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私事ではありますが、選択的夫婦別姓制度を求めていた訴訟で、2015年末に出た最高裁判決を機に、離婚し事実婚として約2年ほど生活してきましたが、このたび、その事実婚も解消することになりました。


なぜこのようなごく私的な話を書いたのかというと、僕が家を出て行くにあたって、このブログなども閉鎖することになるからです。
この機会にあらゆる連絡先なども一旦リセットしたいと思っているので、多少なりとも実際に面識のある方々にご迷惑がかからなければと思っています。


事実婚解消の理由としては、2015年末に離婚した際にも書いた事なのですが(「夫婦別姓にするため離婚しました。」)、離婚した際に明らかになった、選択的夫婦別姓についての妻と僕との間の埋めがたい当事者意識の違いによるものです。

妻は今に至っても、夫婦別姓を求めての離婚は「B(僕)だけの希望」によるもの、という認識です。
僕が心底嫌がっていて、今もかなりストレスを感じている、離婚届の証人署名を僕の両親に書いてもらったことについても、離婚を求めたのは僕なので、署名も僕が求めた結果であり、何が不満なのか、と先日も反論されました。
(当初結婚自体に反対していた僕の両親が、10年経ち、夫婦別姓にするために離婚するということに反対していたので、2回も両親の気持ちを踏みにじることを僕はしたくありませんでした。
それを、妻は「B(僕)の希望」という一点で、一人で署名を取り付けに行き、その足で離婚届を一人で提出しました。)

最高裁判決が出た後も離婚を渋っていた妻に対して、10年間僕が妻の方の姓に戸籍上変えて生活していたことから、今後10年妻が僕の姓に戸籍上変えることなども提案しましたが、明確で合理的な説明もなく拒否されました。

妻は反論する際には、必ず「B(僕)の希望」だということを言ってきます。
僕の両親に離婚届の署名をもらったこと、離婚をしたこと、あらゆることは僕の選択であり、僕だけに責任がある、と。
あくまでもこの離婚や夫婦別姓を求めているのは「B(僕)の希望」というスタンスを取っており、僕だけの問題だという認識です。

僕としては、これは僕だけの問題ではなく、妻と僕という2人のパートナーシップの問題なのだ、ということを幾度となく伝えて来ましたが(だからこそ今後の10年間妻が姓を変えることを提案しました)、妻はそれを理解出来ないようです。
10年以上にわたり僕自身はこの苦しみ(本来の名前を正式に名乗れないこと、それに伴う苦しみやつらさを一番身近で両者の問題であるはずのパートナーに全く理解や共感をされないこと)に耐えて来ましたが、離婚してもむしろ妻との認識の差が明確になるばかりでした。

離婚後の2016年から1年間、僕はかつて患っていたうつ病がぶり返し、この問題に蓋をすれば良いのだと思ってきたのですが、2017年の終わりから再度社会的に大きな問題として取り上げられた選択的夫婦別姓ということについて、やはり蓋をしてはダメなのだと思い至りました。
そして、妻と何度か話し合いの機会を持とうと試みましたが、妻はその認識の差を埋めるつもりもなく、話しあうこともないということが、明確になりました。

妻は当事者意識を持つつもりもなく、何度話し合いを求めても、その度に妻は話を逸らしたり、僕だけの責任・問題に転嫁したりと、話し合いをするつもりがなく、これ以上話し合いを持ちかけることは出来ないと思い至りました。

選択的夫婦別姓に関しての世論を見ると、反対は感情論ばかりで、合理的な意見は見たことがありません。
「家族としての一体感が失われる」「日本の伝統」等々。
それらの意見に対し、「結婚して姓を変えた子どもは家族ではないのですか?」「明治期からの制度を「日本の伝統」というのですか?」と反論したところで感情として否定してるだけなので、反論が受け止められることはありません。
メディアやネット上でのそのような感情論での意見には、全くの他人の意見として無視することが出来ますが、パートナーとはそういう訳にはいきません。

話し合いをすることが大切なのだ、話しあえばいつかわかり合える、という淡く幼い希望を抱いて来ましたが、パートナーであっても、メディアやネットで出てくる意見と同じく、わかり合えないのだ、人の意見を受け止めることもなく、ただ嫌だから話したくないし、「B(僕)の問題」「B(僕)の責任」「B(僕)の選択」「B(僕)の希望」にすることでしか反論に対して意見を言えないのだ、ということが12年という年月を得て、漸く僕にも理解出来るようになりました。
合理的な反論はなく、本人が「合理的」だという反論は「B(僕)が希望したから」というものだけでした。
本人にも伝えましたが、これは合理的な意見ではなく、単に責任を転嫁しているだけです。
パートナー関係を続けるにあたって、一番親密でありたい人と関係を築き上げるにあたって、一番基礎となるものだと僕が考え、そして実際のパートナー関係で問題になっていると感じ、辛い思いをしてきたこの件を話し合おうとしない人とはパートナー関係を築くことはできない、と思い至りました。

今後は末っ子の娘が4月に小学校に入学するタイミングで、僕が家を出て行こうと考えています。
そもそも、僕はほぼ専業主婦的な役割を担ってきましたし、離婚の際に、全ての親権は妻が持っていったので、僕だけが出ていくという選択が子どもたちにも一番負担の少ない方法だと考えています。

このこと、4月からは僕は一緒に生活しないことは子どもたちにも伝えました。

離婚、あるいはパートナー関係解消ということを書くと少なからずショックを与えてしまうかも知れませんが、個人的には、12年かかってしまったものの、この選択的夫婦別姓を求める動きの中で、相手にはパートナー関係を築こうという気が丸でなかったということが明確になって良かったと思います。

きっとまた、この件も妻は「B(僕)だけの責任」にするのでしょう。
それに毎回ものすごいストレスを感じ、反論して来ましたが、僕はその「B(僕)だけの問題」「B(僕)だけの責任」という妻からの呪縛からそろそろ自由になりたいと思います。

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2020.02.03 Mon l 日々雑感 l top
家事をほぼしない妻

結婚していようが結婚していまいが、同居人がいると必ずと言って良いほど発生するのが、家事における同居人と自分との負担感の違いから来るストレス。

ツレ(妻)との同居生活も12年経ち、結婚当初は僕に家事を教えていたり、だめ出しをしていたツレですが、いつの間にかツレは絶望的に家事をしなくなりました。

あまりにも家事をしないので、数年前から強制的にやらせているのが、夕食の洗い物です。
ですが、ツレとしては、夕食の洗い物をしていれば他の家事をしなくても許されると思っているのか、他の家事は全くやりません。

自分ばかりに負担がある(負担感が重い)環境は本当にストレスで、最近では、この日々の積み重なるストレスでまた心身の体調を崩しています。

家事の見える化―ホワイトボード作成―

口で言っても(その時だけはやる時がたまにあるけれど)ツレはやらないし、どうしたものかと思っていたら、Twitterで、こんな投稿を目にしました。




探してみたら結構実践している人たちがいて、材料も100円ショップで揃えられるとのことだったので、早速作ってみました。

6331_n.jpg


ホワイトボード導入(家事の見える化)後の変化


ホワイトボードを作り、家事の見える化をした当初は、ツレだけでなく、子どもたちも関心を示し、自分もやりたい!=自分のマークも付けて欲しい!と言っていましたが、徐々に僕以外の同居人の関心が低下。

ツレも、当初は、自分がいかに何もしていないのかを自覚したのか、マークが夕食後の洗い物以外にも付けることがありましたが、それもやはり1ヶ月経つ頃には元に戻ってしまいました。

結果、何が起きたかというと、僕のストレスが増しました…。

というのも、このホワイトボードによる家事の見える化は、僕が日々のやらなければならないことをチェックするという役割もあるので、毎日毎日「これは終わった。」「あっ、これやってなかった。」と確認しているのですが、そうすると、結局自分だけがマークを付けることになります(夕食の洗い物以外)。

特に、毎年ツレは仕事が秋からの半年くらい遅く帰ってくる事が増えるので、そうすると夕食の洗い物も当然僕がすることになります。
すると、すべての家事を僕のマークが埋め尽くすことになります。

そうすると、何が起きるか。
毎日毎日、僕だけがほぼすべての家事をしている、という現実を毎日毎日突きつけられることになります。

結果、ツレが家事をしないことで、たまりに溜まり心身の不調としても現れていたストレスがますます溜まることになりました。
最近では服薬こそしていませんが、以前、うつ病で服薬していた時の様な心身の不調が現れてきています。
希死念慮もハンパないですが、まぁ、僕がいなくなれば、必然的にツレも家事をやらざるをえないので、それはそれで良いかな、と思ったりもします。

ということで、家事の見える化は、同居人が家事をするようになれば良いのですが、以前と変わらないままだと、自分への負担感が更に増してストレスが倍増しますので、お気を付け下さい。

2018.01.11 Thu l 日々雑感 l top
新年あけましておめでとうございます。

昨日まで、高3(?)以来の京都に行っていました。
というのも、毎年、高校時代の同級生2人と会っていて、数年前から30日、31日と宿泊するようになりました。
1人が大阪勤務(A)、もう1人が京都勤務(B)で、2人とも関西にいて、Aには夏に子どもが生まれたからか、いつも企画してくれるBに初めて関西に呼び出されました。

僕だけが関西に行くのだろうと思い(あとでBが東京に転勤していたことが判明)、29日の夜行バスで京都へ行きました。
集合時間はお昼だったので、それまでの時間、今まで行ったことがなかった嵐山に行って来ました。



朝の6時頃に京都駅に着き、そこから朝食を取り、7時過ぎには嵐山に。
さすがに殆ど人もおらず、開いているお店も殆どなかったのですが、その代わり、のんびり歩き回ることが出来ました。

テレビや写真で何回も観たことのある竹林も良かったのですが、今回とても良かったのが祇王寺です。

祇王寺

大覚寺との共通券だと安くなり、大覚寺だけの拝観料に100円足すだけで、時間はたっぷりあったので、祇王寺の存在は知らなかったのですが行ってみることにしました。
京から逃れるようにして暮らしていたということで、ひっそりしてそれがとても居心地の良い空間にしていました。



嵐山の中でも駅からは結構歩くので人も少なく、1年を振り返りつつ、心を静めることが出来ました。

2017年ほど「ただ生きているだけ」という年はなかったように思います。
新しいことにチャレンジするでもなく、ただ目の前のことをこなすだけ。
そしていつの間にか1年が過ぎていました。
チャレンジしたわけでもないので、後悔することさえもありませんでした。
こうやって2018年、またこれからも過ぎていくと思うとぞっとします。

大きなことにチャレンジすることはないと思いますが、毎日毎日、ちょっとずつのチャレンジを続けていけるようにしたいと、新年を迎えるにあたって改めて思いました。

みなさまにとっても、良い年となりますように。
2018.01.01 Mon l 日々雑感 l top
昨日に引き続き(「大学生たちの語る未来に感じるもやもや」)、朝日新聞がやっている朝日新聞DIALOGというものの中にあった、「男子のホンネ座談会」という記事についてです。

朝日新聞DIALOG

「男子のホンネ座談会」【前編】 「働きたい系女子」のわたしが、今こそ「男子のホンネ」を聞きたかった理由
「男子のホンネ座談会」【後編】 「家族が大事、だからこそ……」。働きたい女性のみなさん。バリキャリ男子のホンネ、知っていますか?

昨日の投稿では、前編に焦点を当てつつ、いくつかのトピックで僕が感じたもやもやについて書いていきましたが、今日は個別の話というよりも、前後編を読んで全体で感じた違和感についてです。

座談会メンバーが全員恵まれた環境にいる

座談会全体の様子を読んでいて感じた違和感は、座談会に参加しているメンバー全員が、恵まれた環境にいる、ということです。

何をもって「恵まれている」と見ているかというと、今回の場合は、そこで語られていた【家庭環境】についてです。
家庭環境の中には、両親やきょうだいとの関係、勉学等に励める環境の有無などが含まれます。

キャリア志向の女性についてどう思うかという質問の流れでこんな言葉が出て来ました。

「仮にお母さんが働き出すとして、どのタイミングならお母さんが家にいなくても大丈夫だった?」



この質問に対して、「大学、かなぁ…」という返答があるのですが、そもそも現在、専業主婦(主夫)とその子どもという家庭を築ける家庭は多くありません。
子どもである自分が心身ともに健康で過ごすためには、それを支える母親が必要だったと感じている上での発言ですが、そもそもその環境にいたということ自体がとても恵まれています。

座談会メンバーの大学を見ると、慶應義塾大学、中央大学、東京大学となっていて、一番学費の安い東京大学は国立大学ですが、日本学生支援機構が数年ごとに調査している平成26年度学生生活調査にある学生の親の年収も調査を見てみたいと思います。

平成26年度学生生活調査(日本学生支援機構)=PDF

家庭の平均年収と、一番割合の多い世帯を書くと以下の通りです。

国立 839万円(700~800万円:10.6%)
公立 733万円(500~600、600~700万円:11.5%)
私立 826万円(600~700万円:11.2%)



また、国税庁から出されている平成27年分民間給与実態統計調査を見ると労働者の平均年収は以下の通りです。

平成27年分民間給与実態統計調査=PDF

労働者全体 420万4千円
うち正規雇用 484万9千円
同非正規雇用 170万5千円



これを見ると、座談会で語られているように、専業主婦がいる家庭で育ったから、自分もそういう家庭を築きたいということだと、育ってきた家庭の年収は平均年収の倍近くを一人の親が稼いでいた家庭だったと推測されます。
同じ調査の結果をみると年収800万円を稼いでいるのは全体の2.7%ということなので、経済的にかなり恵まれている環境で育ったと考えて良いのではないかと思います。

細かい数字にこだわることはこの話の主題ではないのでここまでにしますが、日本の中でも数%の経済的な状況、勉学などに集中出来る環境、そして、家族とも良好な関係が築けている、というのは、かなり恵まれた環境にいる、逆に言えば、もはや特殊な環境にいる、と言っても良いのではないかと思います。

なので、僕がこの座談会を読んで感じた強烈な違和感は、この座談会のメンバーは、マジョリティの意見ではなく、むしろ、マイノリティの意見なのではないか、ということです。
この座談会は別にマジョリティの意見だということを標榜しているわけではないので、それに対して批判するつもりはないのですが、この座談会で男子大学生たちが語っている未来というのは、かなり特殊な意見なのではないか、ということです。

今の状況では、働きたいか/家庭にいたいか、という選択肢すら与えられない状況の家庭が多いのです。
女性の多くは「働かなくてはいけない」状況にあり、それは本人の希望やパートナーの希望とは関係がありません。

にも関わらず、パートナーである男性たちが、家庭と仕事を区切り、家庭は女性の役目であるとして、主体的に担おうとしない結果、(殆どの場合女性たちが)苦しみ、大きな問題になっているのではないでしょうか。

だから、この座談会というか、もし、「日本の未来を語る」のであれば、女性も働かざるを得ないにもかかわらず、主体的に家庭や子育てに取り組もうとしない男性たちがいかに主体性を持てるようになるのか、あるいは、周りの人たちがどのようにそれらの人たちを支えることが出来るのか、を主題にするべきだったのではないかと思います。


ということで、来年もみなさまにとって良い年になりますように願っています。
2017.12.31 Sun l 日々雑感 l top
先日、Facebookで知人が(少しネガティブに)紹介していたものが目にとまりました。

それは、「男子のホンネ座談会」というタイトルのもので、どうやら朝日新聞がやっている、朝日新聞DIALOGというものの中の一つの企画のようでした。
購読しているのにこの存在をこの時初めて知りました…。

朝日新聞DIALOG

「男子のホンネ座談会」【前編】 「働きたい系女子」のわたしが、今こそ「男子のホンネ」を聞きたかった理由
「男子のホンネ座談会」【後編】 「家族が大事、だからこそ……」。働きたい女性のみなさん。バリキャリ男子のホンネ、知っていますか?

是非、僕がこれから書くことを読む前に、上に載せた座談会の内容を読んでもらいたいと思います。
前後編読んでもらいたいのですが、今回のこの投稿は、書き始めたらすごく長くなってしまいそうだったので、とりあえず前編のみを対象にしています。

学生や社会人一年目の若者を捕まえて、批判するのは年長者としてどうなのか、と思う気持ちに少しなったものの、そのまま放置するのもいけないような気がするので、僕が感じたもやもやした気持ちを来年に持ち越さないためにも、気になった点を箇条書きであげてみたいと思います。

1.結婚&子どもが生まれることを「当たり前」だと感じている

初っ端から感じた違和感は、自分たちが結婚できると思っていること、そして子どもが生まれてくると思っていることです。
結婚していて、子どもが3人いる僕が言うのはおかしいのかも知れませんが、結婚をしていないorしたくても出来ない人たちはたくさんいますし、さらに、例え結婚したりパートナーがいても、子どもをすんなり授かるとは限りません。
なのに、自分は当然結婚できると思っているし、その延長線で当然子どもが生まれてくる、そのことに何の疑問も持っていない点がものすごく気になりました。

2.パートナーの人生はオレが決める

強烈な違和感を感じたのが、将来築きたい自分の家庭を語っている中での、パートナーに対して自分が絶対的な主導権を持っているという感覚です。
百歩譲って、質問の仕方が「パートナーとの『共働き』についてどう思いますか?」というものなので、自分がどう思うか、つまり、自分が決定権があるかのような聞き方になっていることも影響があるのかも知れません。

パートナーの共働きに対しての答えやその流れでこんな言葉が出て来ました。

「働いてくれてOKです。」
「「出産後も働きたい」って言われることが怖いです。」



司会が女性なので、かなり突っ込みを入れていますが、何故男性が女性の生き方を決定出来ると思っているのか、ものすごく疑問を感じます。
女性だけではなく、子どもにも、また家族ではない他のあらゆる他者に対してもですが、誰かの生き方をコントロール出来る、と思うことはものすごく強圧的で傲慢な態度だと思います。

自分が誰かの人生をコントロール出来るということは、逆に言えば、自分の人生も誰かにコントロールされても構わないということになると思うのですが、何故か自分はパートナーに対して決定権を持っているけれど、パートナーは自分に対してそんな決定権はないと考えている、というかその点については全く想像していないようです。

「働いてくれてOKです。」という言葉は、パートナーであっても何故か自分のコントロール下にありますし、「「出産後も働きたい」って言われることが怖いです。」という言葉は、自分の思い通りにパートナーの生き方をコントロールしたいという気持ちの表れです。

逆に、将来結婚しようと思っているパートナーから、「働いてくれてOKです。」とか「「子どもが生まれた後も働きたい」って言われることが怖いです。」と言われたら、彼らはどう反応するのでしょうか?

3.子どもを育てるのは女性?

共働きについての話の中でものすごくカチンときたのが、

「仕事も子育ても好きだから、責任を持って両立させるって言ったのに、やらないのはダメじゃないですか。」



という言葉です。

何故、女性だけが仕事と子育てを「責任を持って両立させ」なきゃいけないのか、と。
お前(男性)は何やってるんだよ、と。
お前も「責任を持って両立させ」ろよ、と。

主夫をしていると良く聞かれるのが、「子育てで女性じゃないと出来ないこと、女性にはかなわないと感じる事はありますか?」というものがあります。
主夫仲間で話していて共通するのは「出産だけは女性しか出来ない。それ以外は女性だから男性だからというものはない。」ということです。

出産は、どんなに望んでいても、今現在は男性には出来ません(「出産出来るなら自分がしたい」という男性の意見は何人かから聞いたことはあります)。
授乳に関しても、今はミルクもいろんな種類がありますし、オムツ替えやお風呂、洗濯なども当然性別に関係ありません。

なのに、何故か子育ては女性がやるものだと決めつけている。
子どもを授かったら、生き方を変えないといけないかも(変えざるを得ない)と言っているにもかかわらず、何故、子どもを育てる責任を女性だけに押しつけるのか。

他にも突っ込みたいことがありますが、それに触れると全く違う問題に触れてしまうことになってしまうので、とりあえず、このくらいにしたいと思います。
学生時代からこんな意見の男性ばかりが身近にいたら、子育てはおろか結婚なんてしたいと全く思わなくなるのではないかと思います…。

2017.12.30 Sat l 日々雑感 l top
僕は写真を撮るのが割と好きなので、カメラを何台か持っています。
ごつい一眼レフ、ミラーレス、コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)の3種類です。

それぞれ一長一短あるのですが、今回はカメラの比較とかではなく、壊れてしまった(正確には動作がおかしくなった)ので修理に出した話です。
山に登るときに、持ち運びが楽なので、コンデジを持って行っています。

僕が持っているコンデジはこれ↓


ソニー SONY デジタルカメラ DSC-RX100 1.0型センサー F1.8レンズ搭載 ブラック Cyber-shot DSC-RX100


RX100シリーズは毎年の様に新しいものが出ているのですが、この初代機は未だに人気があるようで今も売っています。

このカメラ、電源ボタンを押しても、レンズが上手く出てこなくなりました。
電源を入れると、レンズが中途半端なところで止まり、「電源を入れ直してください」との表示。

最初は、そこまで高い頻度ではなかったのですが、10回に9回はこの症状が出て、ちゃんとカメラが作動することが少なくなってしまいました。

同じ症状の人を調べた結果、レンズの隙間からゴミが入ったことによるものだということで、クリーニングをしましたが、少しだけ症状が良くなりましたが、やはり根本的な解決には至りませんでした。

ということで、修理に出そうか、と。
そこで気になるのは修理代。
SONYのサイトから調べてみたら、17,496円

高い…。
気に入っていますが、初代機なので、新しいものを買おうかとも思いましたが、後継機は軒並み60,000円を超え、同じ初代機も35,000円以上。

修理代の方が安いので、泣く泣く修理に出しました。

もちろん、金額は高く、かなり痛い出費だったのですが、ある程度満足する結果でした。

IMG_0270.jpg


修理に出して良かった点を挙げてみると、こんな感じです。

①公式ホームページから申し込み後、翌日には回収され、3日後には手元に戻ってきた。
②梱包が念入りだった。
③交換済み部品も手元に帰ってきた。

①修理を申し込んでから、回収に来て、さらに戻ってくるまでの早さには驚きました。
カメラを持っていきたい外出の用事があったので、悩む前にささっと修理に出しておけば良かったと思いました。
(外出には違うカメラを持っていきました)

②梱包についてはこの手の修理を出したことがないので比較出来ませんが、真空パックに包まれていたり、衝撃吸収が工夫されていて良かったです。

③そして、何より良かったのは、交換された部品が手元に戻ってきたこと。
これが帰ってきたことで、どこがおかしかったのかが素人でも一目で分かります。
(やはりレンズのセンサー部分がおかしかったようです。)

もちろん、修理に出すようなことがないのが一番良いのですが、高い修理代を出しただけのことはあったので良かったです。

ちなみに、その後にも電話で「修理後のカメラの調子はどうですか?」というアフターフォローもありました。
2017.09.13 Wed l 日々雑感 l top
以前も一時期購読していたのですが、東京新聞をまた購読し始めました。
基本的には実家にいる時から朝日新聞を読んでいて(実家は朝日と日経)、今も朝日新聞を読んでいます。
実家にいるときから朝日を読んでいたからということで、結婚してからも購読していましたが、ここ数年は、紙の新聞代+500円でデジタル版が読めるので、紙をツレが読み、僕はデジタルで読んでいます。

東京新聞を読むことになったのと、やめた理由は以前かいのでそちらに譲りたいと思います。

朝日新聞購読継続を悩んだ末に(2014.10.18)
新聞やめました(2015.04.21)

今回東京新聞の購読を再開したのは、やめたときにはまだなかったか、あるいはあっても評判の良くなかった電子版があったからです。
東京新聞は、朝日新聞とは違い、紙とデジタルが同じ値段です。
なので、紙では購読せず、デジタルだけで読んでいます。

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都議選があったり、初月は無料ということなので、7月から購読を開始したのですが、ラッキーなこともありました。
それは、ちょうど俳人の黛まどかさんが四国遍路についての連載を開始したことです。

僕が今やりたい、秋にやろうとしているのが四国遍路(「お遍路(四国八十八箇所巡り)がしたい」)。
9月くらいまで連載するようなので、実際に行く前の良い予習になりそうです。
2017.07.08 Sat l 日々雑感 l top
ツレの影響で勝間和代さんのメールマガジンに登録しています。

オフィシャルメールマガジン 勝間和代

僕はビジネスマンでもないので、無料のものを登録しているのですが、今朝送られてきた内容が、自分の強みに関してのものでした。

強みと幸せと成功の関係(勝間和代Official Web Site)

自分の強みを測るものとして、VIAとストレングスファインダーが紹介されていました。
僕は既にストレングスファインダーはやったことがあるので、今回、VIAをやってみました。

「VIA-IS」とは(一般社団法人ウェルビーイング心理教育アカデミー)

120の質問に答えると21の徳性について順番に表示されるのですが、僕の結果は以下の通りでした。

スクリーンショット (24)
スクリーンショット (25)
スクリーンショット (26)
スクリーンショット (27)
スクリーンショット (28)


「公平さ」、「知的柔軟性」、「向学心」、「スピリチュアリティ」、「親切心」。

勝間さんの開いたセミナー(?)ではこれらの徳性から「幸せ」にどうつなげるかを考えたのだと思うのですが、僕自身ではこれをみてもどう「幸せ」とつながるのかは、思いつきません。
でも、ストレングスファインダーでもそうでしたが、自分としては意外なものは無かったので、これを自分の徳性/特性、あるいは強みだと考えて、より強みが活かせるような生き方をしていきたいなと思います。
多分、そうすると自分自身のストレスも減るだろうし、ストレスをあまり感じずに生きていけるような気がします。

子どもたちにはまだ早いですが、もう少し大きくなったらどんな徳性をもっているのか知りたいです。
2017.06.28 Wed l 日々雑感 l top
先日紹介した、『内向型人間のすごい力』という本、本を読んでこんなことを感じたのは初めてなのですが、自分が肯定されたように感じました。

先日書いたものでは僕自身がどこにそういうことを感じたのかを書けなかったので、書いてみたいと思います。

僕にとって、すごく大きかったのは、「人と会う」という行為についての記述でした。
よく知らない人と会話を交わすのも、人が大勢いる場も苦手です。
ある程度知っている人たちであっても、ずっとその場にいると疲れてきてしまいますし、基本的にパーティなどでは隅にいるのが楽なので、隅にいることになります。
僕にとっては、そういう大勢の人がいる場で隅にいる、ということは全く負担ではないのですが、「何故交わらないのか?」ということで逆に心配されたりしてしまうこともあり、そうすると余計に疲れてしまう、ということがあります。
そういう経験を度々してきて、パーティや大勢の人がいる場を楽しめない僕は人間として何か欠けている部分があるのではないか、と思ってきました。

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このよく知らない人となんでもない話をすることや、大勢の人がいる場が苦手、ということについて、内向型、外向型という気質を説明する中で、こんな記述がありました。

ユングによれば、内向型は自己の内部の思考や感情に心惹かれ、外向型は外部の人々や活動に心惹かれる。内向型は周囲で起きる出来事の意味を考え、外向型はその出来事に自分から飛び込んでいく。内向型はひとりになることでエネルギーを充電し、外向型は十分に社会で活動しないと充電が必要になる。



内向型、外向型という気質の定義は明確になっているとは言えないとのことですし、そもそも100%内向型、100%外向型という人も存在しないと思われるのですが、いくつかの点で合意されているものとして、具体的な例が書かれていました。

とはいえ、最近ではいくつかの重要な点で合意に達しているようだ。そのひとつは、内向型と外向型とでは、うまく機能するために必要な外部からの刺激のレベルが異なるという点だ。たとえば、内向型は親しい友人とワインをほどほどに飲むとか、クロスワードパズルを解く、読書するといった低刺激が「ちょうどいい」と感じる。外向型は初対面の人に会うとか、急斜面でスキーをする、ボリュームを上げて音楽を聴くといった高刺激を楽しむ。



端的に、パーティなどについてもこのように書かれています。

外向型はディナーパーティに活気をもたらし、あなたのさほど面白くもないジョークに大声で笑ってくれる。積極的で、主導的で仲間を強く求める。(中略)
対照的に、内向型は社交スキルがゆたかでパーティや仕事の付き合いを楽しむ人もいるにはいるが、しばらくすると、家でパジャマ姿になりたいと感じる。限られた親しい友人や、同僚や、家族との関係に全エネルギーを注ぎたいと思っている。しゃべるよりも聴くほうを好み、ゆっくり考えてからしゃべり、会話よりも書く方が自分をうまく表現できると感じることが多い。



これらの記述を読んで、自分自身が少なくとも何か人として「欠けている」のではない、ということが明らかになったような気がしました。
小学生の時にはサッカーという集団競技をやっていましたが、基本的には集団で群れることは苦手で、そうすると、「協調性が欠けている」だとか「協調性が欠けているのではないか」という指摘もされてきました。

でも、この外向型、内向型の人たちの記述を読んで、そもそもたくさんの人と会ったりすることが全く違う行為なのだと分かりました。
外向型の人にとっては、たくさんの人と会うという行為が食事をしたり眠るといった、エネルギーを溜めるものであって、でも、それは内向型の人にとっては、食事でも睡眠でもなく、体力や気力を消耗する行為であるということ。
みんな(だと僕は今まで思ってきました)食事や睡眠を楽しんでいるのに、僕がそれを楽しめないのは、僕がおかしい、と思ってきました。
でも、僕以外の人でも楽しめない、疲れてしまう人がいるのだ、ということを知れたこと自体が、自分を肯定されたような気持ちになりました。

まぁ、これからもたくさんの人と会ったりしなくてはいけない場面に遭遇するかと思いますが、そもそも僕はそういう場でエネルギーを消耗してしまう気質なのだ、と分かった上で行動できるようになるのは、今後にとてもプラスに働くような気がしています。
2017.06.21 Wed l 日々雑感 l top
「なんだか生きづらいな」、と感じているものの、「生きづらい」というのは、誰か他の人と比べることが出来ないので、他の人も同じくらいなのかも、と思ったりします。

生きづらいな、と感じている理由は、ツレからも指摘されていた「発達障がい」的要素があるからなのかも、と長い間感じていたのですが、自分の中ではあまりそこのことにしっくりした感じはありませんでした。

でも、最近、発達障がいではなく、違う気質によるものなのかも知れない、と思い始めました。
それはある本(『内向型人間のすごい力』)を読み始めたからなのですが(今度レビューを書きたいと思います)、丁度ハフィントンポストでも同じことについて書かれた記事が載っていました。



僕が読んでいる本では「内向型」と言っていますが、この記事ではHSP(Highly Sensitive Person)と書かれていますが、両方とも同じことを表しているのです。

上の記事では、チェックリストが載っているので、もし、生きづらい、と感じている人がいたら、是非やってみて下さい。
ちなみに僕はHSP度が100を越えていました。
2017.06.12 Mon l 日々雑感 l top
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