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平野啓一郎さんの小説ですが、今回は短編集を読みました。


透明な迷宮(新潮文庫) Kindle版


表題の「透明な迷宮」は出だしからとても不思議な話で、そして、最後も不思議な感じで終わり、とても印象深い作品でした。
ブダペストが物語の舞台になっているのですが、僕にはその場所を想像することが難しく、読んでいてもあまり情景が浮かび上がることがなかったので、その点ではとても難しく感じました。

また、「Re:依田氏からの依頼」も印象的でしたが、この話が印象的だったのは、現実にありそうでなさそうな境界で描かれているからかな、と思います。
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2017.07.11 Tue l 月間読書レポート l top
先日、『一瞬の光』について書いた時に「今度は女性が書いた小説を読む」、と書いたのですが、平野啓一郎さんの小説です。
いや、『マチネの終わりに』が良かったので、とりあえず、平野啓一郎さんの小説で手に入るものを読んでいたのです。


顔のない裸体たち (新潮文庫) Kindle版


内容は、インターネットで知り合った男女(というか男の方)が、2人の性行為をネット上に投稿し、それが人気を博し、エスカレートし、最終的に破滅を迎える、というもの。

単行本が出たのが今から10年ちょっと前で、その時だったら、この作品は少しリアルな近未来の話という感じだったのでしょうが、今は中高生でも性的なやりとりを平気でネット上に流している時代に突入しているので、なんだか、今ある現実の方がすごく遠くに来てしまったような感じがします。

ネットに投稿するという設定に関してはそんなことを思うものの、この男女の出会い方から、曖昧な2人の関係、そして、最終的に破滅に突き進む様子は、確かにこういう男女はいるかもしれない、と思いました。
性的な欲求を満たすだけ、と割り切っているのかといえばそうとも言えず、かといってそれは愛でもない。

身近、というか知っている人がこういうことをしていても不思議ではないわけで、そういう点でとてもリアルなものとして感じました。
2017.07.09 Sun l 月間読書レポート l top
平野啓一郎さんの小説を読んで以来、小説を読む日々が続いています。
今回読んだのはこの作品↓


一瞬の光 (角川文庫) Kindle版


この作品を読むまで著者の白石一文さんのことを知らなかったのですが、読後に調べたら、この作品がデビュー作とのことでした。
(高校時代に読んだ現代の作家以外はホントに小説自体を読まなくなってしまったので、現代の小説家について無知なのです…。
逆に言えば、高校以外では、現代の小説を読んだことがないとも言えます。)

オススメ作品として表示され、レビューの評価も高かったので読んでみました。
デビュー作品とは思えないほどの長編小説なのですが、あまり長いとは感じさせない作品でした。

でも、僕にとっては、村上春樹が描く小説の世界よりも、遠い世界の様に感じる話でした。
財閥系商社でエリート街道を進む主人公が、ある日出会った短大生に関わるようになり、同時期に交際を始めた恋人との関わりや、会社(というか従ってきた社長)の不正をきっかけに仕事も辞める、という話です。

身近にいわゆる「エリート」だとか、商社で活躍する人がおらず、あるいは恋人を形容する「誰もが振り返る美人」というのがどんな人なのか想像出来ないからか、書いてある言葉、文字、内容は理解出来るのですが、自分がいる世界と同じ世界のはずなのに、全く違う世界のことのようで、すごく遠く感じました。

この小説を読んで以来、「誰もが振り返る美人」というのがどんな人なのか、すごく気になってしまい、街行く人をチラチラと眺めるのですが、未だによく分かりません。
まぁ、僕は繁華街に行ったりしないし、この小説の舞台である青山とかに行かないからかも知れませんが。
青山とかに行けばそういう人を見つけられるのでしょうか。

と、まぁ、それは良いとしても、なんだか、恋人への主人公の接し方とか、2人の交わりの描き方とか、恋人の発言とかが、ものすごく「男性目線」のような気がして気になりました。

そういえば、女性作家の小説って殆ど読んだ事がない、ということに気づいたので(アメリカの作家だと少しはいるのですが)、今度は日本の女性作家がどのように男女の関係を描いているのかを知る為に、女性作家の小説を読んでみようかと思います。
2017.07.06 Thu l 月間読書レポート l top
平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』を読んで以来、また小説を読むようになりました。

高校生の時に小説をたくさん読んでいたのですが、そのきっかけは福田和也さんの『作家の値うち』という本をたまたま書店で手に取ったからでした。
それまでは既に評価の確定している小説をたまに読むくらいで、殆ど読まなかったのですが、この本で評価の高かったものをとりあえず読む、ということで、村上春樹の小説を読むようになったりしました。

それ以来、読んだことのない作家の小説を読む機会もあまりなく過ごしていたのですが、『マチネの終わりに』が面白かったので、平野啓一郎さんの作品で古本屋さんにあったものをとりあえず読んでみました。


かたちだけの愛 (中公文庫) Kindle版


物語は、事故による大怪我で片足を失った女優と、たまたまその事故に駆けつけたことによって彼女の義足を作ることになったデザイナーとの交流です。
次第に2人は関係を深めていくのですが、その中で過去の出来事による嫉妬や、誤解などですれ違いも起きる、というもの。

この作品の中で僕が印象的だったのは、主人公相良がかつて暮らしていた実家の近所にいた幼馴染みとの再会の場面。
ちょっとしたすれ違いで最終的には結局何も起きずに2人はまたそれぞれの日常へと戻るのですが、その「ちょっとしたすれ違い」によって日々の出来事が積み重なっていくのだ、と他の部分でも感じられるようになっていました。

それがリアルに自分に迫ってくるように感じたのは(そんな経験はありませんが)、僕が主人公に近い年齢ということだからなのかな、とも思います。

この作品も割と読みやすく、僕としてはエンターテインメント的な感じの印象を受けたのですが、多分それは、もともと新聞連載だったからかもしれません。
現代の新聞連載の小説は読んだことがないのですが、新聞連載だからか、物語のリズムが整っているように感じました。
2017.07.04 Tue l 月間読書レポート l top
先日、新聞を読んでいたら、こんな記事を見ました。

「友だち幻想」急に売れ出す 9年前出版、あの童謡も…(朝日新聞2017年6月6日)

へー、こんな本があるんだ、と思っていたときに丁度古本屋さんに寄ったところ、あったので買って読んでみました。


友だち幻想 ――人と人の〈つながり〉を考える (ちくま新書) Kindle版


あっという間に読み終わる文量の本で、僕は割と遅読なのですが、1日で読み終わりました。
内容は、人はどのようなことに幸福を見いだすのかということから、他者とどのような距離感で関わっていくべきかということが描かれています。

例えば、人が幸福を何に感じるか、という点については、以下のようにまとめられています。

「幸福」の本質的なモメント
①自己充実
②他者との「交流」
 ㋑交流そのものの歓び
 ㋺他者からの「承認」



これは、調査とか実験に基づくものではありませんが、この指摘は確かにその通りだな、と感じるものでした。

また、僕は教育に関わっていることもあり、以下の記述は激しく同意するものでした。

私は教育大学に勤めていますので、仕事柄、小中学校の校長先生や先生方とお話しをする機会も多いのですが、非常に人格がすぐれていたり、リーダーシップもある先生、教育現場で力を発揮していると定評のある先生ですら、というよりもだからこそかもしれませんが、やはり「子どもたちというのはみんな良い子たちだから、教師がサポートさえすれば、みんな一緒に仲良くできるはず」という前提で頑張っているようなのです。



「ともだち100人出来るかな」という童謡があるように、「みんなと仲良く」という幻想に囚われている人が多いのが現状です。
でも、社会に出ると「みんなと仲良く」、あるいは「みんなと友だちになりましょう」なんて言われたり推奨されることはなく、むしろ、いかに軋轢を生まずに、イヤな相手、そりの合わない相手でも円滑にやり過ごすかが重要になってきます。
その点を例え学校生活であっても、理想化することなく子どもたちに教えていく必要があるのではないか、という指摘はとても重要だと感じました。

他にも、「自由」について触れられた箇所では、

ルールを大切に考えるという発想は、規則を増やしたり、自由の幅を少なくする方向にどうしても考えられてしまうのですが、私、が言いたいことはそういうことではありません。むしろ全く逆なのです。



ルールというものは、できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものなのです。
なるべく多くの人が、最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルールです。ルールというのは、「これさえ守ればあとは自由」というように、「自由」とワンセットになっているのです。
逆にいえば、自由はルlルがないところでは成立しません。



僕は高校で初めて「自由」とはどういうことなのか、ということを知りました。
その時の「自由」とは「全く何もルールのない状態」ではありませんでした。
むしろ「最低限守るべきルール」を提示された上での「自由」であり、その「最低限守るべきルール」を高校生であった僕も納得出来るものだったからこそ、そこに「自由」を感じました。

今現在、教育に少し関わっている身として、この「自由」ということを改めて言語になり読み取ることによって、自分自身の行動を振り返ることが出来たように思います。

最後に、他者と自分との関わりについて、以下の文章がとても良いな、と思いました。

どういうことかというと、信頼はできるかもしれないけれど、他者なのだから、決して自分のことを丸ごとすべて受け入れてくれるわけではないということを、しっかり理解しておこうという」ということなのです。


2017.06.20 Tue l 月間読書レポート l top
先日も少し触れましたが(「発達障がいではなく、HSPなのかも」)、こんな本を読みました。


内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫) Kindle版


何でこの本を目にしたのか、気になったのかは忘れてしまいましたが、気になったので読み始めてみたところ、腑に落ちる事ばかりでした。
(今回読んだのは文庫版ですが、元々は『内向型人間の時代』という単行本だったようです。)

原文を読んだわけではないのですが、多分翻訳が僕には読みづらく(たとえば誰の発言か分からなかったり)、書いてある内容は良いのだけれど、少し読むのに時間がかかってしまいました。
もし、英語で読むのが苦にならない人は原文で読んだ方が良いのかも知れません。
原文で読んだ方が良いと思うのは、原題が「Quiet」ということもあり、必ずしも「内向型人間」のことを言っているわけではないからです。
静かにすること、静寂、あるいは静かにするのを好む人、そういう気質を持つ人について書かれたものです。

読みづらく感じたのは、科学的事実や結果が得られている内容と、「~かもしれない」という内容が混ざっているということもあったので、どの程度この本に書かれている内容(たとえば外向的な人と内向的な人の割合)が正しいのかの判断は僕の中では保留にしつつも、面白い指摘が沢山ありました。

たとえば、現代アメリカ社会がどのような人間を求める社会になっているかというと

「人格の文化」においては、思慮深く、規律正しく、高潔な人物が理想とされる。他人にどんな印象を与えるかよりも、自分がどうふるまうかが重要視される。(中略)
だが、「性格の文化」が広まると、(中略)目立つ人やおもしろい人が人気を得るようになった。



と指摘し、ある州の小学校教諭の言葉として

ビジネス社会では独創性や洞察力ではなく言語能力が評価の基盤になっています。上手にしゃべれて、注目を集められる人でなくてはならないのです。



という指摘を引き出しています。
「上手に喋れる=能力がある」という訳ではないのにも関わらず、上手に喋れる人の意見の方が通りやすいといったことを、実際の例を出しながら論じていることで、日本でも同じような状況が生まれていることにとても納得がいきました。


また、「とても敏感な人」(Highly Sensitive Person)についての以下の指摘も面白かったです。

たとえば、とても敏感な人は、行動する前に熱心に観察する傾向がある。彼らは計画から大きくはずれない人生を送ろうとする。見聞きすることや、におい、痛み、コーヒーなどによる刺激に敏感であることが多い。(中略)
だが、まったく新しい考えもある。とても敏感な人は、物質的・享楽主義的であるよりも哲学的・精神主義的な傾向がある。彼らは無駄話が好きではない。(中略)
とても敏感な人は、自分の周囲の情報――物理的なものも感情的なものも――詳細に処理する。普通なら見逃してしまう微妙なことに気づく。たとえば、他人の感情の変化や、電球が少しまぶしすぎるといったことだ。



とても敏感な人は時として強く感情移入することだ。それはあたかも、他人の感情や、世界で起きている悲劇や残虐な出来事と、自分とを隔てる境界が普通よりも薄いかのようだ。彼らは非常に強固な良心を持つ傾向がある。(中略)他の人たちが「重すぎる」と考える、個人的な問題のような話題に関心をそそぐことが多い。



これも具体的な状況も描かれていて、その具体的な出来事がいかにも自分自身でも経験したことのあるような場面だったりしたので、とても苦しく感じるとともに、苦しく感じる必要もなかったのかもしれない、と思うことが出来ました。


他にも、オープンオフィスについて指摘されていて、これは今日本で流行っている「開放的教室」(窓がなかったり、教室間の仕切りがなかったりする校舎)にも当てはまる指摘だと思いました。

スタッフの離職率を高める。働く日との気分を悪くさせ、敵対的にし、意欲を奪い、不安を抱かせる。オープンオフィスで働く日とは血圧が高くなり、ストレスレベルが上昇し、インフルエンザにかかりやすい。同僚と対立しやすくなる。(中略)心拍数を増加させたり、体内で闘争・逃走反応をもたらす「ストレス」ホルモンと呼ばれるコルチゾールを分泌させたりする。そして人々を、孤立した、怒りっぽく攻撃的な、他人に手をさしのべない人間にしてしまうのだ。



例外は、オンライン上のブレインストーミングである。電子機器を使った集団のブレインストーミングは、きちんと管理されていれば単独作業よりもよい結果をもたらす。(中略)
オンライン上で集団作業している人々はみな、それぞれに単独作業をしているのだという事実を、私たちは見逃してしまっている。それどころか、オンライン上の集団作業の成功が、対面の世界でも可能だと思い込んでいるのだ。



上の指摘は、人間の気質そのものの話ではなく、そもそも何かに集中しなくてはならない場面では「集中出来る環境」が必要だということです。
これはオープンオフィスや学校の校舎設計のような話だけでなく、学力が親の経済力に大きく影響しているということとも強い関連があります。
親の経済力が高いということは、子どもに個室が与えられる確率が高くなり、そして個室(つまり集中できる環境がある)ということで学力が伸びるのです。
もちろんその場合でも、リラックス出来るある程度のオープンな空間があることも必要な要素なのですが、そもそも全てオープンで雑多な環境では集中出来ず学力が伸びないのは当然のことなのだ、と思います。

本を読んで自分の生きづらさの理由が少し分かったような感じがして、とても良かったです。
2017.06.18 Sun l 月間読書レポート l top
先日、久しぶりに小説を読みました。
正確に言えば、小説自体は読むこともあり、それは村上春樹の新刊だけでした。

高校生の時に、当時その高校は蔵書が高校にしてはかなり多く、(授業中、特にやることがなかったので)小説をたくさん読んでいました。
その時に、誰が書いたものだろうが、いつの時代のものだろうか関係なく読んでいたのですが、とりわけ村上春樹の作品に魅了されました。
大学時代はまだ小説を読んでいたのですが、大学院以降はどうしても専門書を読む方が優先されてしまい、村上春樹の翻訳含めた新刊以外は小説を読むことが殆どなくなっていました。

3月に『騎士団長殺し』を読み、また少し小説を読みたいなと思っていたところ、前から気になっていた『マチネの終わりに』の作者である平野啓一郎さんが津田大介さんのメルマガで作品について語っていたのを読み、読んでみることにしました。

実際は、まだ単行本と電子書籍でしか発売されておらず、(僕の懐事情では高いのですが)たまたまクーポンがあり、かなり割り引かれたので、電子書籍で購入して読んでみました。


マチネの終わりに Kindle版


『マチネの終わりに』特設サイト|平野啓一郎

あらすじ(特設サイトより)
物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのかー

感想
他の人の感想や書評を一切読まずにこの本を読めたのは幸運でした。
この作品は、多分映像化を期待する人が出てくるでしょうし、現時点で作中で触れる音楽を扱ったCDも発売されているので、いずれ映像化もされるような気がします。
もし、映像化されたとしても、この小説は、映像化される前に読む方が良いと僕は思いました。

それは、この物語では「どの時代を生きているか」が重要な背景になっているからです。
この時代だからこそ展開される物語で、しかし、この時代をもし映像化すると安っぽくなってしまうのではないかと思うからです。

逆に、この時代で展開される物語だからこそ、すごくリアルに感じました。
登場人物の蒔野はギタリストで、洋子は父親が有名な映画監督でダブルのジャーナリストと、現実の自分とはかけ離れた存在ですが、それでも身近な物語として感じる事が出来ました。

それは、僕自身が33歳になったということも大きいのかも知れません。
物語では、最初、蒔野は38歳、洋子は40歳です。
僕とは少し年齢が離れていますが、それでも、年齢による結婚や妊娠への最後の可能性という切迫したような感情や、それを想像する男性側の態度、というものは30代も半ばになってきたからこそ、身近な出来事として、リアルな出来事として捉えることが出来ました。

読後にみたいくつかのレビューの中には、「メロドラマかよ」というような批評もありましたが、それさえも、年齢によって決断しなければならないことがあるということを考えた時、お互いのすれ違いを決定的なものにしてしまったように思いますし、最終的に希望的な終わり方になっているのは、単に「メロドラマ」と評してしまうよりは、そこに至るまでの5年以上の歳月を考えるとそのように簡単に評することが出来ないのではないか、と思いました。
まして、希望的な終わり方ではあっても、この後どうなるのかは全く分からないので。

久しぶりに小説を読んだからかも知れませんが、本当にとても良い作品だな、と思いました。
しばらく、他の小説を読んでみようかなと思い始めました。
2017.05.16 Tue l 月間読書レポート l top
以前紹介したことのある、オーサ・イェークストロムさんが、「旅」をテーマにしたコミックエッセイを出していたので読んでみました。


北欧女子オーサのニッポン再発見ローカル旅 Kindle版


オーサさんが書いた『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』シリーズが好きで、旅に関するものは何となく惹かれて読んでしまいます。

行ったことのないところが紹介されていると「行ってみたいなぁ」と思い、行ったことのある場所だと「そうそう」と思ったり、「ここ行ってなかった。また行きたいなぁ」と思ったり。

コミックエッセイになっているので、まだまだ自分の知らない日本の色んな場所を知ることで、新しい発見や旅の意欲が高まるかな、と期待していました。

でも、なんだか今回はそういう気持ちになれませんでした。
レビューの評価も複数のサイトを見ても高いですし、多くの人は高評価なようですが、僕には別に悪くはないけれど、「ここに行ってみたい!」という気持ちになるものはありませんでした。

僕自身の心身の調子が悪かったのかな、とも思うのですが、行きたいなぁ、と思うことがなかったのは、一番大きな理由は「旅」を伝える上で「コミック」だと「文字」よりも情報量が少ないからかな、と。
コミックという画になっていると、視覚的に分かりやすいものの、それがどんなところなのか、そこで食べたものがどんなものなのか、画では分かるものの、味などは伝わってきません。
でも、文字で書いてあると、(テレビでもそうですが)味やにおいなども文字で伝えようとすることがため、逆にそれがどんなものなのか伝わってくるのです。

さらに、文字での情報が伝わってこなくても逆に、読み手が「想像」することが出来ます。
想像することで、「それがどんなものなのか、実際に観てみたい」とか「実際に食べてみたい」という気持ちがわいてきます。
そういう気持ちが「コミック」という画だと逆にならないのかなぁ、と。

この本の内容のいくつかは、朝日新聞の土曜別刷版に載っていたものなのですが、その土曜別刷版のオーサさんの連載を毎回必ず読むほどでは実はありませんでした。
コミックエッセイはとても面白く読んだのに、なんでこの連載はそこまで読む気になれないんだろう、と思っていましたが、この本を読んでやっと少し理由が分かったような気がします。
2017.04.30 Sun l 月間読書レポート l top
先日、発売前から知人たちが、普段は教育や育児について記事や本を書いているおおたとしまささんが夫婦についての本を出すということを話題にしていました。
僕自身もおおたさんの記事はいくつか読んだ事があり、本は『男子校という選択』くらいしか読んだ事がありませんが、興味が沸いたので読んでみました。


<喧嘩とセックス>夫婦のお作法 (イースト新書)


タイトルがあまり良くないな、と思うのは、特に「セックス」については最初にちょっとだけ触れられているだけなので、内容とマッチしていないということと、このタイトルから敬遠する人もいると思われる点です。

内容は、重点が置かれていたのは、近年話題になり、妻vs夫という構図で固められてしまった「産後クライシス」についてで、その中身を丁寧に読み直そうとしていています。

たとえば、「産後クライシス」は「配偶者といると本当に愛していると実感する夫」と「配偶者といると本当に愛していると実感する妻」との差が17%もあることや、夫も妻も子どもが生まれ子どもの年齢が上がるにつれて愛情を感じる人が少なくなっていき、少なくなるのは妻に顕著であるということが問題だとされています。
妻の方が夫に愛情を感じにくくなっていき、夫との差が大きく広がっていく。
だから、夫よしっかりしろ、というメッセージが伝えられるようになりました。

でも、このアンケート結果を違う視点で見ると、より深刻なのは、子どもが2歳児になると、「配偶者といると本当に愛していると実感していない夫」が50%近、、「配偶者といると本当に愛していると実感していない妻」が65%近くいること。

夫を悪者にするだけでなく、じゃあ何故愛情を感じなくなってしまうのか、ということを読み解こうとしている点で好感が持てました。

他にも「家事ハラスメント」(家事ハラ)について書かれていたところでは、こんな文章もありました。

そもそも相手がこちらの思い通りに動いてくれないからと失望して、怒り、それを相手のせいにするというのは大変大人げのないことです。相手に期待して、その結果に一喜一憂するということは、自分の感情を相手に預けてしまっているということです。自分の感情を相手に依存してしまっているということです。自律的ではありません。
(中略)
夫婦に限らず、人間関係の悲劇の多くは、相手に期待しすぎることで起こります。
自分の期待に応えられなかった相手に失望し、それが怒りに変わり、その怒りが相手にも伝わり、対立構造が深まってしまうのです。
赤の他人との間にはこのような葛藤は生じません。お互いに期待する関係だから生じる問題です。特に夫婦においては避けられない問題です。



この指摘はもっともなことで、相手(パートナー)に期待しているからこそ、それを裏切られたと感じたり、失望したりしてストレスがたまってしまいます。
それを「大人げない」と言われてしまうと元も子もないですし、相手を少しでもコントロールしようとしていることを自覚してもいるのですが、それでも共同生活をしている限り、自分のことは自分でやって欲しいと思ってもしまいます。

この点についての対策・対処についても述べられてはいたものの、おおたさんが書いている事を2人ともが理解し、しっかり話しあったりすることが出来れば可能かも知れないけれど…、とかなり良好なコミュニケーションが取れていないと難しいのでは、と思ってしまいました。


この本の中で僕の気持ちが少し軽くなったのは、この文章でした。

ノルウェーでは夫が食事の支度をするのは当たり前なのですが、その定番料理ナンバーlワンが、なんと冷凍ピザなのです。ノルウェーのイクメンが食事の支度をしているといっても、レンジでチン! しているだけなのです(全部が全部じゃないでしょうけれど)。それでも「うちのダンナはよく料理をしてくれる」と妻から認めてもらえるわけです。
ベルギーのイクメン夫婦からも似たような話を聞きました。よく夫が料理を作るのですが、レパートリーはパスタとサラダだけ。ソースとドレッシングの味つけを変えているだけです。パスタっていうと聞こえがいいですけど、要するに麺を一O分やそこらゆでて、ソースを絡めるだけです。



時々こういう文章を読んで、僕は自分の家事に対する基準をリセットしています。
特に料理に関しては、他の家事よりも自分で水準を高めに設定してしまいがちで(もちろん料理が苦にならず、割とすきだということがありますが)、昨日も割と忙しいのに3品も作ってしまいました…。

昨年末にも料理研究家の土井善晴さんが、「一汁一菜でよい」ということを伝える記事(「一汁一菜でよいという提案」 土井善晴さんがたどりついた、毎日の料理をラクにする方法)を読みましたが、土井さんの記事では自分の料理の水準をリセットしようと思い、今回のこの本では我が家のイクメンであるツレにはあまり期待しすぎないようにしないとと思ったのでした。
2017.04.27 Thu l 月間読書レポート l top
今日も最近読んだ本について。

益田ミリさんの本については今までも何度か取り上げてきましたが、文庫で出たということで買って読んでみました。


ちょっとそこまで旅してみよう (幻冬舎文庫)


元々は2013年に刊行された『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』という本に文庫版のエピソードを加え、題名を少し変えて文庫化して出版したようです。

僕自身は旅を(多分)よくしている方で、結婚以来自由に旅をする機会は皆無でしたが、5年前くらいに急にツレから「行ってくれば?」と言われたことをきっかけに、死ぬまでに行きたかったインドを筆頭に、イタリア、友人が駐在していたオランダ(とその周辺国)、父親とのトルコ行きが中止になってしまったので昨年末に次男とスペイン、と行ってきました。

僕自身の自覚としては、旅行自体はそこまで好きではありません。
インドでは結構しんどい思いをしたし、なによりもインドはかなり久しぶりの一人旅だったのですごく緊張し、それだけで体重がかなり減りました。
(この辺の感覚はメレ山メレ子さんと岸政彦さんの対談で出てくる話がとても共感出来ました。)

「そんな思いをしてまで何故行くの?」と疑問に思うかも知れませんが、小学生の時、通知表に書かれたり、担任と保護者の面談で言われた「飽きっぽい」という言葉が関係している気がします。
「飽きっぽい」というとすごくネガティブな響きで、実際にそういうネガティブなメッセージとして僕も大人から伝えられ、受け取っていました。
でも、逆に言えば、色んなことに興味を抱き、一つのところにとどまってはいられない、ということ。

旅自体にはすごく緊張したり、帰って来てからすごくホッとしたりするのですが、それでも旅に出かけて行くのは何と言っても一つのところにとどまってはいられないというこの性分があるからではないか、と思います。

いきなりかなり長い歴史の話になりますが、多分、人類が定住生活をしていない時代だったら、今の僕も特に問題などなく、むしろ、色んなことに興味がわき、いろんなところに移動することもいとわない性分が「生きる上でのスキル」に役に立ったのではないか、とさえ思います。
定住という生活スタイルを取り、殆どの人は一つのことをやり続け(たとえば仕事という名の会社組織や結婚生活)、死んでいくということが「当然」という生活になっている今、逆に「色んな事に興味が沸き、じっとしていられない」という性分はマッチしていないのだと痛感します。

と、自分自身が何故「旅」というテーマに興味が沸くのか、引き寄せられるのかということを感がえるきっかけになり、読んで良かった、とは思うものの、他の人には全く関係のない話でした。

益田さん自身の旅(一人旅、パートナーとの旅、母親との旅、友人たちとの旅)が書かれているのですが、一番良かったのは、かなりざっくりしたものであるとはいえ、大まかな料金が書かれていること。
興味が沸く旅先は読者それぞれ違うと思いますが、その時に、自分だったらこのくらいかかるかな、とかこういうプランも出来るのか、と想像出来ることが良いな、と思いました。
2017.04.19 Wed l 月間読書レポート l top
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