以前も一時期購読していたのですが、東京新聞をまた購読し始めました。
基本的には実家にいる時から朝日新聞を読んでいて(実家は朝日と日経)、今も朝日新聞を読んでいます。
実家にいるときから朝日を読んでいたからということで、結婚してからも購読していましたが、ここ数年は、紙の新聞代+500円でデジタル版が読めるので、紙をツレが読み、僕はデジタルで読んでいます。

東京新聞を読むことになったのと、やめた理由は以前かいのでそちらに譲りたいと思います。

朝日新聞購読継続を悩んだ末に(2014.10.18)
新聞やめました(2015.04.21)

今回東京新聞の購読を再開したのは、やめたときにはまだなかったか、あるいはあっても評判の良くなかった電子版があったからです。
東京新聞は、朝日新聞とは違い、紙とデジタルが同じ値段です。
なので、紙では購読せず、デジタルだけで読んでいます。

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都議選があったり、初月は無料ということなので、7月から購読を開始したのですが、ラッキーなこともありました。
それは、ちょうど俳人の黛まどかさんが四国遍路についての連載を開始したことです。

僕が今やりたい、秋にやろうとしているのが四国遍路(「お遍路(四国八十八箇所巡り)がしたい」)。
9月くらいまで連載するようなので、実際に行く前の良い予習になりそうです。
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2017.07.08 Sat l 日々雑感 l top
ツレの影響で勝間和代さんのメールマガジンに登録しています。

オフィシャルメールマガジン 勝間和代

僕はビジネスマンでもないので、無料のものを登録しているのですが、今朝送られてきた内容が、自分の強みに関してのものでした。

強みと幸せと成功の関係(勝間和代Official Web Site)

自分の強みを測るものとして、VIAとストレングスファインダーが紹介されていました。
僕は既にストレングスファインダーはやったことがあるので、今回、VIAをやってみました。

「VIA-IS」とは(一般社団法人ウェルビーイング心理教育アカデミー)

120の質問に答えると21の徳性について順番に表示されるのですが、僕の結果は以下の通りでした。

スクリーンショット (24)
スクリーンショット (25)
スクリーンショット (26)
スクリーンショット (27)
スクリーンショット (28)


「公平さ」、「知的柔軟性」、「向学心」、「スピリチュアリティ」、「親切心」。

勝間さんの開いたセミナー(?)ではこれらの徳性から「幸せ」にどうつなげるかを考えたのだと思うのですが、僕自身ではこれをみてもどう「幸せ」とつながるのかは、思いつきません。
でも、ストレングスファインダーでもそうでしたが、自分としては意外なものは無かったので、これを自分の徳性/特性、あるいは強みだと考えて、より強みが活かせるような生き方をしていきたいなと思います。
多分、そうすると自分自身のストレスも減るだろうし、ストレスをあまり感じずに生きていけるような気がします。

子どもたちにはまだ早いですが、もう少し大きくなったらどんな徳性をもっているのか知りたいです。
2017.06.28 Wed l 日々雑感 l top
先日紹介した、『内向型人間のすごい力』という本、本を読んでこんなことを感じたのは初めてなのですが、自分が肯定されたように感じました。

先日書いたものでは僕自身がどこにそういうことを感じたのかを書けなかったので、書いてみたいと思います。

僕にとって、すごく大きかったのは、「人と会う」という行為についての記述でした。
よく知らない人と会話を交わすのも、人が大勢いる場も苦手です。
ある程度知っている人たちであっても、ずっとその場にいると疲れてきてしまいますし、基本的にパーティなどでは隅にいるのが楽なので、隅にいることになります。
僕にとっては、そういう大勢の人がいる場で隅にいる、ということは全く負担ではないのですが、「何故交わらないのか?」ということで逆に心配されたりしてしまうこともあり、そうすると余計に疲れてしまう、ということがあります。
そういう経験を度々してきて、パーティや大勢の人がいる場を楽しめない僕は人間として何か欠けている部分があるのではないか、と思ってきました。

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このよく知らない人となんでもない話をすることや、大勢の人がいる場が苦手、ということについて、内向型、外向型という気質を説明する中で、こんな記述がありました。

ユングによれば、内向型は自己の内部の思考や感情に心惹かれ、外向型は外部の人々や活動に心惹かれる。内向型は周囲で起きる出来事の意味を考え、外向型はその出来事に自分から飛び込んでいく。内向型はひとりになることでエネルギーを充電し、外向型は十分に社会で活動しないと充電が必要になる。



内向型、外向型という気質の定義は明確になっているとは言えないとのことですし、そもそも100%内向型、100%外向型という人も存在しないと思われるのですが、いくつかの点で合意されているものとして、具体的な例が書かれていました。

とはいえ、最近ではいくつかの重要な点で合意に達しているようだ。そのひとつは、内向型と外向型とでは、うまく機能するために必要な外部からの刺激のレベルが異なるという点だ。たとえば、内向型は親しい友人とワインをほどほどに飲むとか、クロスワードパズルを解く、読書するといった低刺激が「ちょうどいい」と感じる。外向型は初対面の人に会うとか、急斜面でスキーをする、ボリュームを上げて音楽を聴くといった高刺激を楽しむ。



端的に、パーティなどについてもこのように書かれています。

外向型はディナーパーティに活気をもたらし、あなたのさほど面白くもないジョークに大声で笑ってくれる。積極的で、主導的で仲間を強く求める。(中略)
対照的に、内向型は社交スキルがゆたかでパーティや仕事の付き合いを楽しむ人もいるにはいるが、しばらくすると、家でパジャマ姿になりたいと感じる。限られた親しい友人や、同僚や、家族との関係に全エネルギーを注ぎたいと思っている。しゃべるよりも聴くほうを好み、ゆっくり考えてからしゃべり、会話よりも書く方が自分をうまく表現できると感じることが多い。



これらの記述を読んで、自分自身が少なくとも何か人として「欠けている」のではない、ということが明らかになったような気がしました。
小学生の時にはサッカーという集団競技をやっていましたが、基本的には集団で群れることは苦手で、そうすると、「協調性が欠けている」だとか「協調性が欠けているのではないか」という指摘もされてきました。

でも、この外向型、内向型の人たちの記述を読んで、そもそもたくさんの人と会ったりすることが全く違う行為なのだと分かりました。
外向型の人にとっては、たくさんの人と会うという行為が食事をしたり眠るといった、エネルギーを溜めるものであって、でも、それは内向型の人にとっては、食事でも睡眠でもなく、体力や気力を消耗する行為であるということ。
みんな(だと僕は今まで思ってきました)食事や睡眠を楽しんでいるのに、僕がそれを楽しめないのは、僕がおかしい、と思ってきました。
でも、僕以外の人でも楽しめない、疲れてしまう人がいるのだ、ということを知れたこと自体が、自分を肯定されたような気持ちになりました。

まぁ、これからもたくさんの人と会ったりしなくてはいけない場面に遭遇するかと思いますが、そもそも僕はそういう場でエネルギーを消耗してしまう気質なのだ、と分かった上で行動できるようになるのは、今後にとてもプラスに働くような気がしています。
2017.06.21 Wed l 日々雑感 l top
「なんだか生きづらいな」、と感じているものの、「生きづらい」というのは、誰か他の人と比べることが出来ないので、他の人も同じくらいなのかも、と思ったりします。

生きづらいな、と感じている理由は、ツレからも指摘されていた「発達障がい」的要素があるからなのかも、と長い間感じていたのですが、自分の中ではあまりそこのことにしっくりした感じはありませんでした。

でも、最近、発達障がいではなく、違う気質によるものなのかも知れない、と思い始めました。
それはある本(『内向型人間のすごい力』)を読み始めたからなのですが(今度レビューを書きたいと思います)、丁度ハフィントンポストでも同じことについて書かれた記事が載っていました。



僕が読んでいる本では「内向型」と言っていますが、この記事ではHSP(Highly Sensitive Person)と書かれていますが、両方とも同じことを表しているのです。

上の記事では、チェックリストが載っているので、もし、生きづらい、と感じている人がいたら、是非やってみて下さい。
ちなみに僕はHSP度が100を越えていました。
2017.06.12 Mon l 日々雑感 l top
最近、15分タイマーをセットするようになりました。

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というのも、基本的に家に一人でいる時間が多いため、時間にメリハリがなく、なんとなくお昼の時間になっていた、だとか、夕食の下準備をする時間になっていた、ということがあるからです。
一応家事は完璧ではないもののやっているのですが、「無駄な時間を過ごしているのではないか?」と自分自身で感じるようになりました。

ということで、どうすればその「無駄な時間を過ごしているのではないか?」という感覚を払拭できるのか考えてみたところ、タイマーをセットして行動する、ということを思いつきました。

以前、イケダハヤトさんがブログでブログ1記事につき15分で書いている、というようなことを書いていたのを思い出し、僕もそれに倣ってみることにしたのです。

僕の場合はブログを書くということではなく、家事がメインになるので、洗濯物を干す、洗濯物を畳む、家計簿を付ける、といったことから始まり、何か必要な物があってネットで買おうという時にも、その商品を探して買ったりするのもこの15分タイマーをセットしてするようになりました。

家事に関してはだらだらすることがなくなり、ネットショッピングに関しても、15分で見つからなかったり、決められなかった時にはそれ以上探さずに「とりあえず一旦探すのを諦める」ということが出来るようになったのが、自分としてはとても良い効果だと感じています。
なんとかネット上で探さなきゃとかそれこそずーっと探し続けてしまうこともあり、売っていそうな実店舗に行ったら実はネットよりも安く売っていた、ということもたまにあり、ネットにこだわらなきゃ良かったという経験もありました。

ということで、この15分タイマー(僕は、スマホのアプリを使っています)、今後も活用していきたいと思います。
2017.06.08 Thu l 日々雑感 l top
最近、モノをなるべく少なくしてシンプルに暮らしたいな、という気持ちがまたわいてきています。
自分自身の5つの強みを調べてみると、「収集性」が出てくる僕なのですが、なるべくシンプルに暮らしたい、という相反する気持ちもあり、モノを集めつつも、シンプルに過ごす、という矛盾の中で暮らしています。

収集するモノといえば、僕の場合、本が多いので、自炊し、モノとしての本はかなり捨てています。
*自炊は、本を裁断し、スキャナーで読み取り、タブレットや電子書籍端末で読めるように最適化することです。

また、最近では、すでにかなり減らした洋服をさらに減らしたいな、ということで、スティーブ・ジョブズやマハトマ・ガンジーにならい、シンプルな決まった服を着ようということで、下着を含め、同じ服にある程度揃えたりしています。

まだまだ家にはモノがあふれているのですが、「さぁ、捨てるぞ!」と気合いを入れてやっているわけでもないので、中々家からモノが減っていかない状況です。
そんな状況で、1つのヒントを先日もらいました。
それは、勝間和代さんが毎日送ってくれる無料のメールマガジン(メルマガ)です。

自転車を乗り続けるコツは、自転車に乗り続けること!!(勝間和代オフィシャルメールマガジン 2017年6月4日)

この中に、こんなことが書かれていました。

週に1回以上使わないものについては、どうせ使い勝手が悪いのだから、あまり使わないし、なくていいかなとも思っています。

そう考えると断捨離で何を残すか何を残さないかについては、 1週間に1度は使うかどうかを判断基準にすると分かりやすいかも知れませんね。



このメルマガでは自転車の話から始まり、調理器具も触れられていたのですが、調理器具でもお菓子作りに必要なものは週1回使うか使わないかの基準だと殆ど捨ててしまうことになるので適用できませんが、誰も使わなくなった子ども用のお箸などは捨てて良いんだろうなと思いました。
何となく思い入れ(というほどのことも思い起こすとないのですが)があって、捨てられずにいましたが、今後、特に普段使うような調理器具などに関しては、1週間使わないものは捨てる、ということをしていこうかな、と思います。

そういえば、洋服に関しても、以前こんまり(近藤麻理恵)さんが1年着なかった洋服は捨てて良いというようなことを書いていたような気がするので、こういう基準をいくつか持つと、捨てるということに余計な気持ちを持ち込まなくて良いのかも知れません。
2017.06.07 Wed l 日々雑感 l top
先日、子どもの習いごと(水泳)の付き添いに行き、観覧席に座っていると、隣に座っていた女性たちの話が聞こえてきました。
(ちなみに基本的に僕はいつも読書しつつ、子どもの泳いでいる様子を観ています。
でも、さすがに隣で話をされていると、気になる会話は聞いてしまうのです。)

話をしていたのは、女性3人、子どもたちは話の内容(寝ている時間だとか、宿題の内容など)から1年生か2年生くらいのようでした。女性の1人は区内にある国立小学校のランドセルを持っていたので、この女性たちの子どもの2人か3人は同じ小学校に通っているようでした。

子どもが通う小学校での出来事、特にトラブル(ある女の子がちょっかいを出され、運動会のある種目に参加出来なかった等)が話されていたのですが、そこで気になった発言がありました。

「担任の先生が男の先生だから(教室内、学校内での子どものトラブルに)気づかないのかも」
「幼稚園の時は女の先生だったから、色々話してくれたけど、男の先生だからあんまり話もないし」



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その女性たちの話では、担任の先生が「男の先生だから」、教室内でトラブルがあっても気づかれておらず、日常の些細な出来事は「男の先生だから」保護者に連絡がない、ということになっていました。

これって、「男の先生だから」なのでしょうか?

教室内、学校内で子どもたちがトラブルを起こしていても、気づかない人は男だろうが女だろうが気づきません。
逆に気づく人は男だろうが女だろうが気づきます。
その場にいる時間の長短で気づきやすい、気づきにくいということはありますが、そもそもは性別によるものではなく、その個人の能力なのだと思います。

「個人の能力」と言ってしまうと、あたかも先天的なもので、後からその能力を伸ばせないように感じるかもしれませんが、そうではありません。
ある程度その能力を伸ばすことが出来ます。

度々紹介している渋谷でバーを営んでいる林さんが、先日、こんな投稿をしていました。



人間観察をなぜするのか、という問いに答えたものですが、トラブルを防ごうという意識で子どもたちの様子をみていれば、人間観察をするようになり、そして、トラブルに気づいたり、トラブルになる前に気づくようになります。

なので、「男の先生だから」気づかないのではなく、単にその人が気づかないだけなのです。
経験の浅い教員なのかもしれませんし、教員歴は長くても本人がトラブルに関して意識的ではないのかも知れません。

どちらにせよ、それは性別によるものではありません。

些細な出来事の連絡がない、ということも、女の先生だから連絡があったというわけではなく、小学校だからじゃないかな、と僕は思います。
子どもたちを幼稚園に通わせたことはありませんが、保育園では毎日送っていき、お迎えに行っていたので先生と顔を合わせていましたし、連絡帳では毎日やりとりがありました。
だから、特に何でもないような些細な事でも連絡がありました。

でも、小学校では送り迎えはしないので、担任でさえ顔を合わせる機会は殆どありませんし、連絡帳でやりとりしたり、先生から連絡があるのは、何か具体的なケガだったりがあったときだけです。
些細な出来事まで先生が逐一連絡帳にクラス全員分書き込んだり、電話してきたりしていたら、先生たちの仕事はいつまでも終わりません。
だから、これも「男の先生だから」ではなく、小学校だからなのではないか、と思います。

もう、そろそろ性別で切り分けるのはやめにしませんか?
2017.05.31 Wed l 日々雑感 l top
先日、ムスメが通う保育園のクラスの懇親会がありました。
休日のお昼過ぎから2時間ほどを、区内にある植物園で、プログラムはないものの、一緒に過ごす、というものでした。

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先週末は東京でも30℃近くあったので、とても暑かったですが、天気が良くて日陰もたくさんあり、芝生なので、気温ほど暑く感じる事なく過ごすことが出来ました。
参加者は、23人のクラスの内、欠席が3人。
子どもたちが20人に、父親だけで来ていたのが僕含め2人、両親と来ていたのが7人、他は母親と来ていました。

プログラムは特になかったので、近くにレジャーシートを敷きつつ、それぞれ自由に2時間を過ごしていました。
子どもたちは、休日に保育園以外で遊べること、それ自体が楽しいようで、走り回ったり、ボールやフリスビーで遊んだりしていました。
母親たちは、主に母親同士でおしゃべり。

父親は?

父親は、半数が母親を含めたおしゃべりの輪に加わり、半数は子どもたちを遊んでいました。
僕は、ムスメを中心にしつつ、他の子たちと一緒に、持ってきたボールやフリスビーで遊びました。

屋外でのこうした複数の家族が集まっての懇親会やピクニックなどの活動は今までも何回か経験があるのですが、今回助かったのは、父親が(母親ほどではないですが)それなりにいたことです。
父親がそれなりにいて、しかも、その中で何人かは子どもたちと一緒に遊んでいました。
これが僕としてはとても良かったというか、助かりました。

なぜ父親が何人かいて、子どもと一緒に遊んでいたのが良かったのか。
それは、子どもの様子をみている大人が何人かいたからです。
一緒に遊んでいるはずが、ちょっとしたきっかけで子どもたち(特に今回は男の子たち)がケンカを始めるということが2時間の間に何回も起きました。

その様子を複数の大人がみていたことで、ケンカを始めそうな時にそれ以上発展しないように声をかけたり、暴力を振るうケンカになってもすぐに止めることが出来ました。

何回かとっくみあいのケンカにまでなっていたものの、母親の中にはおしゃべりに夢中で、自分の子どもがケンカをしていたことに気づいていない人も何人かいました。
僕は「一緒に遊ばなくても、せめて自分の子どもがどこで何をしているかくらいは見ていてくれよ」、と思ってしまうのですが、今までは父親の参加者が少ないので、僕だけが複数の子どもたちを見ている、ということもありました。

でも、今回は何人かの父親たちが(きょうだい含めると)20人以上いる子どもたちを見ていたので、複数の目で何人かの子どもたちを見ることが出来ました。
これは、ケンカのような事態を事前に防いだりすると言うことだけでなく、何人か大人がいると、「一緒に遊ぶ」ということに関しても、20人以上を一斉に見なくてはならない、ということもなくなるので、その分子どもたちとちゃんと遊べるということでもあります。

僕はおしゃべりは苦手ですが、何人か父親が参加してくれると、やっぱり良いな、と思いました。
2017.05.26 Fri l 日々雑感 l top
先日、子どもたちの習いごとに付き添って観覧席にいたら、目の前に座っていた女性3人組が話している内容が耳に入ってきました。

それは、

「(幼稚園児くらいの年齢の)子どもが他の子に暴力を振るわれ、やり返そうとしていたので、『やり返しちゃダメ』と言ったら、『なんで?やられた方は一方的にやられて我慢しなくちゃいけなくて、やった方はやりっ放しなの?』と反論された」

という話でした。

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この子どもからの反論に困ってしまい、返答に窮したこと、そして「一応言ったのは」、「誰かが「やり返さない」ということをしないと際限なく暴力が続いて、どんどんその暴力が大きくなって、最終的には戦争にまでなってしまう」ということでした。

この話を聞いていた他の2人の女性たちは「難しい問いだね」というようなことは言っていたものの、特に自分なりの「答え」は言っていませんでした。


この話を聞いていて、「僕だったらどう答えるだろう」と考えていました。
皆さんが子どもに同じ質問をされたら、どう答えるでしょうか?


まず僕が思いついたのは、「暴力に暴力で返すということは、自分自身が「暴力を振るうような人間」に貶める行為だ」ということです。

もう一つは、「人間が他の動物と唯一違うのは、理性があり、話し合うことが出来るということ。だからこそ、話し合いで解決するべきではないか。」ということです。

でも、よく考えてみると、前者は「暴力を振るう人間を下に見ている感じ」がしますし、後者では「他の動物よりも人間の方が優れているかのようなおごり」があるようにも感じます。
正解のない問いですが、どんな答えがあるのだろうか、と今も考え続けています。

皆さんだったら、どう答えるでしょうか?
2017.05.23 Tue l 日々雑感 l top
先日、Eテレ(NHK)のハートネットで「フェミニズム新時代」というテーマで、女性を中心にアナウンサーを含め7人がVTRを観つつ、座談会のように語りあう形式の番組が2回続けて放送されていました。

フェミニズム新時代 第1回 "フェミ"な女がカッコイイ(2017年5月16日(火曜) 再放送2017年5月23日(火曜))
フェミニズム新時代 第2回 あなたも私もフェミニスト(2017年5月17日(水曜) 再放送2017年5月24日(水曜))

「新時代」と銘打っていることもあって、現在のどのような動きが「フェミニズム」と捉えられているのかということを、特に日本でのフェミニズム運動の流れも踏まえつつ構成されていて、基本的に好印象でした。

しかし、出演者が語り会っている中で気になるやりとりがありました。
そのやりとりを文字起こししてみました。
括弧内は僕による補足です。

やっぱその(自分の)親の影響もあるんでしょうけれど
「まぁ、女として男の人を養うくらいじゃないとね」くらいのことを(自分は)言っちゃったりもするんで
それで新しい女性の生き方みたいなのは、その、(自分が)選択肢にはなれたら良いなと思うんですけど
そんなことばっかりしてたら、いわゆるヒモをどんどん生んでしまうので(周囲の人たちから「あはは」と笑いが聞こえる)
そこは紙一重ですよね(以下略)



先に断っておきたいのは、この発言をした人自体を批判する意図はないことです。

それを踏まえてこの発言と周囲の人たちの反応に何が気になったのか。
それは、

女性が誰かを養えるくらいの経済力を持つ→ヒモが増える

という図式で語ることに何の疑問も語った本人も周囲の人たちも感じていないことです。

僕がこの発言の上に書いた図式で疑問に感じるのは、主にこの2点です。
①(性別関係なく)パートナーの1人が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、他方のパートナーは何もしなくなるの?
②男性が主な稼ぎ手として、女性が家事・育児をしていることはあるのに、男女が逆だと何故男性が家事・育児をしないと考えるのか?

それぞれの疑問点をもう少し丁寧に言葉にしていきます。

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①(性別関係なく)パートナーの1人が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、他方のパートナーは何もしなくなるの?

女性がパートナーを養えるくらいの経済力を持つことが何故「ヒモ」を生んでしまうのでしょうか。
「ヒモ」という偏見まみれの言葉自体にはここではペンディングさせてもらいますが、パートナーが家族を養えるくらいの経済力を持った時、他方のパートナーは何もしなくなるのでしょうか?
それまで仕事をしていればそのまま仕事をし続けるというのが、日本の世帯調査からも多数だと明らかになっています。
つまり、結婚をしても女性は仕事を辞めることは少なくなっているにもかかわらず、男女逆転すると、何故か男は仕事を辞め、さらには家事もしない、という「何もしない人間になる」と決めつけているのです。

仕事を続けている上で、過酷な環境から逃れやすくなるとは思いますが、(パートナーが経済的に自立していれば、自分が過酷な労働環境にも関わらずその仕事を「継続しなければならない」という負担はかなり減ります)、そのことと「ヒモ」というように「何もしない人間になる」というのは全く違うことです。

②男性が主な稼ぎ手として、女性が家事・育児をしていることはあるのに、男女が逆だと何故男性が家事・育児をしないと考えるのか?

誰かを養えるくらいの経済力を持った男性が結婚したとき、女性が家庭のことを分担することになっても、殆どの人は疑問や違和感を感じないようです。
でも、それが女性がパートナーを養えるくらいの経済力があるので、男性が家事・育児を分担することになることには、多くの人は戸惑うようです。
「結婚したから仕事やめたんだ」と女性が言えば、多くの人は疑問や違和感を感じることなく受け入れるけれど、「結婚したから仕事やめたんだ」と男性が言えば、多くの人は疑問や違和感を感じる。
これこそが番組で触れられていた「性的偏見(ジェンダー・バイアス)」なのではないでしょうか?

さらに、この発言でより深刻だと思うのは、女性が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、「パートナーの男性が何もしなくなる」(ヒモ)と当然のように考えられていることです。
女性がたとえば結婚し仕事を辞めたら、家事をする(している)ことは当たり前だと捉えられているにもかかわらず、男性が結婚し仕事を辞めたら、家事など全くしない(していない)と当然のように考えられているということです。

そもそも、パートナーに家族を養えるくらいの経済力があろうと、仕事をすぐに辞めると考えていることにも疑問がありますが、パートナーに家族を養えるくらいの経済力があると何故男性は何もしなくなると考え、そして多くの人もそれに何も疑問を思わず受け入れるのか。

番組では、フェミニストとはという話の中で、このように語られていました。

(フェミニストとは)性別・性自認・性的嗜好をもって
人を区別して序列を持ち込んで差別しない人



でも、残念ながら「ヒモをどんどん生んでしまう」という発言、そしてそれに対する周囲の「あはは」という笑いは、性別による序列を持ち込んでいるようにしか見えませんでした。

男性だろうが女性だろうが、パートナーとの関係の上で家庭のことを分担する立場になれば、家事・育児を当然のこととしてやるでしょうし、実際現にやっているのではないでしょうか。
2017.05.22 Mon l 日々雑感 l top