今まで全く分かっていなかったのですが、去年から山登りを始めて気づいたのがJRの乗車賃の高さです。

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実家は私鉄沿線で、電車通学をした高校、大学(大学院)と全てその私鉄のみでの移動だったため、JRと比べる機会はありませんでした。
その後も、頻繁に移動することもない、というかJRと私鉄のルートを比べる機会自体が特に無かったのですが、山を登りに行く前に計画を立てるときに電車ルートを検索して初めてJRの乗車賃の高さに気づきました。

例えば先日書いた高水三山の登山口に近い軍畑駅に新宿駅から行こうとするとこんな感じです↓

スクリーンショット (18)


検索に使ったのはこのサイト↓
乗換案内|ジョルダン

安い順番に並べましたが、一番高いのがJRのみの場合になっています。
軍畑駅も新宿駅もJRなので、乗り換え回数も所要時間もJRだけを使って行くルートが回数も時間も一番少ないにもかかわらず、乗車賃が高いのです。

軍畑駅くらいならばまぁ、私鉄を使ってもそこまで大きな乗車賃の差にはなりませんが、移動の距離が伸びれば伸びるほど乗車賃の差が出て来ます。

僕は山登りにふんだんに資金を投入できるわけでもないので、例え少し移動時間が増えても乗り換え回数が増えてもなるべく安く済むルートを選んでいるので、もう少しJRの乗車賃が下がらないかなぁ、と思ったりします。
まぁ、国鉄ではないので安くしてほしい、ということを要求することは無茶なことなのかもしれませんが、他の私鉄と比べてしまうとどうしてもその高さに目がいってしまいます。
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2017.03.26 Sun l 日々雑感 l top
毎日食事を作っていると、悩ましいのが何を作るか、ということ。
「今日はこれ作ろう!」と考えて買い物をすることは殆どなく、とりあえず安くなっている食材を買ってから、ネットで検索するということがほぼ毎日のルーティンになっています。

その時に大体調べるのは、Googleで、Googleで食材を入力して検索すると、大体NAVERまとめか、クックパッドのレシピが出て来ます。
NAVERも大体そこに載っているのはクックパッドのレシピなので、何回か検索すると、結局ほぼ同じレシピが表示されます。

定番料理なら検索するまでもないし、と最近、Googleで検索するのも億劫になってきていたのですが、Facebookを使って料理を作るようになりました。

Facebookも最近はなんだか面倒というか、自分のことを投稿する頻度もかなり減っているのですが、Twitterよりもレシピ検索には適しているようで、流れてきたレシピで良さそうなものがあったら保存し、それを思い出して作る、ということを最近はしています。


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Facebookだとレシピを文章だけでなく、動画でも流してくれるので、「美味しそうだな」と思ったらその動画を【保存】し、買い物をする時や、実際に料理をするときにその保存しておいた動画を観ながら作る事が出来るので便利です。

半年くらい前、僕がいつも聞いているポッドキャストでFacebookなどで今後こういうのが流行るということを言っていたのですが、僕自身も実際にFacebookの使い方がすっかり、友人の近況を知る、ということからレシピを知る、ということに一番重心が移ってきたようです。
2017.03.20 Mon l 日々雑感 l top
先日、ツレからブログに書いた内容について文句を言われました。
最初、何を言っているのか全く分からなかったのですが、この投稿についてでした↓

「口を出す前に、体を動かせ」(2017年2月22日)

読んでもらえれば良いのですが、僕が書いたのは、

ある仕事をしている人に、その仕事をしていない人が口を出すのはやめろ。もし、口を出したいのなら、まずはその仕事を自分でやってみてからにしろ。

という内容を書きました。
「口を出す」というのは、アドバイスでも批判でも関係ありません。
本人はアドバイスだと思って伝えたことが、相手には批判だと受け取られることもあるので、そもそも何もしていない人は求められていないのに口を出すのはやめ、まずはその仕事を実際にすることから始めましょう、ということです。

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で、この投稿について、先日ツレから文句を言われたわけですが、上に書いた内容は全く無視し、自分が批判されていることについて「そんなことを書くな」「(ツレにとって)肝心なことが書かれていない」と言ってきました。
(ツレが書かれていないといった内容は、最終的にツレがムスメの習いごとに付き添って行ったこと)

ある仕事をしている人に、その仕事をしていない人が口を出すのはやめろ。もし、口を出したいのなら、まずはその仕事をしてからにしろ。」という内容を伝える上で関係がないことについて、文句を言われたので、元記事を訂正するつもりはないのですが、この出来事で、言葉の伝わらなさを再度痛感しました。

昨日、「ラ・ラ・ランド」で「言葉にして伝えることって大切だと思う」というようなことを書きましたが、言葉にしても伝わらないんだな、と。
実際、上のブログ記事を書いて1ヶ月弱経とうとしていますが、現にツレは(僕が強制的にやるようにさせている)夕食の片付け以外全くやりませんし、むなしさばかりが募ります。
自分が批判されて怒るなら、批判されている内容について検討することが必要だと思うのですが、そういうことは一切考えないようです。

(具体的には、「家事をほぼ全て担っている僕に家事のやり方について口出しする前に、少しは自分も家事をしろ」という批判について。
まぁ、実際にこれだけ言っても家事を全くやろうとしないので、もはや自分は家事などしなくて良い存在だと全肯定しているのかも知れませんが。
というか、一緒に暮らすようになって11年経つので、もはや家事など自分のやることではない、ということなのでしょうし、そういう意味でも僕がこのブログで「ツレが家事を全くしない問題」について言葉にしても無意味だということになります。
そういう意味でも言葉が通じないことを痛感し、絶望的な気持ちになっています。)

ちなみに、この記事についてもう一つ言われたのが、最後に書いた「子どもたちが大きくなった時にはツレとは別に生きていこうという決意が強固になりました。」という文章についてです。
「こういうことを書くな」、と。
「家事を殆ど何もしないのに口を出してきて、もはや一緒に生活することに嫌気がさしている」ということなのですが、それも伝わらなかったようです。
結婚してからのこの11年、ずっと言い続けている「自分のことなのだからもっと家事をしろ」ということを無視し続けるだけでなく、結婚当初の家事分担の約束を反故にしているにも関わらず、その自分の行動は一切顧みることなく、僕に文句を言ってくる。
やはり、言葉にしても伝わらないんだな、と。

言葉にしても伝わらないので、このブログを続けるかどうか、また悩み始めました。
でも、この場で言葉にしないと、普段の生活でも殆ど喋ることもなく、言語化することがなくなってしまうので、言語化するという時にどういう方法が良いのか、しばし模索してみたいと思います。
2017.03.18 Sat l 日々雑感 l top
先日3月8日は国際女性デーでした。

国際女性デー | UN Women – 日本事務所

僕は朝日新聞を実家でも実家を出てからも購読しているのですが、この国際女性デーに合わせて特集を組んでいました。

国際女性デー特集「Dear Girls」:朝日新聞デジタル

朝日新聞系列と言って良いのか分かりませんが、この国際女性デーに合わせているのか分かりませんが、ハフィントンポストも女性性、特に身体についてオープンに語ろうという特集を組んでいます。

Ladies Be Open - ハフィントンポスト

こういう社会の流れの中、最近気になるのがムスメ(保育園児・年中)の言動です。
長男&次男では気になることは小学生になった今でもほぼないのですが、ムスメは「オトコなのに~」とか、「オンナだから~」とかいう言葉を良く使うのです。

そのたびに、僕は駒崎さんのように(「女の子を拘束する「呪い」、親が解かねば」)「オトコとかオンナとか、そういうことで決まることはない」と伝えています。

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こういうことを書くと必ず、男と女は体つきも全く違う、だから同じな訳がない、両者に差があるのは当たり前だ、という意見が来ます。
確かに、男性の身体を持った人は(現時点では)妊娠できませんし、出産も出来ません。
そして女性の身体を持った人の殆どは大人になってから毎日髭の手入れをする必要もありません。

でも、それが何か「出来る事と出来ない事」を区別することにはつながらないと僕は思います。
先天的に目が見えない人がいて、その人に目が見えないから、大学に行かなくて良いとか、目が見える人より給料が7割くらいで良いとか、結婚したら家事育児を専念すべきだとか、そういうことを言ったり、それが当たり前のこととして行われて良いでしょうか。
それは、性による身体のつくりの違いではなく、単に性別により与えられた役割でしかありません。


ちょっと横道に話が逸れてしまいましたが、ムスメがどこから「オトコ」とか「オンナ」とかそういう考え方を仕入れてくるのかな、と思っていたのですが(というかほぼ保育園だと予想していたのですが)、ムスメを保育園に送っていったときに他の女の子とこんなやりとりがありました。

そろそろ年長になるムスメは毎日ハンカチを持って行っています。
忘れたときの予備のハンカチがなくなっていたので、複数枚持っていきました。
僕がムスメのリュックからハンカチを出し、ムスメの引き出し(各園児に引き出しがあり、そこに予備の洋服などを入れておきます)にハンカチを入れようとしたら、近くにいた女の子が言いました。

「それオトコの子のだよ?なんで○○ちゃん、それなの?」と。

複数持っていったハンカチのうち1枚は、ムスメがお気に入りの(ムスメの兄である次男が使っていた)仮面ライダーのハンカチでした。
ムスメはそのハンカチをとても気に入っていて、僕はムスメが気に入っているのを知っていたので「予備にしなくても良いんじゃない?」と前日に聞いたのですが、予備でも持っていきたいということで持っていったのでした。

そして、そのハンカチは仮面ライダーでした。
その仮面ライダーのハンカチを見て、近くにいた同じクラスの女の子は「オトコの子のだよ」と言ったのでした。

あぁ、こういう小さなことが積み重なって行くんだな、と分かりました。
面と向かって「お前オンナのくせに」とか「オトコなのに」という子どもたちはいません。
でも、「それってオトコの子っぽくない?」とか、そういう少し柔らかい表現で、ケンカにもならないように小さな出来事が少しずつ蓄積されていくのだろうな、と。


以前、大学生達に話に言ったときに質問されたのが、「オトコとして家族を養わなければいけないとか考えませんか?」というものがありました。
僕にはその感覚が分かりません。
ある意味無責任とか、冷たいと言われる感覚なのかも知れませんが、基本的に、「自分がどう生きるか」としか考えていません。
自分が生きていくその時に必要なお金を稼ぎ、必要な能力を習得し(たとえば炊事洗濯)、生きていく。
パートナーにもそれを求めているし、もし、パートナーとの間に支援が必要な子どもを授かれば、支援が必要な時期は支援するけれど、支援が必要でなくなれば、その子どもにも当然自分で生きていってもらいます。
だから、僕には「家族を養う」という感覚、考えはまるでありません。

即答しすぎたのかその大学生は戸惑っていたように見えましたが、僕には「オトコ」とか「オンナ」とか本当によく分かりません。
それは、僕自身で習得したというよりも、兄の存在が大きかったと思います。
兄は「オトコだから~」という言葉にものすごく敏感でした。
一度、兄が中学生くらいの時(僕は小学生)父が兄に向かって「オトコなんだから~」と言ったとき、ものすごく反発し、それ以降、父もそういうことを一切言わないようになりました。
だから、「オトコだから~」とか言う言葉を僕が思春期になり、成長していく過程で家で聞くことはありませんでした。


だからこそ、ムスメがそういうことを言うのを聞いてショックを受けていたのですが、これはやはり1つ1つ打ち消していくしかないな、と思っています。
先日もムスメが次男に向かって「オトコなのに」とか言っていたので、あるテレビ番組を見せました。
子どもたちはあまり真剣に見てくれたようには見えませんでしたが、オトコとかオンナとかいうことを考えるにはとても良い、タイムリーな番組に思えました。

LGBTを“当たり前”に 映画監督・荻上直子と語る(ハートネットTV)

早くこの映画も観てみたいな、と思います。

映画『彼らが本気で編むときは、』
2017.03.13 Mon l 日々雑感 l top
先日、山登りに行くために乗っていた電車内で人種差別に出くわしました。
こんなの人種差別じゃない!、という人もいると思いますが、それでもどんなことがあったのか書いてみたいと思います。

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日曜日、神奈川県の丹沢の山に行くために、小田急線の7時台の新宿駅発小田原駅行き急行列車に乗りました。
日曜日の朝の下り列車なので、満席になることなく、座ることが出来ました。
その時、座席の端っこにアフリカ系の男性が座り、僕は1人分空けてその方の隣に座りました。

僕は1時間以上その列車に乗っていて、そのアフリカ系の男性も1時間ほど乗っていました。
その間、通勤なのか、僕のように山登りなのか、それとも他のレジャーなのか分かりませんが、少しずつ乗客が増えてきました。

休日の朝の下り列車でしたが、座る席がなくなり、立っている乗客も出て来たのですが、その間誰もそのアフリカ系男性と僕との間の1人分の席に座ることはありませんでした。
最初は他の席も空いていて、そのアフリカ系男性が少し身長が高い方だったので、狭そうだと判断したのかな、と思いました。

でも、少しずつ気になってきて、停まる駅ごとに乗ってきた客の様子をみていると、そのアフリカ系男性を確認し、そして明らかに避けているようでした。

「座る席なんて自由じゃないか」「座るか立つかも自由じゃないか」と言う人もいるでしょう。
でも、もし、「その男性がアジア系、あるいは白人だったら?」と想像したらどうなるでしょう?

または、その男性の立場に立って考えたときにはどういう気持ちになるでしょう?
僕が1人分空いた席で隣に座っていても、マナーが悪いということは全くありませんでした。
かなり足の長い方でしたが、伸ばすこともなく座っていましたし、多くの時間は寝ているかスマートフォンをいじっていました。
酒臭くも、香水臭くもありませんでした。

でも、明確にその男性は避けられていました。

自分自身の行動ではなく、容姿で人々に避けられる。
僕自身は外国に行ってもそのような経験をしたことはありませんが(むしろ日本人ということで寄ってくる人はいた)、もし、どこかの国に行って、自分の行動ではなく、容姿で避けられるとしたら。
ものすごく悲しい気持ちになると思います。

オリンピック開催を控え、「おもてなし」だとか、英語表記だとか、Wi-Fi環境だとか、民泊だとか、色々言われていますが、そもそもこのような「特定の容姿の外国人を避ける」というようなことをなくしていくような取り組みが必要なのではないか、と思います。
2017.03.10 Fri l 日々雑感 l top
最近、雑誌読み放題サービスをいくつか使い始めました。
dマガジンなどのサービスがあることは知っていたものの、雑誌はほぼ読まない生活をもう何年(10年以上)も過ごしていたので、あまり関心がありませんでした。
近所の本屋さんやコンビニで売っていない雑誌で定期購読しているものはあるのですが、その雑誌は読み放題サービスにはもちろん入っていません。

ですが、最近、山登りをするようになり、『山と渓谷』などの山登り関連の雑誌を読むようになりました。
月刊誌とは言え、買うと千円近くするので、図書館に行ったときに読んでいたのですが、ふと読み放題サービスに入っていないか調べてみたら、入っていたので、一ヶ月のお試しをしてみることにしました。

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最初に使ったのは、dマガジン
料金は、月400円(税抜き)で約160誌の雑誌が読めるそうです。

無料お試し期間が過ぎた後、有料でそのまま使うかどうかという時に、結局有料で使うことにはしませんでした。
理由としては、簡単に言えば使いづらい。
初めて使ったので他のものと比べられませんでしたが、読み込みに時間がかかり、「山と渓谷」以外に読みたいと思うものもありませんでした。

その次に使ったのは、タダ読み(Fujisan.co.jp)。
これはそもそも無料のサービスで50000冊以上読めるそうです。
このFujisan.co.jp経由で本を購入する機会があり、とりあえず使ってみることにしました。

結果、そもそも無料サービスなのもあって、読みたい雑誌がほぼありませんでした。

その次に試してみたのが、楽天マガジン
料金は月ごとだと380円(税抜き)、一年契約だと3600円(税抜き)だそうで、約200誌読めるそうです。

まぁ、単純にdマガジンと比べられるのはこちらかな、と思います。
今の所、この楽天マガジンが一番良いかな、と思っています。
『山と渓谷』もあるし、そのほかの山と渓谷社が出している雑誌も読めます。
実際はdマガジンとほぼ遜色ないので、比較出来るのは結局料金だけで、そうすると楽天の方が少し安いので、こちらかな、と思いました。

でも、この楽天マガジンも良く読む雑誌を「お気に入り」に登録することが出来るのですが、お気に入りの雑誌からバックナンバーにはたどり付けません。
今出ている号を読み終わる前に新しいのが出てしまった場合、お気に入りのところからは飛べないので、わざわざ検索して読むということをしなければならず、それが不便です。
それでも、契約期間ではないバックナンバーを読めるのは良いことなのかも知れませんが。

2017.02.27 Mon l 日々雑感 l top
突然ですが、僕はある性質を持っている人とは基本的に関わらないようにしています。
どんな性質を持っている人かというと、
・息を吐くように嘘をつく
・自分は1ミリも動かないのに、口だけ動かす
という人たちです。

今日は、「自分は1ミリも動かないのに、口だけ動かす」という人たちについて。
例えば、小さな子どもが泣いたり騒いだりしているときに、その子どもに微笑んだりあやしたり、あるいは直接注意を促すようなことをするのではなく、保護者にキレたり文句を言う人。
果物などが傷んでいるのをみて、自分は食材を買ったことなどないのに、「最初から悪かったんじゃない?」とか言う人。
選挙にさえ行かないのに、政治の愚痴を言っている人。
こういう、自分は全く行動をしていないのに、口だけ出すという人とは、なるべく関わらないようにしています。

言動がすごく暴力的な人とか、サービス提供者に対してものすごく高圧的な態度を取ってくる人は、すぐに分かるので、その後関わらないようにするのは簡単なのですが、「自分は1ミリも動かないのに、口だけ動かす」人というのは、ものすごく柔和な態度の中に現れることもあるので、すぐさま関わりを断つように判断するのは少し難しかったりします。
でも、30年ちょっと生きてきて分かったのは、そういう人と関わると逆に自分自身が疲弊してしまうということ。

既に気づいている方もいるようですが、去年、このブログのコメント欄を消しました。
何年も前の、我が家の子どもたちのことを書いた記事に、誰だか全く分からない人から、僕の行動を非難する内容のコメントが書かれました。
それを書いた人のことは直接知らなくても、コメントで書かれていたことの中には僕が反省すべき点があるのかもしれないと思い、悩んでしまいました。
でも、考えてみたら、そのコメントを書いた人は全く誰だか分からないし、僕と子どもたちに直接何か関わる人ではなく、単にその人にとって気に入らない行動を取っている僕がいて、その人の意のままに僕をコントロールしようとしているだけ。
例えそのコメントの中に、「正しい」ことが書かれていたとしても、そんな直接関わる事のない人の意見自体を受け入れる必要はないだろうと思いました。
それ以降、そういう性質を持つ人たちとは接触しないようにコメント欄自体を消しました。

そういえば、もう何年も前にお会いしたこの方↓もこの著作の中だったか、直接お話を聞いた時に、同じようなことをおっしゃっていました。


経産省の山田課長補佐、ただいま育休中 (文春文庫)


例え自分の親であれ、実際に自分の子どもたちの子育てに関わる人からの意見以外は聞かなかった、と。


親であっても一緒に生活していない人であれば、関わらないようにする方法はいくらでもあるのですが、一緒に暮らしているとそういうわけにはいきません。

ツレには、普段から、残業はいくらでもして良いから、家で仕事をしないで欲しいと言っているのですが(家で仕事をされ、家事・育児を全くしない邪魔な存在が増えるよりは、いない方が良いので)、僕自身は全ての家事と子どもたちの送迎などの殆どを担っている関係で残業を基本的にしません。
なので、勤務先の滞在時間内にいかに仕事を片付けるかが外勤時の最重要事項で、それでも終わらなかった仕事や家で出来る仕事は家でするようにしています。

先日、勤務先で片付けなければならない仕事はなんとか片付けたものの、家でたくさん仕事をこなさなければならない時がありました。
当然、その仕事は、家の仕事をやりながら進めなくてはならないので、洗濯掃除買い物などを済ませ、空いた時間にこなします。
その日はツレが休みの日で、普段ならツレが子どもの習いごとの付き添いをする日でした。
ですが、ツレが仕事ではない予定を入れたため、僕に付き添いをするように言ってきました。
それまでの数週間、すでにツレは同じ曜日に休日出勤をしていたので、習いごとには数週続けて僕が付き添っていたのですが、仕事が休みにもかかわらずツレは予定を入れ、僕に付き添いを押しつけてきました。
僕自身のやらなくてはならない仕事もかなり溜まっていたので、「やらなくちゃいけない仕事もたくさんあって付き添いに行く時間がない」と答えました。

そして、その時、僕は何をしていたのかというと、家計簿を付けていました。
それを見たツレが一言僕に「家計簿なんて付けなくて良い」と言ってきたのです。

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ツレは料理も洗濯も掃除もしないので、基本的にツレにとって必要なもの(仕事で使うものや衣類、生理用品など)以外を買ってくることはありません。
あらかじめ決められた金額を毎月の給料から家計口座に振り込むだけです。
そうすると、僕がその金額の中からやりくりして買い物をし、食事を作り、掃除をし、洗濯をし、と5人での生活を回していきます。

家事を全くしないツレにとっては「家計簿を付ける」という行為は無駄なことだと見えたのでしょう。
ここで、家計簿を付けるということが無駄か無駄じゃないかという話は重要ではありません。

重要なのは、「全く何もやらない人が、何故口を出すことが出来るのか」ということ。
家計を管理し、その中から買い物をし、料理を含めた家事を担っている人が、「(家事の中の)これはやらなくても良いかも」と判断することとは違います。
あまりにもむかついたので僕がツレの仕事(教員)を「やめれば?」と言ったところ、急にツレは怒り出したのです。

ツレは全く自覚がないようですが、この反応には2つの大きなポイントがあると思います。
①自分が言ったこと(「家計簿付けるのやめたら?」)の意味を理解していない。
②家事を自分の仕事(教員)よりも劣った仕事だとみなしている。

僕は今回のようなことをツレから言われ、自分が言っていることがどんなことなのかを理解してもらおうという意図以外でツレの仕事に口を出すことはありません。
非常勤で同じような仕事をしているとはいえ、勤務先もそこにいる人間も、立場も何もかも違うので、全く口を出すことはありません。

ですが、僕が全てを担っている家事をツレは自分が全く何もやっていないにもかかわらず口を出してくるのです。
これは、家事だけでなく、どんな仕事をしている人にもあてはまることです。
実際にやっていない人が、ある人の仕事を傍から見て、「ねぇ、あんなことしないで良いんじゃない?」とか言えば、張り倒されるでしょう。
で、実際に、ツレが僕に対して言った言葉がどんなことなのか全く自覚していないので、僕に「そんな仕事やめれば?」と言われると、僕がものすごく失礼なことをツレに言ったとツレは急に怒り出したのです。

ツレは、他の仕事をしている人にはそんなことを(多分)言わないわけで、じゃあ、何で僕がやっている家事に口を出すのかと言えば、「家事は(少なくとも)自分がやっている仕事(教員)より劣ったもの」と無意識であれ認識しているからです。
全くやったこともない仕事であっても、家事であるからこそ、自分も何か言える立場であると勘違いする。
これは、家事という仕事を軽んじているからこそ出来ることだと思います。

育休を取り、家事育児を担っている人に対して、「良いなぁ、休みで」と言う人のように。
「主婦/主夫って(楽そうで)良いよな」とか言ってくる人のように。

医師がカルテを書いている様子をみて、「そんなことしなくて良いんじゃないですか?」とあなたなら言いますか?
でも、家事をしていなくても、家に関わることを担っている人に、「そんなことしなくて良いんじゃない?」と言ったことのある人はどのくらいいるでしょうか?
子どもの時に親に、大人になって配偶者に言ったことのある人は多いのではないでしょうか?

家事・育児というのは、基本的に「家」の中で行われ、あまりにも日常に近く、明確な目標や期待される結果が定まっている仕事ではなく、日常に密接しているにも関わらず他と比べる機会も少なく、日常に関わること全てが家事という仕事の範囲も明確ではないということから、自分が門外漢であり、全く何もしていなくても口を出して良いと勘違いしてしまうのでしょう。
でも、勘違いしやすく、勘違いしてしまうのだとしても、家事を軽く扱って良いことにはなりません。
家事を何もしていないにも関わらず、「そんなことしなくてい良い」と言ってしまうのは、家事を「仕事」として明確な範囲を設定して依頼する家事代行業の人にだけであって、そうではない数多の家事を担っている人へ言って良い言葉ではありません。
その言葉は家事という仕事を、家事を担っている人を軽んじているのです。

僕はこういう性質を持つ人を総じて「昭和のオッサン」と名付けていますが、まさにツレはこの「昭和のオッサン」です。
最初に書いたように僕はなるべくこういう「昭和のオッサン」とは関わりたくないので、今回の出来事で、より明確に子どもたちが大きくなった時にはツレとは別に生きていこうという決意が強固になりました。
2017.02.22 Wed l 日々雑感 l top
ツレへの愚痴を度々はき出していますが(「パラレル家事」「イライラの原因は仕事範囲の認識のズレ」)、先日もまたイライラというか、すごく困った事態が発生しました。

それは平日のお昼頃の出来事でした。
長男&次男が通う小学校から電話があり、季節的にインフルエンザが流行っているので、「発熱でもしたのかな?」と予想して受話器を取ると、養護の先生からではあったのですが、インフルエンザではなく、次男がケガをしたとのことでした。

ケガの内容は、掃除の時間に遊んでいて、滑った表紙に左耳を机にぶつけ、耳介をひどくぶつけてしまった、というものでした。
「出血も収まったので、病院に行くかどうかは任せますが、様子をみて下さい」とのことでした。

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先生にお礼を言い、ケガの具合は直接見てはいないものの、今までの経験から軽いケガでも病院に行った方が良いと思い(本人による過失でも記録に残るため)、下校の時間が近かったので保険証&医療証を探したのですが、、、ない。

僕は必ず医療証や保険証などはとても大切なのものなので決めた場所に入れておくのですが、見当たりませんでした。

この日はムスメと次男の習いごとの日で、ケガの次第ではムスメの習いごとも休ませ病院に行こうと思ったのですが、保険証&医療証が無ければ病院に行くことが出来ません。

結果としては、保険証&医療証を勝手に定位置から移動させていた(というか戻していなかった)ツレに責任を持って帰宅し次第次男と病院に行ってもらった訳ですが、「定位置から移動させる」「そもそも定位置があることさえ知らない」ということを、普段殆ど関与しない人がよくこの行動を取るので本当に厄介です。

今回の場合、保険証&医療証が無くなった訳でもないですし、病院になんとか間に合う時間に行くことは出来ました。
でも、保険証&医療証が定位置にあれば、次男が下校してすぐに病院に僕が連れて行くことが出来、ツレの帰宅を待って病院に行ったために次男の風呂と夕食の時間が大幅に遅くなることも無かったわけです。

普段家事・育児に殆ど関わらず、責任を持っていない人は、「定位置」ということを軽んじたり、あるいはそもそも知ろうとしません。
例えば、ツレは食事を作らないので、匙などの調理道具の定位置を知りません。
なので、時々ツレが僕が料理をした後に洗い物をすると、調理道具を片付けるのですが、全く違う場所に入っていることがあります。
食器であれば、まぁ、最悪見つからなくても他のものでも問題ないのですが、調理器具がないと本当に困ります。
それを探すだけでタイムロスしますし、本当に「定位置から移動させる」のは勘弁して欲しいのです。

食器や調理器具などであれば命に関わったりすることもありませんが、もしこれが、緊急を要するものだったりしたら。
まぁ、ものすごいケガだったら、後から保険証や医療証を提出することにはなりますが、それでも、そこにあると思っている定位置にないということは、病院に付き添ったり、学校や保育園から呼び出される身としてはかなり困ります。

育児家事をしないこと自体も家庭にいる人間としてどうかと思いますが、100歩譲って家事育児をしなくても良いから、邪魔だけはしないでほしい。
今回、保険証&医療証が定位置になかったのは、年始にツレがツレ母の誘いで子どもたちと一緒に旅行に行ったときに持っていったからでした。
病院への付き添いの90%以上をこなしている僕が必ず入れている定位置をツレも認識しているからこそ、そこから持って行ったわけなので、終わったらすぐに同じ場所に戻して欲しい。

家事育児をしない人は、そもそも「定位置」というものがある、ということを知りません。
そして何かをしようとすると、「定位置」から移動させるので、普段担っている人はストレスを感じます。
なので、家事育児をしていない人は、まず「定位置を知る」ことから始め、その「定位置に戻す」ということをしていって欲しいと思います。
2017.02.20 Mon l 日々雑感 l top
ずっと前から僕は言ってるけど、あんまり相手にされないので、放っておいたというか諦めていたことの一つが配偶者の呼称です。
女の人が夫のことを「主人」とか「旦那」とか言っているのを聞く度に、「あなたは奴隷か、はたまた雇用関係でもあるのですか?」と(基本的に心の中で)突っ込みを入れています。
男の人も割と「うちの嫁が~」とか、「奥さん」とか言うので、「お前の息子はもう結婚したのか」とまたもや心の中で突っ込みを入れたり、やっぱり女性はいつまで経っても男性・家の付属物なんだなぁ、と思ったりしています。

僕の中では、結構うんざりするくらい突っ込むのが当たり前のことになっていたので、ブログに書いていたと思っていたのですが、どうやら一度もこの話を書いていなかったので、改めて書いてみようと思った次第です。

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何故、うんざりするくらいのこの「主人」「旦那」「嫁」「奥さん」という配偶者呼称問題について触れようと思ったのかというと、ちょっと前に、作家の川上未映子さんのコラムを読んだからです。

川上未映子「主人」という言葉が心底嫌い(日経DUAL)

川上さんが書いていることに全面的に同意するので、もはや僕としては書き加えることなどないのですが、全面的首肯部分をちょっと引用してみたいと思います。

そう、どんな文脈であれ、やっぱり主人は主人だ。ご主人さまだ。言葉っていうのは、どうしてなかなか厄介なもので、使っているとその言葉のもつ意味は、けっこう心身にぐいぐい侵食してくるものなのだ。



そう、これ。
言葉にこだわり過ぎだと僕なんかは言われる方で、そうすると、「あぁ、みんなあんまり気にしてなくて、気にする僕が普通では無いのか」と思ってしまいます。
川上さんが言えば、「彼女は作家だから言葉に敏感になるのは当然」と受け入れられているように思うのですが、やっぱり作家だろうが一般人だろうが、言葉を使って生活しているのだから、言葉に縛られているわけです。

誰かが僕のことを「○○くん」と呼べば、学生時代の教員でなければ、「あぁ、この人は僕を下に位置づけたのだな」と僕としては認識するわけで、それと同じように誰かが配偶者のことを「主人」と言えば、「あぁ、この人は奴隷なのか」と僕は思うわけです。

これはその言葉を受け取った側の僕という人間の捉え方ですが、やっぱり言葉ってのは何かを規定したりする力があると思います。
「僕はダメな人間だ」と毎日言っていたり、言われ続けていれば本当にダメになっていくだろうし、「きっと大丈夫だよ」と言い続けてくれる人が周囲にいれば、どんなにひどい状況でも「うん、大丈夫」と思える。
そういう力を言葉ってのは持っていると思います。

川上さんも指摘しているように、僕がこの「主人」「旦那」「嫁」「奥さん」という言葉で気になるのは、その言葉を使っている人たちが、実際に主従関係にあったり、「家」制度が色濃く残っていた僕の両親(団塊とかそれより少し上)とか、祖父母(明治生まれ)とかの世代だったら、「そういう時代だったんだろうな」と思ってなんとか飲み込めるのですが、僕と同じとかその下(20~30代)でも頻繁に使われていること。

一緒にお話ししているときに「うちの主人が~」とか話をされると、川上さんの言う「知性は最低ランク」ということなのかも知れませんが、「あぁ、マジか」と幻滅してしまいます。

じゃあ、どんな呼び方すれば良いのか、ってことなのですが、これは普通に名前で良いんじゃないかと思います。
そうすれば、この「主人」「旦那」「嫁」「奥さん」とはちょっと違った意味で「?」と思ってしまう、配偶者のことを「パパ」「お父さん」「ママ」「お母さん」と呼ぶこともなくなりますし、聞いている人にも親しみが出て来て良いと思っています。

でも、この配偶者を名前で呼ぶということ、僕が結婚したばかりの時に「結婚して身内になったのだから、名前で呼ぶのはおかしい」と言われたことがあります。
僕も22歳で、相手も目上の人でしたし、関係を壊してしまうのを恐れて反論しませんでしたが、「身内」ってのもやっぱり「家」制度を前提にしているんですよね。

だから、僕は配偶者のことを名前で呼ぶのが良いかな、と思っています。
今考えれば、「身内なのにおかしい」と言ってきた人は僕の倍くらいの年齢なので、世代が違うから、ということで流せば良かったと思います。
2017.02.14 Tue l 日々雑感 l top
ツレに「なんでそんなにイライラしてるの?」と火に油を注がれ、余計にイライラが募る、という日々を過ごしています。
ツレにブログを再開したことは伝えていなかったのですが、どうやら読んでいるようで、先日の家事でのイライラを解消する為の方法を書いた記事(「パラレル家事」)も読んでいるはずなのですが、ツレ本人には僕をイライラさせているのは自分であるという自覚は皆無なようです。

他の主夫/主婦の人たちと話していると、「パートナーには家事・育児が向いていないんだから、向いている方がやれば良い」、「相手を変えることは出来ないから自分が変わるしかない」とか、「パートナーを支えるのが一番の仕事」という、諦めや悟りを開いている人たちが多くいます。
でも、僕は相変わらずそんな悟りは開けず、「大人なんだから最低限自分のことは自分でやれよ」とか「家にいるんだから、いるときくらい家事しろよ」と思ってしまいます。

ツレにはブログに書いても伝わらないようですが、何故イライラするのか、先日の「パラレル家事」とは違った原因があったことに気づきました。

それは、ある家事に対して求めていること(仕事の範囲)と相手が考えている家事の範囲が違う、ということ。

具体的には、先日のある土曜日のこと、僕が出かける用事があり、ツレの仕事も休みだったので、洗濯物を半分僕が干したあと、残りの半分をツレに任せて出かけたときのことです(我が家は洗濯物が多いので毎日最低2回洗濯機を回します)。

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昼頃帰宅し、ムスメやツレが昼寝(夕寝?)から覚め、洗濯物を取り込もうとベランダに向かうと、何故かツレに頼んだはずの洗濯物がムスメやツレが寝ていた部屋に干してありました。
その部屋はベランダにつながっている部屋なのですが、湿気がひどい部屋で、洗濯物が乾くことはありません。
昼寝をするために、窓も閉めていたので、当然空気は通らず、洗濯物が乾くはずがありません。

これに直面した僕はイライラが急上昇したのですが、ツレには何故怒っているのかまるで分かっていない様子。
そこで最初に書いた言葉をかけられ、沸点を通り越したわけなのですが、何故こんなことが起きたのかというと、僕がツレに任せた「洗濯物を干す」という仕事の範囲とツレが考えている「洗濯物を干す」という仕事の範囲が違うから来ているのではないか、と思いました。

僕が「洗濯物を干す」ときには、洗濯物を干すだけではなく、遅くても日没までにその干された洗濯物が乾いてることが結果として求められます。
雨だったら浴室乾燥機を使い、晴れてても風のない日は、厚手の洋服も乾くように配置や順序を考えて干します。

が、ツレにとって「洗濯物を干す」ということは、言葉通り「洗濯物を干す」だけ。
それが10時間経って乾いていようが乾いていまいが関係がありません。
ツレにとっては「洗濯物を干す」という仕事が終わっているので、その後それらの干された洗濯物がどうなっていようが、もう自分の仕事の範囲では無いのです。

このズレが僕のイライラを生んでいるのです。

洗濯物が長時間干していても乾いていないということは、洋服も臭くなってきたり、それ以外にもある無数の家事をこなす上でも順番が変わってきたり、余計な家事(乾くように浴室乾燥機にかける←するとその時間誰も風呂に入れないし、乾いたあと(夜遅く)に畳まなくてはならない)が増えます。
だから僕にとっては、「洗濯物を干す」ということは、「乾く」ということも当然その中に入ってきますし、時間も「日没まで(夏場は夕方まで)」になります。

普段何も家事をしないツレにはイレギュラーで発生した「洗濯物を干す」という仕事なので、その他の家事に影響することや洗濯物が臭くなること、皆が寝ている部屋に干せば洗濯物が乾かないばかりか余計にその部屋が湿り、カビが発生するということはどうでもよく、「洗濯物を干す」というだけでその仕事が終わったと判断してしまうのでしょう。
だから、「夕食を作る」ときには、使った調理道具を洗わずに放置出来るし、夕食の時間に間に合わなくても関係なく、「ゴミを出す」とは家の中にあるゴミを集めてゴミ集積所に出すことではなく、僕があらかじめ家の中から集めて玄関に置いておいたゴミ袋を集積所まで「運ぶ」ことと認識し、「洗い物をする」とは食器に付いた油などが取れていれば良く、その後乾いていようがシンク周りが汚くても水浸しになっていても、「仕事が終わった」と判断するのでしょう。

あらゆる家事で発生するこの仕事の範囲の認識のズレを埋めるための解決策はあるのか。
いつも担っている人が丹念に説明するということが一番分かり易いのかも知れませんが、10年以上一緒に生活していると「そんなこともわからないの?」と思ってしまいます。
ということで、結局、皆、諦めるか悟るかになってしまうのだな、と納得はしたものの、結局悟ることの出来ない僕はどこにもこのイライラを解消する方法はありません。

他の方法としてイライラしないためには、イライラの原因であるツレがいなければ良いので、「(邪魔なので)帰ってくるのは21時以降にしてくれ」とことある毎に言っているのですが、実行してくれず、結局イライラが溜まるばかりで、更に「何故イライラしてるの?」と油を注がれる日々。

早く子どもたちが成長したあかつきに、僕がこの家から出ていく日を刻々と夢想しています。
2017.02.12 Sun l 日々雑感 l top