先日、Amazon KindleでKADOKAWAセールをしていたので、前からちょっと気になっていた本をいくつか読んで見ました。


ママ友がこわい 子どもが同学年という小さな絶望


コミックエッセイなので、さらっと読める内容だったのですが、読んでてつらかったです…。

内容は、同じ幼稚園に通うママ同士の話です。
仲良くなったと思っていたら、ちょっとしたきっかけで無視されてしまうようになり、少しずつそこから(関係ではなく、自分の気持ちが)回復してきたと思ったら、、、、結局はそこから抜けられないという絶望的なラストでした。
絶望的なラストではありますが、これが現実かなぁ、と僕は感じました。


僕は人と関わるのが割と不得手なので(ということを書くこと自体、それを肯定しているようで自己嫌悪に陥ってしまうのですが)、「子ども同士が仲良くするために」、保護者と仲良くならないといけない、という状況を考えただけで苦痛を感じてしまいます。

なので、この主人公のような人間関係の悩みを抱えることはないかなぁ、と思うのですが、でも、こうなってしまう、ということも分かるような気がします。

これは、女性ならではのややこしさかな、と思ったのは、「2人目」(のプレッシャー)とか、「若さ」とかです。
「2人目」のプレッシャーとかは僕が産む性ではないのでありませんし(まぁ、稼げというプレッシャーはあるのかもしれませんが、僕にはありませんでした)、「若さ」は僕の経験上多くの場合「半人前」扱いされるので、メリットに感じたことはありません。
子どもの保護者会に出るといつも僕は最年少でしたし、主夫の集まりでもやはり最年少なので(これはさすがにもっと若い人が出て来ても良いと思うのですが)、半人前扱いをされることはあっても、嫉妬されたことはありません(多分)。

2人目が産まれたらまた今のこのつらい人間関係があるかもしれないという恐怖があるのに、義理の親などからのプレッシャーで子どもを産もうとする、というその気持ちの機微が僕には今一分かりませんでした。


それは、多分、ママ友との人間関係のつさらの発端もそうだったのですが、自発的な行動じゃないからということだと思います。
「子どもが嫌われないように」その子の母親と良好な関係を築こうとすることとか、自分では(今は)妊娠・出産は考えられない状態なのに親などの期待があるから「2人目」を考える、とかです。
両方とも、自発的な行為じゃないので、今一理解出来ませんでした。


まぁ、僕は割と短絡的にそう思ってしまいます。
それは、一度の人生なので、つらかったり苦しかったら、すぐにそこから逃げて、つらかったことを忘れて、楽しいことを見つけた方が良いと思っているからです。
(こう思うのも、なかなかそれが出来ないからこそなのですが。)


最後に、この言葉は良いなぁ、と思った、2人目のプレッシャーに悩む主人公に言った義理のおばあさんのセリフです。

子どもがあれば
幸せもあるけど
苦労もある

子どもが1人ということは
苦労も1人分ということで
それも幸せだよ

人それぞれ幸せは違うんだから


子どもがいる、ということは、「幸せ」ということが前面に出されますが(出さないと批判されますが)、自分の「自由」ということを考えた時にはやはり「制約」になるのは確かだと思います。
子どもがいることによって、幸せを感じるかもしれませんが、同時に苦労もするわけで。

だからこそ、僕は、あんまり「子どものため」ということは言いたくありません。
僕は僕の人生を生きるのであって、自分の選んだ行動の責任は自分自身で取りたいなと思います。
こう思っているだけで、割と「微妙な距離感を取らないといけない人間関係」というのはなくなっていくように思います。
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2015.10.08 Thu l 育児本 l top
久しぶりに本の話題を。
あんまり「育児本」って自分から買って読むことはないのですが(育児本に限らずハウツー系はあんまり読んでいてもためになったことがない)、最近自分自身を省みて「子どもたちにうるさすぎる気がする」、「基本的に僕の話を聞いてくれない(耳には入っているけれど)子どもたち(特に長男T)にどうしたら話が通じるようになるのだろうか」と割と悩んでいたので、ついハウツー系の本が今までためになったためしがないにも関わらず買ってしまいました。

まぁ、買った大きな理由としては電子書籍の500円クーポン券をもらっていたので、紙版の定価の半値以下(500円)で買えたからというのが大きいです。


男の子の 本当に響く 叱り方ほめ方


この本を書いた人が誰かというと、僕も会員になっているファザーリング・ジャパンで今は顧問(以前は副代表)をしている、大阪教育大学の教員の小﨑恭弘さんという方です。
Facebookなどでつながりのある人とやりとりをしているのを目にしたことはあるものの、僕は直接つながっているわけでもないのとお目にかかったこともありません。
(なので、結構批判的なことをこれから書いていきます。)

ですが、尾木ママもブログで以前紹介していたので、この本を読んで見ました。

で、内容ですが、タイトルの「男の子の本当に響く叱り方ほめ方」が学べるか、というと悩んでしまうものでした。
話のテンポなどはとても面白いのですが、Amazonで厳しい評価を書いている人たちの言葉を借りると、「他で読んだことのあるような内容で、とくに新しいところはな」いですし、「『母親の伝えたいことが伝わる』、『してほしいことをしてくれるようになる』ための叱り方褒め方を教えてくれてはいません」でした。

他で読んだことのあるような内容が「必要ない」かというとそうでもなくて、僕はこの本を読んで、今一度自分がしかっていた内容を思い起こし、叱る内容を変え、伝え方も変えてみるきっかけになりました。

また、レビューに「『男の子』というものをひとくくりにして、はみんなこういうものだ、といった決めつけ」をしているのは僕も気になりましたが(ついで読者を全員「母親」を前提にしているところも)、それだけ著者の元に来る相談者は「お母さん」であり、その「お母さん」たちは「男の子はわからない」と「男の子」を理由にして子どもが理解出来ないと訴えているのでしょう。

そう思うと、「男の子ってのはこういうものですよ」ということを「お母さん」たちに提示するのはとても有効だと思いますし、その点でレビューで(Amazonのレビューは著者の関係者が【好意的に】書いていることも多いことを勘案して見た方が良いと思いますが)良い評価を付ける人が多いのだと思います。

が、でも、我が家の男の子たちはヒーローにも、昆虫にも、乗り物にも殆ど興味を示さず、この本で出ている【男の子】像とはかなり離れている印象でした。
なので、【男の子あるある話】としては面白いのですが、自分の子どもに当てはめられるかというと、かなり疑問ではあります。

ということで、割と最近(特にTが小学校に入学した辺りから)悩んでいることはまるで解消されませんでしたが、【男の子あるある話】や「男の子って分からなすぎる」と【男の子】を理由に子育てが難しく感じている人には面白い本にはなっているように思いました。
まぁ、個人的には、レビューにあったように、「男の子が産まれた人に是非プレゼントしたいです!」とかは、僕は「ないなぁ」と思いますし、これを長男が生まれたばかりの時にもらっていたら、この本の内容を真剣に受け止めてしまって、逆にジェンダーバイアスが働いてしまって余計子育てに困難を来してしまったのではないかな、と思います。
2015.05.29 Fri l 育児本 l top
虐待関連の本を読んでいますが、定番(?)の本のことを書いていなかったので書いてみたいと思います。


毒になる親 一生苦しむ子供


最近、日本でも「毒親ブーム」とも言えるような状況になっていて、「毒親」というキーワードで検索すればいろんな本や漫画、それにTVに出てくるような人が出て来ます。
その、TVに出ているような人だったり、本や漫画を書いている人たちを批判したりする意図は全くないのですが、僕自身が気になるのは、それらの人たちがことごとく【女性】だということです。

性虐待もそうなのですが、性虐待の被害者で声を上げていていたり、支援活動の対象になっているのが【女性】になっていて、【男性】の被害者がいるにも関わらずなかなか見えてきません。
今のこの日本の「毒親ブーム」も【女性だけ】の話になっているような印象を受けています。

それは体育会系の部活動などでも(これは親によるものではありませんが)、【鼓舞するため】という理由で、叩いたり、蹴ったり、あるいは肉体的にそのようなことをしなくても、厳しい言葉を投げかけられることがあります。
そういうことについて「それはおかしい」だとか「そういうのはイヤだ」ということを言えば、「男のくせに」だとか「女々しい」だとか言われてしまいます。

たとえば先日もこういう記事が流れていました↓
【これはひどい】日ハム中田選手のチームメイトへ嫌がらせにファンから失望の声が
今治西監督の処分上申 出場校選考への影響は否定 日本高野連
これに対して、「何をこの程度のことで」だとか「監督は友人でとてもいい人」という擁護の意見を少なくない数目にしました。
プロ野球選手や高校野球の監督でさえこの状況で、【親】だったらどうでしょう?
体罰をしたとしても、「親なら愛情を持っているはず」だとか「しつけの範囲だろう」とか言って片付けられてしまうのではないでしょうか。

こういう土壌がある中で、【男性】が親から受けたひどい仕打ちはなかなか素直に他人に言うことが出来ない状況にあると僕は思っています。
【女性】が言えば「つらかったねぇ」と言われることも、【男性】が言えば「何を未だにそんなことを言ってるんだ」と言われてしまうのです。

本の内容からずれているように感じるかも知れませんが、この【男性】【女性】の差について、受け手の子どもにとっては性別は関係がない、ということに気づかせてくれるものだと僕は感じました。
この本の中で出てくる、親から受けた行いで深く傷ついている人には【男性】も【女性】も出て来ます。

【男性】【女性】ということを気にしないで読む人も多いかも知れませんが、男性だろうが傷つく人は傷つくし、それは【男性】【女性】という性別は関係のないことです。
日本という文脈に照らし合わせたとき、この本に登場する人たちが【男女関係なく】出てくることで、逆に日本ではいかに【男性】と【女性】が区別されているか、浮き上がってくるように感じます。
2014.11.21 Fri l 育児本 l top
先日、性虐待に関する本を読んでいるということを書きました。
その中で、虐待の本を読む理由として、「自分自身も虐待をしてしまうかもしれない」ということを書いたのですが、ツレに「性虐待も?」と聞かれたので、一応書きますが、性虐待をしてしまう恐れは全く自分では感じていません。
むしろ、この性虐待は知れば知るほど恐ろしさばかり感じられて、子どもたちを守るにはどうしたら良いかはもちろんのこと、先日の記事でも書きましたが普段の生活で、身体を洗うのは性虐待っぽくなってしまうこともあるのではないか、と戦いています。

さて、前回に続いて性虐待の本を読みました。
6年前、2008年に出された本ですが、レビューなどを参考に、著者の経歴を含め、読むべきものだと思い、選びました。


子どもへの性的虐待


この本は、Amazonなどでよくあるような5段階評価をするのは少し難しい内容でした。
なぜ、5段階評価が難しいのかというと、たとえば、
○性虐待の現状と改善点に関して、著者が活動していた米国と日本を比較しながら詳述し、具体的提案をしている。
○性虐待が及ぼす、被害者への深刻な影響を詳述している。
○男性の性虐待にも触れられている。
とこれらの評価すべき点がいくつもある一方
ペドフィリアの欄で、過去の有名な殺人事件の犯人がその事実がないにも関わらずペドフィリアだとしている。
●事実に基づく記述がある一方、「~と聞く」と事実かどうか定かではないものが混同している。
●シンプルな誤記がある(これは著者というより校正者の問題かも知れませんが)。
というような評価しづらい点がいくつかあったからです。

なので、書物全体を、なんの注釈もなしに、「この本は良かったよ」と簡単に言うことは難しいものでした。

しかし、この本を読んでも改めて認識したのは、
○性虐待が及ぼす、被害者への深刻な影響
○男性でも被害に遭う(男性の場合は女性よりもさらに被害を公にしづらい)
この2点でした。

以下に引用する文章だけでも、性虐待の基本的な知識として子育てする人には知っておいてもらいたいものです。

国際的な研究の場でしばしば引用される子どもへの性的虐待の統計数値によれば、性的虐待は三~四人に一人の女子(Russel, 1986)、五~六人に一人の男子(Finkelhor et al., 1990)に起きてるといわれている。男子は女子にくらべてはるかに多く家庭の外で性的被害にあうこともわかっている。被害者はあらゆる年齢に及んでおり、米国の調査では、性的虐待の被害児の平均年齢は九・三歳である。これは〇歳から一八歳のちょうど中間年齢に当たる。被害年齢が幅広く分布していることを示している。


子どもへの性的虐待加害者の大半(七〇~九〇%)が子どもの知っている人である。フィンケルホーらの調査によると、性的虐待の加害者の大半は男性で、女子が被害者の場合は九八%が男性の加害者、男子が被害者の場合も八三%の加害者は男性である。女性の加害者も数は少ないけれども、いることは認識しておく必要がある。保護者による性的虐待は六~一六%で、親類縁者による性的虐待は二五%。知らない人による性的虐待は五~一五%である。


また、この本の中で日本で男性性虐待被害者のコミュニティを作って活動している方が紹介されており、その方を調べてみたところ、成人になってから「電車内で痴漢にあった」という男性の話がありました。
僕自身は満員電車に乗る機会もありませんし、そういう機会はありませんが、そういえば大学時代に、水泳をやっていた親しい友人がしていた「更衣室でよく性器を見せつけられる」という話を思い出しました。
その友人は痴漢などには遭っていない様子で、「困ったなぁ」という感じで話していましたが、小さい子どもなら相手が力尽くで行動してくる可能性も高くなるので、やはりあり得る話なのだな、と思いました。

衝撃的な事実かもしれませんが、現状を直視するのにはとても良い本だと思いました。
しかし、では「どうすれば、性虐待を行わないのか」という点についてはあまり触れられていませんでした。
僕自身が、子育てを今している身として一番良かった記述は、前回の本で「生まれた時から子育てに関わっている人ほど性虐待の加害者になりにくい」というものです。
これは「男性」加害者が多い理由(というか女性加害者が少ない理由)の一つなのかもと推測しています。
そういう意味でも、世の中の【男性の育児参加】が増えれば増えるほど、この問題が少なくなる可能性もあるのではないか、と思います。
2014.11.14 Fri l 育児本 l top
最近、これと言った理由はないのですが、虐待についての本を読んでいます。
もしかしたら、自分自身も虐待をしてしまうかもしれない、という恐怖がぬぐい去れないからかもしれません。

虐待については、その殆どの場合の【前提】が「肉体的・精神的暴力」に焦点が当てられていて、ふと僕はいつも気になる虐待があります。
それは、性虐待です。
性虐待は加害者はもちろんのこと、被害者も語るのが難しいし、周りの人が気づいても隠す場合があり、なかなか公の場面で語られることがないと感じています。

子育ての話で、虐待に関する話題が出て来ても、性虐待の話は一度も聞いたことがありません。
なので、性虐待の本を少し探して読んでみることにしました。


子どもと性被害


2001年に出版された本なので、もう13年も前のものなので、法律面では現在とは大きく変わっています。
しかし、この本で語られている内容は、13年経った今も尚、衝撃的な内容でした。
僕が読んで一番衝撃を受けた箇所を引用してみます。

「もし女の子が生まれたら、赤ん坊のうちに性器に小指かなんか、入れちゃおうか、なんて友達と話したことがあります。その子がどこの馬の骨かわからん男を恋人にしたら、『ほんとはオレの方が先にやってんだゾ』って、優越感をもつために。こんな遊び心が発展して、ほんとにやっちゃうことも、あるんじゃないですか」



この言葉自体が、違う性虐待に関する本(山口遼子、『セクシャル アビューズ――家庭に壊される子どもたち』、朝日文庫、1999年)という本からの引用なのですが、ものすごい衝撃を受けました。

なぜ衝撃を受けたのかといえば、13年(原著からは15年)経った今でも、酒を飲みながら、同じ内容を語る男性がいるだろう、という現実感があるからです。
このようなことを簡単に、笑って語る男性がいて、それをまた笑いながら受け入れるような土壌があるのではないか、と思うのです。

そして、また、この本の中で語られているのは、「被害者は一生残る深い傷を残すが、加害者は忘れていたり、覚えていてもあまり罪の意識はないということ」でした。

なぜそのようなことをしてしまうのか、ということにも注視しなければ、なりませんが、これほどまで大きな傷を残していながらも、性虐待はその多くが隠されているように思います。
性虐待そのものもそうでしょうし、本の中で出てくる【男児】が被害者になる場合は、ますます自分で声を上げにくく、上げたとしても逆にからかわれたり、奇異な目で見られてしまう、ということもあります。

この辺の状況は13年前(15年前)と今を比べてみても全く改善しているようには思えませんでした。
僕自身は、衛生面から子どもたちのおしりをお風呂で洗っていますが、この本で語られる被害者の声を読むと、それさえもなんだか触ってはいけないような気がしてきました。

『セクシャル アビューズ』の方は絶版のようですが、こちらの『子どもと性被害』の方はまだ流通しているようですし、図書館にもありそうなので、是非一読をおすすめします。
2014.11.04 Tue l 育児本 l top
春に初めて読んでみてすっかり夢中になってしまった漫画の新刊が出ていたので読んでみました。


コウノドリ(6)


そういえば、このブログに書いたかな?と調べてみたら書いてなかったので、書いてみます。
内容は、養護施設出身で本名等を伏せてジャズピアニストもしている産婦人科医が主人公の産婦人科で出会う人たちとのお話です。
主人公が「こんな人間いるわけないだろう」的な設定になっていますが、実は産婦人科医でピアニストという方は日本にもいるようです。

ピアニストとしての活動はあくまでも主題ではなく、産婦人科医としての日々出会う人たち(妊婦やそのパートナー、家族)に焦点が当てられています。
たとえば、今回の6巻であれば、子宮外妊娠、性感染症、口唇口蓋裂などが触れられ、今までだと、「障害」、DV、早産などが触れられていました。

               
コウノドリ(1)     コウノドリ(2)     コウノドリ(3)      コウノドリ(4)     コウノドリ(5)


僕自身は、産婦人科医でもありませんし、友人に産婦人科医もいませんが、子どもが3人いることや大学時の専門領域が生命倫理だったこともあり、子どもを授かる前から知識もたぶん他の人よりもあり、子どもたちが生まれてからは実際に、それらのケースも間近で見る機会もありました。

なので、【五体満足】が【普通】という認識は持っていなかったのですが、同時に、多くの他の人が【五体満足で生まれてくることが普通】と考えていることに戸惑いを感じていました。
いくら学会や学術誌で研究者たちが話し合いを重ねていたところで、多くの人の認識は変わらないというもどかしさも感じていました。

そうしたときに、この漫画を知り読んでみたところ、漫画でわかりやすいし、【五体満足で生まれてこないケースもそれなりにある】ということが伝わる、とても良いツールだな、と思いました。
特に今回は、今まで主人公が養護施設出身だったことは特に深く触れられていませんでしたが、3歳まで過ごしていた乳児院の先生(=お母さん)と再会する場面がありました。

妊娠、出産、子どもに関わることはとてもいろんなテーマ、出来事に触れていくものなので、この「養護施設で育てられる子どもたち」にも触れられていたのもとても良いな、と思いました。
子どもを授かりたいと思っている人、既にお腹に赤ちゃんがいる人、そして、子どもと接している人には是非読んでもらいたい、育児の方法などには触れられませんが、僕の中では子どもに関する本の中で一番おすすめの本です。
2014.09.27 Sat l 育児本 l top
前回書いたものが、書いた本人が一番驚いているのですが、少なくない反響がありました。
特に熱心な意見をくれたのは、現役、または元「教師」の方々からのような気がします。
その中には僕の子供への態度に対しての「批判」も含まれていましたが、現実世界では長男T(小2)は特にこれまでと変わることなく小学校に通っています。

さて、ネット上はあくまでも「言いっ放し空間」だと僕は思っているので、FacebookやTwitterでの反応に対する議論をするつもりはなく、現役or元「教師」の人たち、あるいは「教育」に関わっている(子供を育てている人全般も含みます)人たちから熱心なご意見をいただいているときに読んだ2冊の漫画を紹介したいと思います。
この2冊は「教育」「子育て」に関わっている「大人」には是非一読してもらいたいな、と思ったので紹介します。

1.発達しょうがい当事者の経験が描かれた『ニトロちゃん』


ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私

この『ニトロちゃん』は以前から「読みたいなー」と思っていたのですが、絶版になっていました。
しかし、この本が以前NHK(Eテレ)で紹介されたことがきっかけで文庫になって再度出版されたようです。
文庫になったのを知ったのは、先日ハートネットTVでやっていた「ブレイクスルー File6 弱点を笑い飛ばす 発達障害の漫画家・沖田×華」という放送を観たからです(再放送は6月2日13時5分~)。
そこで早速手に取って読んでみたのです。

TVでは作者の沖田×華さんが「発達しょうがい」当事者ということに焦点が当てられ、この本のサブタイトルも「みんなと違う、発達障害の私」となっています。
けれど、主人公のニトロちゃんの「思春期」が描かれているので、主な舞台は「学校」になっています。

この「ニトロちゃんを通して見る学校」が、僕自身が見ていた「学校」と同じものでした。
クラスでのグループ、いじめ、教師の「力」による支配、暴力、それらがすべておかしいと思うにもかかわらず、「学校」という選択肢しかなく、そこでどうにか生きていこうとするニトロちゃん。

「発達しょうがい」とはどんなものなのか、ということを知るには物足りないかもしれませんが、「大人」であること、「教師」であること、「人を育てる立場」にある人には、是非一度読んでもらいたいな、と強く勧めます。
こんなことを書いてはいけないのかもしれませんが、20分もあれば読み切れるので、買わなくとも手にとって読まれるのを願っています。

2.アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の主人公による子育て奮闘記『プロチチ(4)』


プロチチ(4)

『プロチチ』自体はすでに紹介したこともあり(1巻目2巻目3巻目)、特に前の3巻目があまり自分の中で評価が高くなかったので、新刊の4巻を買うかどうか、結構悩みました。
でも、3冊もすでに読んでいるしということで今回も読んでみたのですが、これが【あたり】でした。
ネタバレを含んでしまいますが、前半部分はどうでもよく、後半の「(アスペルガー症候群の)主人公とその母親との対話」がとてもよかったのです。

(アスペルガー症候群なので)主人公はとにかく母親にとって「育てにくい子供」であった(成人になった今も扱いにくい)と。
そして、「問題なのはアスペルガー症候群である主人公だ」と母親は考えていました。
親である自分が一番望んでいるのは、「特別優れてること」ではなく、「他の子より劣ってないこと」であると言います。

でも、あるきっかけで、それが「どんな子供であっても」「コントロールできない」ことを知ります。
そして、母親はそれまでの主人公への接し方を反省し、謝罪し、主人公もそれを受け入れます。
このエピソードがとてもいいな、と思ったのです。

3.「大人」は自分たちの「正しさ」を子供に押しつける。しかし、それを「それで良い」と言えるのは「子供」だけ。

『プロチチ』の最後のエピソードで2つの重要なことが書かれていたように思います。
1つは、「どんな子供であってもコントロールできない」こと。
1つは、「教育、子育てのやり方に対して「良いよ」と受け入れられるのは、教育、子育てを受けてきた子供自身である」ということ。

『ニトロちゃん』でも学校で起きることは、結局「大人」である教師(または母親)が「子供」であるニトロちゃんをコントロールしようとすることから問題が起きます。
というか、コントロールしようとしなければ、そもそもニトロちゃんの行動は「問題」ではありません。
そして、「大人」である教師は自分たちが「正しい」と信じ込んでいるので、ニトロちゃん(作者の沖田×華さん)がどんな思いをして(自死しようともしています)生きてきたかを知ろうともしません。

「教育」「子育て」に関わっていて、一番恐ろしいのは「自分が正しい」と思ってしまうことです。
そして、子供を「大人がいなければ正しくなれない存在」ととらえてしまうことです。
自分の「教育」「子育て」が「正しい」かどうかは、それらを受けてきた「子供」が決めることです。

この2冊を読んで、これらを再確認したのでした。
2014.05.31 Sat l 育児本 l top
先週やっていた、NHK「あさイチ」の<どう向きあう?わが子の不登校>という特集を見ながら新聞を読んでいると、吃音症を苦に自死した男性の話が載っていました。

伝えられぬ苦しみ「吃音」 就職4カ月、命絶った34歳

そして、この記事の中に出てくる漫画が気になり、kindleでも出ていたので早速読んでみたのですが、、、泣きました。


志乃ちゃんは自分の名前が言えない


不登校と吃音症が何故僕の中で結びついたのか。
それは、本人にとって「理解されない苦しみ」があるという点で共通していると思ったからです。

しかも、理解されないだけでなく、不登校の場合は「本当は学校に行きたい」だとか、行かないことでの「罪悪感」を持っていることと、吃音症の場合は「本当はうまく喋りたいけれど言葉が出てこない」、言えないことで更に緊張し、吃音が増してしまう、という「本当はしたいけれどうまくいかない」「うまくいかないことで自分を追い込んでしまう」というその部分が共通していると思ったのです。

あさイチの特集を見ていても、「不登校は親の責任」、「そんなんじゃ社会でやっていけない」、「親が甘やかしている」という意見が出ていました。
出演者の多くが、学校が好きでなかった(尾木直樹さんは高校を1年留年してもいらっしゃいますし)ということもあって、それらの意見をうまくかわすというか、反対していましたが、不登校も吃音症も一番苦しいのは本人なので、親がどう責められようが、少しでも本人が楽になれるように盾になれたら良いな、と思いました。

まだ、今、僕が盾にならなくてはいけないような状況は訪れてはいませんが、周りから何といわれようが、生きていくのは本人たちなので、ちょっと躓いてしまった時に、泥をかけてくるような人には盾となって、本人たちが立ち上がるまで泥を被り続けられるようにしたいな、と思ったのでした。
2014.01.29 Wed l 育児本 l top
タイトルに絵本と入れているのに絵本をほとんど紹介していませんが、今日は読んだ本のことを書きます。
読み終えたのは半年くらい前なのですが、感想をTwitterでつぶやいただけだったので、ブログにも書いておこうと思います。


死を招いた保育―ルポルタージュ上尾保育所事件の真相


出版社(ひとなる書房)の書籍案内にはこう書かれています。
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これは、けっして特殊な事件ではない。
どこの保育所でも起こりうる「人災」である。
小さな嘘、怠慢、思い込みとすれ違い……
日々のひずみの積み重ねが、
必然的に子どもの命を奪うことがあるかもしれないことに気付いて欲しい。
命の思いを背負った保育の質を問う、著者渾身のルポ!
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これだといまいちよく分からないのですが、埼玉県上尾市で起きた保育所での死亡事故についてのルポルタージュです。
実際に読んでもらうのが一番なのは当然として、色々なところでレビューが載ってますので、見てもらうといろんな意見があるのが分かると思います。

以下つらつらと感想(メモ)を書きます。

著者の技術的なことですが、保育士たちの配置、勤続年数、または事故時にどこで何をしていたかの表を付けて欲しかった。
事故調査報告書には記載されているので、付けることは簡単だったと思う。
これがあれば、「誰」が「どのような背景で」話しているのか分かりやすかった。

また、保育士たちの証言がいつどこでされたものなのかわからないので(調書なのか、裁判なのか、直接の聞き取りなのか)、これも書いてほしかった。
そして、プラスαで事故に関する時系列と証言の時系列表。
これらがあれば、「○○保育士が~」と書かれたときに、その保育士が保育所で、あるいは事故時どのような立場にあり、どこにいて、その発言がいつなされたのかが分かり、とても読みやすくなったと思う。

次に「上尾保育所で起きていたこと」に関しては、なぜこれを書いているのかが不明確な気がしました。
「死亡事故が起きるには様々な背景がある」ことを示したかったのかもしれないが、レビューなどでも指摘している人がいるように、少し糾弾的な視点をもって書かれているような感じであり、「ルポ」との印象は薄かった。
もちろん、様々な伏線があったことは分かるのだが。

少し批判的に書いてきたけれど、本書で良くわかるのは、「突発的に事故が起きた」のではなく、「伏線、前提があり事故が(起きるべくして)起きた」ということ。特に本書で読む限り保育士たちは自分たちの「保育観」「保育経験」を過信してしまっているように見える。

事故死自体は勿論のこと、「事件に至る経緯」にある両親と保護者の連絡帳でのやりとりの噛み合わなさがすでに痛ましかった。

時間的に長くやっていれば、自分の考え、行動が固定してしまうことは起きてしまうことで、自戒を込めるが自分の周りにいる教員もそういう人は少なくない。
もちろん人はそれぞれ違うし、時代も文化も、保育・教育観も常に変化する。それらを常に自覚しつづけることが必要。

ひとりの親としての感想になるが、これほど伏線、前提があった中で死亡してしまったことは、悔やんでも悔やみきれないと思う。
(いろんな情況を抱えた人がいることを承知の上で書くが)子どもが死ぬくらいなら仕事を辞める覚悟も必要なのではないだろうか。
単に教訓話としてしまうことは失礼なことだけれど、今現在、保育園に子供たちを預け、小学校に通わせている身としては、「伏線」「前提」を素早く察知出来るようにし、いつでも子どもに「行かなくていいよ」と言えるようにしておきたいと思う。

最後に、レビューで見た「自己責任なんだから(仕方がない)」という意見に反論しておきたい。
親は確かに保育所を変えたり、仕事を辞めるという選択肢があったかも知れないが、犠牲になった侑人君にどんな選択肢があったのだろうか。
彼はそこに通う以外の選択肢はなかった。
選択肢があったのだから「自己責任だ」という意見は今回に限らず、過労死、自殺など至る所で目にする。
しかし、1人の人間が死ぬという最悪な状況を「自己責任だ」と片づける社会は健全ではないし、自分がその立場になった時の想像力が欠けているように思う。
2014.01.15 Wed l 育児本 l top
早速インドの話は休んで、インド滞在中に読んだ育児本のことを書きたいと思います。


お母さんはしつけをしないで (草思社文庫)


著者は心理学者であり、カウンセラーでもある長谷川博一さん。
大阪教育大学附属池田小学校事件を起こした宅間守元死刑囚とも複数回接見しています。

そんな著者が書いたのがこの本で、内容はもうタイトル通り「しつけをしないで」ということが延々と繰り返されています。

「お母さん」と付いているのは、日本では、育児のファーストパーソンの殆どが母親だからで、他意はないようです。

現代のお母さんたちがいかに「しつけ」に縛られているかということ、そしていかにその「しつけ」によって子どもたちの人生に悪影響が出ているかということが述べられています。


僕がこの本を読んでいてすごく共感したのが「父性」について述べられているところです。

この言い方自体気になる方もいるかも知れませんが、以下のように「母性」と「父性」を分けています。

「母性的な姿勢」:「わかる」「認める」「受けとめる」「許す」「包みこむ」
「父性的な姿勢」:「わからない」「拒否する」「はねつける」「罰する」「断ち切る」


そして、今の「お母さん」(育児のファーストパーソン)たちは、多くの場合この「父性的な姿勢」で子どもに接するようになってきているのではないか、ということが指摘されていました。

「父性的な姿勢」というのは結局のところ「支配する―支配される(従属する)」という関係になります。


僕は以前からすごく気にかけているのが、この親と子どもとの関係が「支配する―支配される」関係になっているのではないか、ということでした。

子どもは自分の親しか知りませんし、端から見た大人からすれば、どんなに理不尽なことだろうが、子どもはそれを「普通のこと」として受け止めます。

親がどんなに子どもを「支配していない」と考え、行動したとしても、子どもは親を選べない時点で親は子どもを少なからず「支配している」のだと僕は思っています。

だから、元々彼ら子どもたちを僕は「支配してしまっている」ということを自覚しつつ行動しなければならないし、この本の中で繰り返し書かれているように、その関係(支配―従属)が親子で強固なものになればなるほど子どもの人生に悪影響を及ぼしてしまうことを自覚して行動しなければならないのだと思いました。


ちなみに、なぜこの本を読み始めたのかというと、やはり自分自身で「虐待」について考えざるを得なかったからです。

この本で書かれているのは「しつけ」と「虐待」の境界線は曖昧だということ。

僕が「しつけ」だと考えていても、もしかしたらそれは彼らにとっては「虐待」かも知れない、そういう態度を取っているかも知れない、そういう風に考えることがあったので読み始めたのでした。
2013.09.05 Thu l 育児本 l top