腑に落ちる事ばかりでした。
(今回読んだのは文庫版ですが、元々は『内向型人間の時代』という単行本だったようです。)

原文を読んだわけではないのですが、多分翻訳が僕には読みづらく(たとえば誰の発言か分からなかったり)、書いてある内容は良いのだけれど、少し読むのに時間がかかってしまいました。
もし、英語で読むのが苦にならない人は原文で読んだ方が良いのかも知れません。
原文で読んだ方が良いと思うのは、原題が「Quiet」ということもあり、必ずしも「内向型人間」のことを言っているわけではないからです。
静かにすること、静寂、あるいは静かにするのを好む人、そういう気質を持つ人について書かれたものです。

読みづらく感じたのは、科学的事実や結果が得られている内容と、「~かもしれない」という内容が混ざっているということもあったので、どの程度この本に書かれている内容(たとえば外向的な人と内向的な人の割合)が正しいのかの判断は僕の中では保留にしつつも、面白い指摘が沢山ありました。

たとえば、現代アメリカ社会がどのような人間を求める社会になっているかというと

「人格の文化」においては、思慮深く、規律正しく、高潔な人物が理想とされる。他人にどんな印象を与えるかよりも、自分がどうふるまうかが重要視される。(中略)
だが、「性格の文化」が広まると、(中略)目立つ人やおもしろい人が人気を得るようになった。



と指摘し、ある州の小学校教諭の言葉として

ビジネス社会では独創性や洞察力ではなく言語能力が評価の基盤になっています。上手にしゃべれて、注目を集められる人でなくてはならないのです。



という指摘を引き出しています。
「上手に喋れる=能力がある」という訳ではないのにも関わらず、上手に喋れる人の意見の方が通りやすいといったことを、実際の例を出しながら論じていることで、日本でも同じような状況が生まれていることにとても納得がいきました。


また、「とても敏感な人」(Highly Sensitive Person)についての以下の指摘も面白かったです。

たとえば、とても敏感な人は、行動する前に熱心に観察する傾向がある。彼らは計画から大きくはずれない人生を送ろうとする。見聞きすることや、におい、痛み、コーヒーなどによる刺激に敏感であることが多い。(中略)
だが、まったく新しい考えもある。とても敏感な人は、物質的・享楽主義的であるよりも哲学的・精神主義的な傾向がある。彼らは無駄話が好きではない。(中略)
とても敏感な人は、自分の周囲の情報――物理的なものも感情的なものも――詳細に処理する。普通なら見逃してしまう微妙なことに気づく。たとえば、他人の感情の変化や、電球が少しまぶしすぎるといったことだ。



とても敏感な人は時として強く感情移入することだ。それはあたかも、他人の感情や、世界で起きている悲劇や残虐な出来事と、自分とを隔てる境界が普通よりも薄いかのようだ。彼らは非常に強固な良心を持つ傾向がある。(中略)他の人たちが「重すぎる」と考える、個人的な問題のような話題に関心をそそぐことが多い。



これも具体的な状況も描かれていて、その具体的な出来事がいかにも自分自身でも経験したことのあるような場面だったりしたので、とても苦しく感じるとともに、苦しく感じる必要もなかったのかもしれない、と思うことが出来ました。


他にも、オープンオフィスについて指摘されていて、これは今日本で流行っている「開放的教室」(窓がなかったり、教室間の仕切りがなかったりする校舎)にも当てはまる指摘だと思いました。

スタッフの離職率を高める。働く日との気分を悪くさせ、敵対的にし、意欲を奪い、不安を抱かせる。オープンオフィスで働く日とは血圧が高くなり、ストレスレベルが上昇し、インフルエンザにかかりやすい。同僚と対立しやすくなる。(中略)心拍数を増加させたり、体内で闘争・逃走反応をもたらす「ストレス」ホルモンと呼ばれるコルチゾールを分泌させたりする。そして人々を、孤立した、怒りっぽく攻撃的な、他人に手をさしのべない人間にしてしまうのだ。



例外は、オンライン上のブレインストーミングである。電子機器を使った集団のブレインストーミングは、きちんと管理されていれば単独作業よりもよい結果をもたらす。(中略)
オンライン上で集団作業している人々はみな、それぞれに単独作業をしているのだという事実を、私たちは見逃してしまっている。それどころか、オンライン上の集団作業の成功が、対面の世界でも可能だと思い込んでいるのだ。



上の指摘は、人間の気質そのものの話ではなく、そもそも何かに集中しなくてはならない場面では「集中出来る環境」が必要だということです。
これはオープンオフィスや学校の校舎設計のような話だけでなく、学力が親の経済力に大きく影響しているということとも強い関連があります。
親の経済力が高いということは、子どもに個室が与えられる確率が高くなり、そして個室(つまり集中できる環境がある)ということで学力が伸びるのです。
もちろんその場合でも、リラックス出来るある程度のオープンな空間があることも必要な要素なのですが、そもそも全てオープンで雑多な環境では集中出来ず学力が伸びないのは当然のことなのだ、と思います。

本を読んで自分の生きづらさの理由が少し分かったような感じがして、とても良かったです。
2017.06.18 Sun l 月間読書レポート l top
先日、ふとAmazonだったかhontoだったかのサイトを見ていたら、この本が目にとまりました。


妻に恋する66の方法(1) (イブニングコミックス) Kindle版


作者の福満しげゆきさんの本は読んだことはないのですが、『僕の小規模な生活』『うちの妻ってどうでしょう?』の評価が高く、いつか読もうと思っていました。
そんなときにこの本が目にとまり、表紙のデザインから、新書版でタイトル通り66の方法が1冊に収まっているかと思い、読んでみました。

が、読んでいて気づいたのですが、タイトルに「66の方法」とあるものの、まだ66まで連載されていないようで、複数巻に渡る内容でした。
今のところ2巻まで出ていて、30までが載っていました。

初めて福満さんのマンガを読んでみたので、最初は、妻の顔にほぼ変化がないことに戸惑ったものの、ものすごいオチがあるわけでもなく淡々と妻との様子が描かれているのが、段々としっくりくるようになりました。
大上段から、「妻にこうしてみよう」というような感じではなく、普段、僕は妻とこういうやりとりをしていますよ、という作者の日常がえ描かれていて、それもすごく好印象でした。
2017.05.28 Sun l 本・雑誌 l top
先日、久しぶりに小説を読みました。
正確に言えば、小説自体は読むこともあり、それは村上春樹の新刊だけでした。

高校生の時に、当時その高校は蔵書が高校にしてはかなり多く、(授業中、特にやることがなかったので)小説をたくさん読んでいました。
その時に、誰が書いたものだろうが、いつの時代のものだろうか関係なく読んでいたのですが、とりわけ村上春樹の作品に魅了されました。
大学時代はまだ小説を読んでいたのですが、大学院以降はどうしても専門書を読む方が優先されてしまい、村上春樹の翻訳含めた新刊以外は小説を読むことが殆どなくなっていました。

3月に『騎士団長殺し』を読み、また少し小説を読みたいなと思っていたところ、前から気になっていた『マチネの終わりに』の作者である平野啓一郎さんが津田大介さんのメルマガで作品について語っていたのを読み、読んでみることにしました。

実際は、まだ単行本と電子書籍でしか発売されておらず、(僕の懐事情では高いのですが)たまたまクーポンがあり、かなり割り引かれたので、電子書籍で購入して読んでみました。


マチネの終わりに Kindle版


『マチネの終わりに』特設サイト|平野啓一郎

あらすじ(特設サイトより)
物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのかー

感想
他の人の感想や書評を一切読まずにこの本を読めたのは幸運でした。
この作品は、多分映像化を期待する人が出てくるでしょうし、現時点で作中で触れる音楽を扱ったCDも発売されているので、いずれ映像化もされるような気がします。
もし、映像化されたとしても、この小説は、映像化される前に読む方が良いと僕は思いました。

それは、この物語では「どの時代を生きているか」が重要な背景になっているからです。
この時代だからこそ展開される物語で、しかし、この時代をもし映像化すると安っぽくなってしまうのではないかと思うからです。

逆に、この時代で展開される物語だからこそ、すごくリアルに感じました。
登場人物の蒔野はギタリストで、洋子は父親が有名な映画監督でダブルのジャーナリストと、現実の自分とはかけ離れた存在ですが、それでも身近な物語として感じる事が出来ました。

それは、僕自身が33歳になったということも大きいのかも知れません。
物語では、最初、蒔野は38歳、洋子は40歳です。
僕とは少し年齢が離れていますが、それでも、年齢による結婚や妊娠への最後の可能性という切迫したような感情や、それを想像する男性側の態度、というものは30代も半ばになってきたからこそ、身近な出来事として、リアルな出来事として捉えることが出来ました。

読後にみたいくつかのレビューの中には、「メロドラマかよ」というような批評もありましたが、それさえも、年齢によって決断しなければならないことがあるということを考えた時、お互いのすれ違いを決定的なものにしてしまったように思いますし、最終的に希望的な終わり方になっているのは、単に「メロドラマ」と評してしまうよりは、そこに至るまでの5年以上の歳月を考えるとそのように簡単に評することが出来ないのではないか、と思いました。
まして、希望的な終わり方ではあっても、この後どうなるのかは全く分からないので。

久しぶりに小説を読んだからかも知れませんが、本当にとても良い作品だな、と思いました。
しばらく、他の小説を読んでみようかなと思い始めました。
2017.05.16 Tue l 月間読書レポート l top
以前紹介したことのある、オーサ・イェークストロムさんが、「旅」をテーマにしたコミックエッセイを出していたので読んでみました。


北欧女子オーサのニッポン再発見ローカル旅 Kindle版


オーサさんが書いた『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』シリーズが好きで、旅に関するものは何となく惹かれて読んでしまいます。

行ったことのないところが紹介されていると「行ってみたいなぁ」と思い、行ったことのある場所だと「そうそう」と思ったり、「ここ行ってなかった。また行きたいなぁ」と思ったり。

コミックエッセイになっているので、まだまだ自分の知らない日本の色んな場所を知ることで、新しい発見や旅の意欲が高まるかな、と期待していました。

でも、なんだか今回はそういう気持ちになれませんでした。
レビューの評価も複数のサイトを見ても高いですし、多くの人は高評価なようですが、僕には別に悪くはないけれど、「ここに行ってみたい!」という気持ちになるものはありませんでした。

僕自身の心身の調子が悪かったのかな、とも思うのですが、行きたいなぁ、と思うことがなかったのは、一番大きな理由は「旅」を伝える上で「コミック」だと「文字」よりも情報量が少ないからかな、と。
コミックという画になっていると、視覚的に分かりやすいものの、それがどんなところなのか、そこで食べたものがどんなものなのか、画では分かるものの、味などは伝わってきません。
でも、文字で書いてあると、(テレビでもそうですが)味やにおいなども文字で伝えようとすることがため、逆にそれがどんなものなのか伝わってくるのです。

さらに、文字での情報が伝わってこなくても逆に、読み手が「想像」することが出来ます。
想像することで、「それがどんなものなのか、実際に観てみたい」とか「実際に食べてみたい」という気持ちがわいてきます。
そういう気持ちが「コミック」という画だと逆にならないのかなぁ、と。

この本の内容のいくつかは、朝日新聞の土曜別刷版に載っていたものなのですが、その土曜別刷版のオーサさんの連載を毎回必ず読むほどでは実はありませんでした。
コミックエッセイはとても面白く読んだのに、なんでこの連載はそこまで読む気になれないんだろう、と思っていましたが、この本を読んでやっと少し理由が分かったような気がします。
2017.04.30 Sun l 月間読書レポート l top
先日、発売前から知人たちが、普段は教育や育児について記事や本を書いているおおたとしまささんが夫婦についての本を出すということを話題にしていました。
僕自身もおおたさんの記事はいくつか読んだ事があり、本は『男子校という選択』くらいしか読んだ事がありませんが、興味が沸いたので読んでみました。


<喧嘩とセックス>夫婦のお作法 (イースト新書)


タイトルがあまり良くないな、と思うのは、特に「セックス」については最初にちょっとだけ触れられているだけなので、内容とマッチしていないということと、このタイトルから敬遠する人もいると思われる点です。

内容は、重点が置かれていたのは、近年話題になり、妻vs夫という構図で固められてしまった「産後クライシス」についてで、その中身を丁寧に読み直そうとしていています。

たとえば、「産後クライシス」は「配偶者といると本当に愛していると実感する夫」と「配偶者といると本当に愛していると実感する妻」との差が17%もあることや、夫も妻も子どもが生まれ子どもの年齢が上がるにつれて愛情を感じる人が少なくなっていき、少なくなるのは妻に顕著であるということが問題だとされています。
妻の方が夫に愛情を感じにくくなっていき、夫との差が大きく広がっていく。
だから、夫よしっかりしろ、というメッセージが伝えられるようになりました。

でも、このアンケート結果を違う視点で見ると、より深刻なのは、子どもが2歳児になると、「配偶者といると本当に愛していると実感していない夫」が50%近、、「配偶者といると本当に愛していると実感していない妻」が65%近くいること。

夫を悪者にするだけでなく、じゃあ何故愛情を感じなくなってしまうのか、ということを読み解こうとしている点で好感が持てました。

他にも「家事ハラスメント」(家事ハラ)について書かれていたところでは、こんな文章もありました。

そもそも相手がこちらの思い通りに動いてくれないからと失望して、怒り、それを相手のせいにするというのは大変大人げのないことです。相手に期待して、その結果に一喜一憂するということは、自分の感情を相手に預けてしまっているということです。自分の感情を相手に依存してしまっているということです。自律的ではありません。
(中略)
夫婦に限らず、人間関係の悲劇の多くは、相手に期待しすぎることで起こります。
自分の期待に応えられなかった相手に失望し、それが怒りに変わり、その怒りが相手にも伝わり、対立構造が深まってしまうのです。
赤の他人との間にはこのような葛藤は生じません。お互いに期待する関係だから生じる問題です。特に夫婦においては避けられない問題です。



この指摘はもっともなことで、相手(パートナー)に期待しているからこそ、それを裏切られたと感じたり、失望したりしてストレスがたまってしまいます。
それを「大人げない」と言われてしまうと元も子もないですし、相手を少しでもコントロールしようとしていることを自覚してもいるのですが、それでも共同生活をしている限り、自分のことは自分でやって欲しいと思ってもしまいます。

この点についての対策・対処についても述べられてはいたものの、おおたさんが書いている事を2人ともが理解し、しっかり話しあったりすることが出来れば可能かも知れないけれど…、とかなり良好なコミュニケーションが取れていないと難しいのでは、と思ってしまいました。


この本の中で僕の気持ちが少し軽くなったのは、この文章でした。

ノルウェーでは夫が食事の支度をするのは当たり前なのですが、その定番料理ナンバーlワンが、なんと冷凍ピザなのです。ノルウェーのイクメンが食事の支度をしているといっても、レンジでチン! しているだけなのです(全部が全部じゃないでしょうけれど)。それでも「うちのダンナはよく料理をしてくれる」と妻から認めてもらえるわけです。
ベルギーのイクメン夫婦からも似たような話を聞きました。よく夫が料理を作るのですが、レパートリーはパスタとサラダだけ。ソースとドレッシングの味つけを変えているだけです。パスタっていうと聞こえがいいですけど、要するに麺を一O分やそこらゆでて、ソースを絡めるだけです。



時々こういう文章を読んで、僕は自分の家事に対する基準をリセットしています。
特に料理に関しては、他の家事よりも自分で水準を高めに設定してしまいがちで(もちろん料理が苦にならず、割とすきだということがありますが)、昨日も割と忙しいのに3品も作ってしまいました…。

昨年末にも料理研究家の土井善晴さんが、「一汁一菜でよい」ということを伝える記事(「一汁一菜でよいという提案」 土井善晴さんがたどりついた、毎日の料理をラクにする方法)を読みましたが、土井さんの記事では自分の料理の水準をリセットしようと思い、今回のこの本では我が家のイクメンであるツレにはあまり期待しすぎないようにしないとと思ったのでした。
2017.04.27 Thu l 月間読書レポート l top
今日も最近読んだ本について。

益田ミリさんの本については今までも何度か取り上げてきましたが、文庫で出たということで買って読んでみました。


ちょっとそこまで旅してみよう (幻冬舎文庫)


元々は2013年に刊行された『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』という本に文庫版のエピソードを加え、題名を少し変えて文庫化して出版したようです。

僕自身は旅を(多分)よくしている方で、結婚以来自由に旅をする機会は皆無でしたが、5年前くらいに急にツレから「行ってくれば?」と言われたことをきっかけに、死ぬまでに行きたかったインドを筆頭に、イタリア、友人が駐在していたオランダ(とその周辺国)、父親とのトルコ行きが中止になってしまったので昨年末に次男とスペイン、と行ってきました。

僕自身の自覚としては、旅行自体はそこまで好きではありません。
インドでは結構しんどい思いをしたし、なによりもインドはかなり久しぶりの一人旅だったのですごく緊張し、それだけで体重がかなり減りました。
(この辺の感覚はメレ山メレ子さんと岸政彦さんの対談で出てくる話がとても共感出来ました。)

「そんな思いをしてまで何故行くの?」と疑問に思うかも知れませんが、小学生の時、通知表に書かれたり、担任と保護者の面談で言われた「飽きっぽい」という言葉が関係している気がします。
「飽きっぽい」というとすごくネガティブな響きで、実際にそういうネガティブなメッセージとして僕も大人から伝えられ、受け取っていました。
でも、逆に言えば、色んなことに興味を抱き、一つのところにとどまってはいられない、ということ。

旅自体にはすごく緊張したり、帰って来てからすごくホッとしたりするのですが、それでも旅に出かけて行くのは何と言っても一つのところにとどまってはいられないというこの性分があるからではないか、と思います。

いきなりかなり長い歴史の話になりますが、多分、人類が定住生活をしていない時代だったら、今の僕も特に問題などなく、むしろ、色んなことに興味がわき、いろんなところに移動することもいとわない性分が「生きる上でのスキル」に役に立ったのではないか、とさえ思います。
定住という生活スタイルを取り、殆どの人は一つのことをやり続け(たとえば仕事という名の会社組織や結婚生活)、死んでいくということが「当然」という生活になっている今、逆に「色んな事に興味が沸き、じっとしていられない」という性分はマッチしていないのだと痛感します。

と、自分自身が何故「旅」というテーマに興味が沸くのか、引き寄せられるのかということを感がえるきっかけになり、読んで良かった、とは思うものの、他の人には全く関係のない話でした。

益田さん自身の旅(一人旅、パートナーとの旅、母親との旅、友人たちとの旅)が書かれているのですが、一番良かったのは、かなりざっくりしたものであるとはいえ、大まかな料金が書かれていること。
興味が沸く旅先は読者それぞれ違うと思いますが、その時に、自分だったらこのくらいかかるかな、とかこういうプランも出来るのか、と想像出来ることが良いな、と思いました。
2017.04.19 Wed l 月間読書レポート l top
最近、読んだ本のことを書いていなかったので、久しぶりに最近読んだ本のことを書いてみます。


いのちの車窓から


星野源という人をどのように認識したのかは、人それぞれいろいろあると思います。
たぶんツレや両親だったら、NHKの朝の連続ドラマを見続けているので「ゲゲゲの女房」で認識したと思いますし、最近知ったという人は、紅白歌合戦やTBSドラマの「逃げるは恥だが役に立つ」などかなと思います。

僕が初めて星野源という人を認識したのがいつだったのかは忘れてしまったのですが、友人がFacebookで星野源だったか、星野源がやっていたバンドのサケロックのライブに行っている様子を見たことがはじまりでした。
そのあとに行った本屋さんで星野源の本が置いてあり、(普段なら単行本を買うのはかなり慎重になるのですが)なんとなく気になったので買って読んでみました。

その時に手に取った本が確か『蘇える変態』だった気がします。
なんとなく買って読んでみたその本の文章が面白く、『そして生活はつづく』、『働く男』もすぐに読みました。
そのどの文章も面白かったので、そこで書かれている星野源の音楽も興味が沸き、音楽も聴くようになりました。

なので、僕にとっては星野源という人は、俳優、ミュージシャンである前にエッセイストなのです。

と、僕の中でエッセイストである星野源が雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載していたものとオリジナルを少し加えたのが『いのちの車窓から』です。
多分多くの人が知りたいと思っているであろう、紅白歌合戦に初出場が決まった時のこと、「逃げ恥」撮影中のことなどが書かれています。
ファンにとってはたまらない話なのかな、と思います。
それが、色んなサイトや新聞などでの書評に表れているようです。

多くの人が絶賛していた「ラ・ラ・ランド」の感想を書いた時のように気持ちで書くのですが、以前のエッセイのように楽しんで読むことは出来ませんでした。

まだまだマイナーな存在だった星野源という人が一気に日本中に知られるようになった時期であり、その立場も固めつつあった時期に書かれたものなので、それまでのような親近感が全く無くなってしまったということもあります。
でも、そんな親近感は勝手にこちらが感じていたもので、星野源という人には全く関係がないことなので、それは仕方がありません。

でも、その「親近感」には、単に有名かどうか、日本中に知られた存在かどうか、ということではなく、星野源が自分自身をさらけ出していることから来る親近感だったと思います。
下ネタだったり、小学生、中学生時代の失敗だったり、言わなくても書き残さなくても良いことをあえてさらけ出すということによって、読んでいる身としては、慰められたり、勇気づけられたり、自分自身の過去を振り返りつつ、これからのことを考え、その意味ですごく身近な存在としての星野源がいました。

ですが、この『いのちの車窓から』ではそのような身近な存在としての星野源はまったくいません。
ドラマの撮影があり、テレビに出ている人たちとの交流があり、歌を作り、ライブをし、番組に出演する。
これらの星野源の日常が単にそれを読んでいる人たちとの生活とかけ離れているだけでなく、星野源自身がさらけ出されていると感じるものはありませんでした。

単に星野源の日記を読んでいるような、そんな感じでした。
2017.04.16 Sun l 月間読書レポート l top
糖質制限をしていることを書いていますが、きっかけとなった漫画(「糖質制限でうつ病が治った話」:note)で紹介されていた本です。


炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)


新聞の広告や本屋さんで見かけたことはあったものの、タイトルにちょっと陰謀論的なものを感じてしまい敬遠していました。
でも、↑の漫画でそうではないというようなことが書かれていて、更にいつも読んでいる渋谷のバーのマスターも漫画を読んでこの本を読んだということだったので(「好きなものをなんでも食べてたら」:note)、僕も読んでみました。

Amazonのレビューに書いてあった通りなのですが、前半というか、最初の3分の1くらいは糖質制限自体について書かれていて、著者がどのように糖質制限を始めたのか、そしてどのような効果があったのか、そしてそれを見て糖質制限を始めた身近な人たちの反応や効果、更にそれをブログで公開していたので(「新しい創傷治療」)そこに書かれた糖質体験者のコメントなどが記載されています。

そこには、僕が昨日書いたように(「糖質制限の予想外の効果」)、体重が減ったということだけでなく、花粉症の症状が改善した、糖尿病の症状が改善した、さらに日中眠くなくなり集中力が出たというようなことが書かれていました。

僕としてはそこに書かれる「効果」の中には半信半疑のものもありましたが、実際に始めつつ読んだので、自分には一定の効果があり、そこに書かれていることは本当だったんだなと思いました。

でも、これもレビューに書いてあったことですが、残りの3分の2は、何故糖質が人間にとって必要がないか、ということを人類史、はたまた生物史を地球誕生のころから解き明かそうというもので、僕が全くの門外漢ということが大いに影響しているのでしょうが、かなり退屈に感じてしまいました。
著者としては、最初の3分の1の部分を理論的に解き明かそうということなのかもしれませんが、専門的知識や仮説を知るよりも、もっとシンプルに糖質制限の方法、効果、そしてそれを実践する上で、「納得」出来る考え方があれば良いので、読むのが疲れてしまいました。

なので、糖質制限をこれから始めてみようかな、という方がいたら、この本の最初の3分の1を読み、あとの実践例はブログなど探してみればいくつでもあるのでそれらを参考にしてみると良いかな、と思います。
2017.03.15 Wed l 月間読書レポート l top
最近読んで面白い(という表現をして良いのか分からないのですが)と思った漫画があります。


ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 1 (ヤングアニマルコミックス)


なんだか観たことがある画だなぁ、と思ったら、以前読んで面白かったこの本の作者でした↓


さよならタマちゃん (イブニングコミックス)


『さよならタマちゃん』についても書いた事があったと思ったのですが、探しても出てこなかったので、少し紹介すると、精巣に病気が見つかり、手術をする話です。
体験、とくに闘病記は色んな作品がありますが、どれも惹きつけられるのですが、ほんわかした画で体験が中和されつつも、壮絶な出来事だったことを感じさせ、そのバランスがとても良く出来ている作品でした。

そんな著者の今連載中の作品は、一昨年、天皇皇后両陛下が訪問したパラオ、ペリリューでの戦闘を描いた作品です。
僕個人としては南国の戦闘に関してはまず第一に沖縄戦、そして少しだけフィリピンでの戦闘のことを知っていましたが、ペリリューでのことは全く知りませんでした。

歴史を知る、ということ自体ですごく貴重だと思わされるとともに、救いようのない戦争がここでも描かれています。
たとえばこのシーンとか↓

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こういうシーンをさらっと読ませるのは、この絵柄があってこそだと思います。
『はだしのゲン』なども名作ですが、どうしても迫ってくるものがありすぎて避けてしまったりする人がかなりいますが、この絵柄だと描かれている内容はすごいのですが、そこに描かれているものを受け止めることが出来ます。

まだ連載中の作品なので、この後どのような展開(といっても過去の出来事なのである程度の展開は予想できますが)があるのか分かりませんが、歴史を学ぶ上でも今後が楽しみな作品です。
2017.03.09 Thu l 月間読書レポート l top