先日、久しぶりに小説を読みました。
正確に言えば、小説自体は読むこともあり、それは村上春樹の新刊だけでした。

高校生の時に、当時その高校は蔵書が高校にしてはかなり多く、(授業中、特にやることがなかったので)小説をたくさん読んでいました。
その時に、誰が書いたものだろうが、いつの時代のものだろうか関係なく読んでいたのですが、とりわけ村上春樹の作品に魅了されました。
大学時代はまだ小説を読んでいたのですが、大学院以降はどうしても専門書を読む方が優先されてしまい、村上春樹の翻訳含めた新刊以外は小説を読むことが殆どなくなっていました。

3月に『騎士団長殺し』を読み、また少し小説を読みたいなと思っていたところ、前から気になっていた『マチネの終わりに』の作者である平野啓一郎さんが津田大介さんのメルマガで作品について語っていたのを読み、読んでみることにしました。

実際は、まだ単行本と電子書籍でしか発売されておらず、(僕の懐事情では高いのですが)たまたまクーポンがあり、かなり割り引かれたので、電子書籍で購入して読んでみました。


マチネの終わりに Kindle版


『マチネの終わりに』特設サイト|平野啓一郎

あらすじ(特設サイトより)
物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのかー

感想
他の人の感想や書評を一切読まずにこの本を読めたのは幸運でした。
この作品は、多分映像化を期待する人が出てくるでしょうし、現時点で作中で触れる音楽を扱ったCDも発売されているので、いずれ映像化もされるような気がします。
もし、映像化されたとしても、この小説は、映像化される前に読む方が良いと僕は思いました。

それは、この物語では「どの時代を生きているか」が重要な背景になっているからです。
この時代だからこそ展開される物語で、しかし、この時代をもし映像化すると安っぽくなってしまうのではないかと思うからです。

逆に、この時代で展開される物語だからこそ、すごくリアルに感じました。
登場人物の蒔野はギタリストで、洋子は父親が有名な映画監督でダブルのジャーナリストと、現実の自分とはかけ離れた存在ですが、それでも身近な物語として感じる事が出来ました。

それは、僕自身が33歳になったということも大きいのかも知れません。
物語では、最初、蒔野は38歳、洋子は40歳です。
僕とは少し年齢が離れていますが、それでも、年齢による結婚や妊娠への最後の可能性という切迫したような感情や、それを想像する男性側の態度、というものは30代も半ばになってきたからこそ、身近な出来事として、リアルな出来事として捉えることが出来ました。

読後にみたいくつかのレビューの中には、「メロドラマかよ」というような批評もありましたが、それさえも、年齢によって決断しなければならないことがあるということを考えた時、お互いのすれ違いを決定的なものにしてしまったように思いますし、最終的に希望的な終わり方になっているのは、単に「メロドラマ」と評してしまうよりは、そこに至るまでの5年以上の歳月を考えるとそのように簡単に評することが出来ないのではないか、と思いました。
まして、希望的な終わり方ではあっても、この後どうなるのかは全く分からないので。

久しぶりに小説を読んだからかも知れませんが、本当にとても良い作品だな、と思いました。
しばらく、他の小説を読んでみようかなと思い始めました。
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2017.05.16 Tue l 月間読書レポート l top
以前紹介したことのある、オーサ・イェークストロムさんが、「旅」をテーマにしたコミックエッセイを出していたので読んでみました。


北欧女子オーサのニッポン再発見ローカル旅 Kindle版


オーサさんが書いた『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』シリーズが好きで、旅に関するものは何となく惹かれて読んでしまいます。

行ったことのないところが紹介されていると「行ってみたいなぁ」と思い、行ったことのある場所だと「そうそう」と思ったり、「ここ行ってなかった。また行きたいなぁ」と思ったり。

コミックエッセイになっているので、まだまだ自分の知らない日本の色んな場所を知ることで、新しい発見や旅の意欲が高まるかな、と期待していました。

でも、なんだか今回はそういう気持ちになれませんでした。
レビューの評価も複数のサイトを見ても高いですし、多くの人は高評価なようですが、僕には別に悪くはないけれど、「ここに行ってみたい!」という気持ちになるものはありませんでした。

僕自身の心身の調子が悪かったのかな、とも思うのですが、行きたいなぁ、と思うことがなかったのは、一番大きな理由は「旅」を伝える上で「コミック」だと「文字」よりも情報量が少ないからかな、と。
コミックという画になっていると、視覚的に分かりやすいものの、それがどんなところなのか、そこで食べたものがどんなものなのか、画では分かるものの、味などは伝わってきません。
でも、文字で書いてあると、(テレビでもそうですが)味やにおいなども文字で伝えようとすることがため、逆にそれがどんなものなのか伝わってくるのです。

さらに、文字での情報が伝わってこなくても逆に、読み手が「想像」することが出来ます。
想像することで、「それがどんなものなのか、実際に観てみたい」とか「実際に食べてみたい」という気持ちがわいてきます。
そういう気持ちが「コミック」という画だと逆にならないのかなぁ、と。

この本の内容のいくつかは、朝日新聞の土曜別刷版に載っていたものなのですが、その土曜別刷版のオーサさんの連載を毎回必ず読むほどでは実はありませんでした。
コミックエッセイはとても面白く読んだのに、なんでこの連載はそこまで読む気になれないんだろう、と思っていましたが、この本を読んでやっと少し理由が分かったような気がします。
2017.04.30 Sun l 月間読書レポート l top
先日、発売前から知人たちが、普段は教育や育児について記事や本を書いているおおたとしまささんが夫婦についての本を出すということを話題にしていました。
僕自身もおおたさんの記事はいくつか読んだ事があり、本は『男子校という選択』くらいしか読んだ事がありませんが、興味が沸いたので読んでみました。


<喧嘩とセックス>夫婦のお作法 (イースト新書)


タイトルがあまり良くないな、と思うのは、特に「セックス」については最初にちょっとだけ触れられているだけなので、内容とマッチしていないということと、このタイトルから敬遠する人もいると思われる点です。

内容は、重点が置かれていたのは、近年話題になり、妻vs夫という構図で固められてしまった「産後クライシス」についてで、その中身を丁寧に読み直そうとしていています。

たとえば、「産後クライシス」は「配偶者といると本当に愛していると実感する夫」と「配偶者といると本当に愛していると実感する妻」との差が17%もあることや、夫も妻も子どもが生まれ子どもの年齢が上がるにつれて愛情を感じる人が少なくなっていき、少なくなるのは妻に顕著であるということが問題だとされています。
妻の方が夫に愛情を感じにくくなっていき、夫との差が大きく広がっていく。
だから、夫よしっかりしろ、というメッセージが伝えられるようになりました。

でも、このアンケート結果を違う視点で見ると、より深刻なのは、子どもが2歳児になると、「配偶者といると本当に愛していると実感していない夫」が50%近、、「配偶者といると本当に愛していると実感していない妻」が65%近くいること。

夫を悪者にするだけでなく、じゃあ何故愛情を感じなくなってしまうのか、ということを読み解こうとしている点で好感が持てました。

他にも「家事ハラスメント」(家事ハラ)について書かれていたところでは、こんな文章もありました。

そもそも相手がこちらの思い通りに動いてくれないからと失望して、怒り、それを相手のせいにするというのは大変大人げのないことです。相手に期待して、その結果に一喜一憂するということは、自分の感情を相手に預けてしまっているということです。自分の感情を相手に依存してしまっているということです。自律的ではありません。
(中略)
夫婦に限らず、人間関係の悲劇の多くは、相手に期待しすぎることで起こります。
自分の期待に応えられなかった相手に失望し、それが怒りに変わり、その怒りが相手にも伝わり、対立構造が深まってしまうのです。
赤の他人との間にはこのような葛藤は生じません。お互いに期待する関係だから生じる問題です。特に夫婦においては避けられない問題です。



この指摘はもっともなことで、相手(パートナー)に期待しているからこそ、それを裏切られたと感じたり、失望したりしてストレスがたまってしまいます。
それを「大人げない」と言われてしまうと元も子もないですし、相手を少しでもコントロールしようとしていることを自覚してもいるのですが、それでも共同生活をしている限り、自分のことは自分でやって欲しいと思ってもしまいます。

この点についての対策・対処についても述べられてはいたものの、おおたさんが書いている事を2人ともが理解し、しっかり話しあったりすることが出来れば可能かも知れないけれど…、とかなり良好なコミュニケーションが取れていないと難しいのでは、と思ってしまいました。


この本の中で僕の気持ちが少し軽くなったのは、この文章でした。

ノルウェーでは夫が食事の支度をするのは当たり前なのですが、その定番料理ナンバーlワンが、なんと冷凍ピザなのです。ノルウェーのイクメンが食事の支度をしているといっても、レンジでチン! しているだけなのです(全部が全部じゃないでしょうけれど)。それでも「うちのダンナはよく料理をしてくれる」と妻から認めてもらえるわけです。
ベルギーのイクメン夫婦からも似たような話を聞きました。よく夫が料理を作るのですが、レパートリーはパスタとサラダだけ。ソースとドレッシングの味つけを変えているだけです。パスタっていうと聞こえがいいですけど、要するに麺を一O分やそこらゆでて、ソースを絡めるだけです。



時々こういう文章を読んで、僕は自分の家事に対する基準をリセットしています。
特に料理に関しては、他の家事よりも自分で水準を高めに設定してしまいがちで(もちろん料理が苦にならず、割とすきだということがありますが)、昨日も割と忙しいのに3品も作ってしまいました…。

昨年末にも料理研究家の土井善晴さんが、「一汁一菜でよい」ということを伝える記事(「一汁一菜でよいという提案」 土井善晴さんがたどりついた、毎日の料理をラクにする方法)を読みましたが、土井さんの記事では自分の料理の水準をリセットしようと思い、今回のこの本では我が家のイクメンであるツレにはあまり期待しすぎないようにしないとと思ったのでした。
2017.04.27 Thu l 月間読書レポート l top
今日も最近読んだ本について。

益田ミリさんの本については今までも何度か取り上げてきましたが、文庫で出たということで買って読んでみました。


ちょっとそこまで旅してみよう (幻冬舎文庫)


元々は2013年に刊行された『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』という本に文庫版のエピソードを加え、題名を少し変えて文庫化して出版したようです。

僕自身は旅を(多分)よくしている方で、結婚以来自由に旅をする機会は皆無でしたが、5年前くらいに急にツレから「行ってくれば?」と言われたことをきっかけに、死ぬまでに行きたかったインドを筆頭に、イタリア、友人が駐在していたオランダ(とその周辺国)、父親とのトルコ行きが中止になってしまったので昨年末に次男とスペイン、と行ってきました。

僕自身の自覚としては、旅行自体はそこまで好きではありません。
インドでは結構しんどい思いをしたし、なによりもインドはかなり久しぶりの一人旅だったのですごく緊張し、それだけで体重がかなり減りました。
(この辺の感覚はメレ山メレ子さんと岸政彦さんの対談で出てくる話がとても共感出来ました。)

「そんな思いをしてまで何故行くの?」と疑問に思うかも知れませんが、小学生の時、通知表に書かれたり、担任と保護者の面談で言われた「飽きっぽい」という言葉が関係している気がします。
「飽きっぽい」というとすごくネガティブな響きで、実際にそういうネガティブなメッセージとして僕も大人から伝えられ、受け取っていました。
でも、逆に言えば、色んなことに興味を抱き、一つのところにとどまってはいられない、ということ。

旅自体にはすごく緊張したり、帰って来てからすごくホッとしたりするのですが、それでも旅に出かけて行くのは何と言っても一つのところにとどまってはいられないというこの性分があるからではないか、と思います。

いきなりかなり長い歴史の話になりますが、多分、人類が定住生活をしていない時代だったら、今の僕も特に問題などなく、むしろ、色んなことに興味がわき、いろんなところに移動することもいとわない性分が「生きる上でのスキル」に役に立ったのではないか、とさえ思います。
定住という生活スタイルを取り、殆どの人は一つのことをやり続け(たとえば仕事という名の会社組織や結婚生活)、死んでいくということが「当然」という生活になっている今、逆に「色んな事に興味が沸き、じっとしていられない」という性分はマッチしていないのだと痛感します。

と、自分自身が何故「旅」というテーマに興味が沸くのか、引き寄せられるのかということを感がえるきっかけになり、読んで良かった、とは思うものの、他の人には全く関係のない話でした。

益田さん自身の旅(一人旅、パートナーとの旅、母親との旅、友人たちとの旅)が書かれているのですが、一番良かったのは、かなりざっくりしたものであるとはいえ、大まかな料金が書かれていること。
興味が沸く旅先は読者それぞれ違うと思いますが、その時に、自分だったらこのくらいかかるかな、とかこういうプランも出来るのか、と想像出来ることが良いな、と思いました。
2017.04.19 Wed l 月間読書レポート l top
最近、読んだ本のことを書いていなかったので、久しぶりに最近読んだ本のことを書いてみます。


いのちの車窓から


星野源という人をどのように認識したのかは、人それぞれいろいろあると思います。
たぶんツレや両親だったら、NHKの朝の連続ドラマを見続けているので「ゲゲゲの女房」で認識したと思いますし、最近知ったという人は、紅白歌合戦やTBSドラマの「逃げるは恥だが役に立つ」などかなと思います。

僕が初めて星野源という人を認識したのがいつだったのかは忘れてしまったのですが、友人がFacebookで星野源だったか、星野源がやっていたバンドのサケロックのライブに行っている様子を見たことがはじまりでした。
そのあとに行った本屋さんで星野源の本が置いてあり、(普段なら単行本を買うのはかなり慎重になるのですが)なんとなく気になったので買って読んでみました。

その時に手に取った本が確か『蘇える変態』だった気がします。
なんとなく買って読んでみたその本の文章が面白く、『そして生活はつづく』、『働く男』もすぐに読みました。
そのどの文章も面白かったので、そこで書かれている星野源の音楽も興味が沸き、音楽も聴くようになりました。

なので、僕にとっては星野源という人は、俳優、ミュージシャンである前にエッセイストなのです。

と、僕の中でエッセイストである星野源が雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載していたものとオリジナルを少し加えたのが『いのちの車窓から』です。
多分多くの人が知りたいと思っているであろう、紅白歌合戦に初出場が決まった時のこと、「逃げ恥」撮影中のことなどが書かれています。
ファンにとってはたまらない話なのかな、と思います。
それが、色んなサイトや新聞などでの書評に表れているようです。

多くの人が絶賛していた「ラ・ラ・ランド」の感想を書いた時のように気持ちで書くのですが、以前のエッセイのように楽しんで読むことは出来ませんでした。

まだまだマイナーな存在だった星野源という人が一気に日本中に知られるようになった時期であり、その立場も固めつつあった時期に書かれたものなので、それまでのような親近感が全く無くなってしまったということもあります。
でも、そんな親近感は勝手にこちらが感じていたもので、星野源という人には全く関係がないことなので、それは仕方がありません。

でも、その「親近感」には、単に有名かどうか、日本中に知られた存在かどうか、ということではなく、星野源が自分自身をさらけ出していることから来る親近感だったと思います。
下ネタだったり、小学生、中学生時代の失敗だったり、言わなくても書き残さなくても良いことをあえてさらけ出すということによって、読んでいる身としては、慰められたり、勇気づけられたり、自分自身の過去を振り返りつつ、これからのことを考え、その意味ですごく身近な存在としての星野源がいました。

ですが、この『いのちの車窓から』ではそのような身近な存在としての星野源はまったくいません。
ドラマの撮影があり、テレビに出ている人たちとの交流があり、歌を作り、ライブをし、番組に出演する。
これらの星野源の日常が単にそれを読んでいる人たちとの生活とかけ離れているだけでなく、星野源自身がさらけ出されていると感じるものはありませんでした。

単に星野源の日記を読んでいるような、そんな感じでした。
2017.04.16 Sun l 月間読書レポート l top
糖質制限をしていることを書いていますが、きっかけとなった漫画(「糖質制限でうつ病が治った話」:note)で紹介されていた本です。


炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)


新聞の広告や本屋さんで見かけたことはあったものの、タイトルにちょっと陰謀論的なものを感じてしまい敬遠していました。
でも、↑の漫画でそうではないというようなことが書かれていて、更にいつも読んでいる渋谷のバーのマスターも漫画を読んでこの本を読んだということだったので(「好きなものをなんでも食べてたら」:note)、僕も読んでみました。

Amazonのレビューに書いてあった通りなのですが、前半というか、最初の3分の1くらいは糖質制限自体について書かれていて、著者がどのように糖質制限を始めたのか、そしてどのような効果があったのか、そしてそれを見て糖質制限を始めた身近な人たちの反応や効果、更にそれをブログで公開していたので(「新しい創傷治療」)そこに書かれた糖質体験者のコメントなどが記載されています。

そこには、僕が昨日書いたように(「糖質制限の予想外の効果」)、体重が減ったということだけでなく、花粉症の症状が改善した、糖尿病の症状が改善した、さらに日中眠くなくなり集中力が出たというようなことが書かれていました。

僕としてはそこに書かれる「効果」の中には半信半疑のものもありましたが、実際に始めつつ読んだので、自分には一定の効果があり、そこに書かれていることは本当だったんだなと思いました。

でも、これもレビューに書いてあったことですが、残りの3分の2は、何故糖質が人間にとって必要がないか、ということを人類史、はたまた生物史を地球誕生のころから解き明かそうというもので、僕が全くの門外漢ということが大いに影響しているのでしょうが、かなり退屈に感じてしまいました。
著者としては、最初の3分の1の部分を理論的に解き明かそうということなのかもしれませんが、専門的知識や仮説を知るよりも、もっとシンプルに糖質制限の方法、効果、そしてそれを実践する上で、「納得」出来る考え方があれば良いので、読むのが疲れてしまいました。

なので、糖質制限をこれから始めてみようかな、という方がいたら、この本の最初の3分の1を読み、あとの実践例はブログなど探してみればいくつでもあるのでそれらを参考にしてみると良いかな、と思います。
2017.03.15 Wed l 月間読書レポート l top
最近読んで面白い(という表現をして良いのか分からないのですが)と思った漫画があります。


ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 1 (ヤングアニマルコミックス)


なんだか観たことがある画だなぁ、と思ったら、以前読んで面白かったこの本の作者でした↓


さよならタマちゃん (イブニングコミックス)


『さよならタマちゃん』についても書いた事があったと思ったのですが、探しても出てこなかったので、少し紹介すると、精巣に病気が見つかり、手術をする話です。
体験、とくに闘病記は色んな作品がありますが、どれも惹きつけられるのですが、ほんわかした画で体験が中和されつつも、壮絶な出来事だったことを感じさせ、そのバランスがとても良く出来ている作品でした。

そんな著者の今連載中の作品は、一昨年、天皇皇后両陛下が訪問したパラオ、ペリリューでの戦闘を描いた作品です。
僕個人としては南国の戦闘に関してはまず第一に沖縄戦、そして少しだけフィリピンでの戦闘のことを知っていましたが、ペリリューでのことは全く知りませんでした。

歴史を知る、ということ自体ですごく貴重だと思わされるとともに、救いようのない戦争がここでも描かれています。
たとえばこのシーンとか↓

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こういうシーンをさらっと読ませるのは、この絵柄があってこそだと思います。
『はだしのゲン』なども名作ですが、どうしても迫ってくるものがありすぎて避けてしまったりする人がかなりいますが、この絵柄だと描かれている内容はすごいのですが、そこに描かれているものを受け止めることが出来ます。

まだ連載中の作品なので、この後どのような展開(といっても過去の出来事なのである程度の展開は予想できますが)があるのか分かりませんが、歴史を学ぶ上でも今後が楽しみな作品です。
2017.03.09 Thu l 月間読書レポート l top
以前紹介したことのある本の続編が出ていて(「4月に読んだ本」)、前作がとても面白かったので、続編も早速読んでみました。


さよなら、カルト村。


「カルト村」とあるのは、ヤマギシ会のことで、ヤマギシ会という名称が本文に出てくることは無いのですが、それでもヤマギシ会だということが分かります。
作者の高田かやさんは、年齢は多分僕より少し上で、両親がヤマギシ会だったので、子どもである高田さんとその妹もヤマギシ会で暮らしていたようです。

前作は小学生になるくらいまでの話でしたが、今回は中学生、高校生(実際には高校には行っておらず、そういう年代という意味)、そして「一般」(「一般社会」の意味)と呼ぶヤマギシ会を離れるまでの出来事が描かれています。
前作を読んでいればより分かり易くなるとは思いますが、丁寧に描かれているので、今作だけを読んでも良くわかるようになっています。

所々、高田さんのパートナーであるふさおさんが登場し、「それって○○ってこと?」と質問し、それに高田さんが答えるというところもあり、ヤマギシ会という宗教組織や、高田さん自身へ客観的視点を持ち込めているように思います。

高田さん自身がそもそも生まれがヤマギシ会で、離れて大分経っているようですが、嫌悪感のようなものを持っている訳でもなさそうなのが、良いなと思います。
もちろん、そこでの生活が「普通ではない」ということもパートナーのふさおさんの言葉から分かるのですが、それでも「そういうものだったから」という感じで嫌悪する訳でも、忌避する訳でもなく、「過去の出来事」として消化出来ているように感じました。

まぁ、それでもこういう場面↓を見るとなかなか受け入れられない人も多いような気がしますが、母体が宗教であったり、日本での一般的な生活スタイルとは異なっていても、「大人が子どもをコントロールしようとする」ということは、色んな形で行われているわけで、ここで描かれるやり方に嫌悪感を持つ人は、是非、自分たち大人が子どもをどのようにコントロールしようとしているかについて少し関心を持ってみてもらいたいな、と思います。

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あとは、サリン事件のことが描かれていて、さらっと流されてしまっているように僕は感じましたが、あの事件で各地の宗教団体が差別的な扱いを受けたり、ヤマギシ会も関連が疑われるということもあり、それが大きな影響を与えていたようです。
僕は地下鉄サリン事件の時が小学生だったので、リアルタイムで他の宗教へどのようなことがあったのか、肌感覚で知っているわけではないものの、あの出来事は大きな影響があったことは小学生でも分かりました。
その時高田さんたちにどのようなことが起きたのか、どのようなことを考えたのか、その後に村を出たとき関連して何か言われなかったかなど、もう少し知りたいな、と思いました。
2017.03.05 Sun l 月間読書レポート l top
先日、Amazonでおすすめ商品としてこの本が表示されました↓


うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち(角川書店単行本)


作者の田中圭一さんのことは、以前noteで作品を読んだことがあったので知っていて、その時も「うつ」の話でした。

はぁとふる売国奴 | note

noteで読んだ時も面白いというか興味が湧いたのですが、この本はそれを本にまとめたもののようで、レビューを読んでみると多くの人が評価していたので、うつ経験者というか、去年からかなりうつがぶり返している感じがあるので、読んでみることにしました。

内容は、タイトルに「うつヌケ」とあるように、うつの経験があり、そしてそのうつのトンネルから抜けたことのある人たちが、1人1エピソードで書かれています。
そもそもうつ病の診断がついていない人もいますが(病院に受診しない人が数百万人規模でいるという調査結果もあります)、それもうつを巡る日本の現状を考えると、うつにも様々なものがある、ということを分かり易く提示しているように思いました。

この場面↓でうつの特徴がうまくまとめられていますが、うつ経験者にとってはすごく共感出来ることでうなずけることでも、実は経験者じゃなかったり、当事者が周囲にいない人にとっては知らないことなのかもしれないので、こういうことが多くの人に知られると良いな、と思いました。

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少し物足りないな、と思ったのは、1人のエピソードが短いので、どうしてもうつになったきっかけから、うつになっている間の過ごし方、そしてそこからどのように抜けたか、といことを丹念に描くと言うよりは、うつをどうやって抜けたかに焦点が当たっていて、それ以外の部分が短く感じることです。
うつ当事者としては、抜けた時のエピソードというのは本当にものすごく重要なことなのですが、それでも知りたいのが、うつになっていた時にどうやって過ごしていたのかということ。


特に、僕の場合で言えば、無理解で余計に苦しめてくる人たちもいましたが、その人たちがいたから存在がかすんでいた、身近な人が実は結構無理解だということ。
うつの一番ひどい状況からは脱したものの、結局今もうつを完全に脱して切れていない(と僕が考えている)のは、今の環境がやはりまだ良くないから。
そういう人たちとは関わらずに済ませられれば良いのですが、そう出来ない現状があり、なので、うつからも完全に脱することは出来ません。
そういう状態にいると、うつにさまよっている間の他の人の経験というのがすごく知りたくなるのでした。

また、うつのヌケ方についても僕の実感と違いはありませんでした。
ここに↓描かれているように、「小さな達成感」や「必要とされているという実感」が本当に重要だなと僕自身も思います。

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でも、自分のことを考えてみれば、達成感や必要とされているという実感はまるでありません(散々書いていますが、ツレの第一声はいつも否定から入り、家事育児をいくらしても感謝の言葉もなく、何かを要求して来ることはあっても僕からの要求に応じることはほとんどない)。
去年から始めた山登りは「小さな達成感」ということを自分の中で言語化したり、明確な考えがあって始めたものではなかったのですが、少しでも「小さな達成感」を感じるようと僕自身の身体が求めていたのではないか、と今になって思います。
それでも、うつをぶりかえした中で、少しでも悪い方向に向かわないようにと始めたことなので、快方に向かっているわけではありません。
最近も希死念慮が強く、病院に行った方が良いんだろうなぁ、と思いつつも、どうせ何をしてもツレはネガティブな反応をするので(たとえば病院に行くと「金がかかった!」とか?)、逃げ出すことも現実的に出来ないし、もういっそのことさっさと死にたいなぁ、と思うのですが、自死まで踏み切る勇気もなく、なるべく早くゆるやかに死んでいきたいな、と思って過ごしています。

って、なんだか自分のことをつらつら書いてしまいましたが、コミックエッセイということで読みやすいことはもちろん、脳が寒天で覆われる感じなど、経験者だからこそよく分かる表現などもあり、うつ未経験者の方にもおすすめです。
2017.03.04 Sat l 月間読書レポート l top
先日、知人(大学院生)が自身の歩みを振り返りつつ、原点となった本としてこの本を紹介していました↓


学校って何だろう―教育の社会学入門 (ちくま文庫)


苅谷剛彦さんの本は読んだことがあったような気はするものの、この本は読んだことがありませんでした。
また、この本を紹介していた知人自体が学校がなじめなかったことなどを書いていて、その体験の方に強く惹きつけられたのですが、興味が沸き、読んでみました。

あとがきを読んで知ったのですが、苅谷剛彦さんがまだ東大の教員だったときに、「毎日中学生新聞」(今は休刊)で連載していたものをまとめたとのことです。

連載自体が今から20年くらい前で、僕が読んだ文庫版自体も10年以上経っているので、統計などの情報は古いのですが、「学校」というところがどのような目的をもっているのか、どのような場所なのか、ということは、そこで教えられている内容や形式に変化はあれど、特に変わっていないので、古びること無く読むことが出来ました。

ここに書かれている内容を自分が中学生の時に読みたかったな、というのが正直な感想です。
それによって学校に対しての思いとか過ごし方が変わったかどうかは分かりませんが、それでも、学校での教師の振るまいを少しは理解出来たのかもしれないし、自分だけが過ごしにくいと感じていた学校での人間関係も相対化して見ることが出来たかも知れません。

それに、学校って、やっぱり僕はこの年齢になってもすごく苦手なのですが(建物としても、組織としても、その中で行われていることも)、苦手でも、何故学校があるのか、今の仕組みになっているのか、ということを理解することによって、少しはその苦手意識も軽減したような気がします。

読むのが遅すぎたのか、やっぱり、この本で書かれているような「学校」は今も苦手ですが。
その代わり(?)、この形にとらわれない学校の形もやはり可能なのかも、という気持ちも持ちました。
だからといって、この形にとらわれない学校を自分でやれるか、というとそれはまた大きな違いが出て来ますが。
2017.03.02 Thu l 月間読書レポート l top