月ごとに書いている前月に読んだ本についての記事だと書き切れなさそうなので、この本だけで感想を書いてみたいと思います。

最近、新聞で見かけたり、育児系のネットメディアで見かけていたけれども、著書を読んだり、書かれているものをちゃんと読んでいなかった、水無田気流さんの著書です。
本屋さんで見かけて、タイトルで興味が沸き、読んでみました。


「居場所」のない男、「時間」がない女



本のタイトルからして、「エッセイ」なのかな、と思って読み始めたのですが、水無田さん自身が社会学者ということで(社会学者としては田中理恵子という名を使っているようですが)、過去の調査結果から、日本における男性と女性がどのような状況に置かれているかを明らかにしていきます。
それが、タイトルの「『居場所』のない男」と、「『時間』がない女」です。
取り扱う年齢層は幅が広いものの、視点としては、「子育て」を中心にしています。

男性がいかに「居場所」がなく、女性がいかに「時間」がないか。
様々な研究者の調査結果を総覧する感じで書かれているので、日本における状況がどのようなものなのかを把握するのはとてもわかりやすい様に思いました。
参考文献も明記されているし、この点は、大学で非常勤講師をしている研究者ということが分かるものでした。

また、著者が様々な調査結果から導き出した、「高齢者による子ども(と主に母親)への苦情」(たとえば「子どもの声が【騒音】である、とか、ベビーカー論争だとか)の急増が、団塊の世代が家庭と地域に現れた時期とリンクするという指摘は、とても納得の行くものでした。



が、単に様々な研究者の調査結果を基に、日本における男性がいかに居場所がないか、女性がいかに時間がないか、ということを、特に結婚や子育てということを中心に見たときに、どのような状況にあるのか、ということを総覧し、その現状をいかに打破すべきかという提案をしている(いわば学術論文のような)ものだったら、とても良かったのですが、この本にはそれ以外のことも書かれています。

それは、著者自身の子育てを巡る状況です。
たとえば、次のような文章が「女性がいかに時間がないか」というテーマの中で語られます。

 私の仕事は、先述したように子どもが2歳くらいまでは大学よりも専門学校の講義のほうが多く、時間帯は主として夜6時から10時くらいであった。たとえ日中保育所に入れられても、夜間保育も別途手配しなければ対応できない。結局子どもが乳児期に一番利用したのは、夜10時まで預かってくれる近所の公営一時保育所だった。もっとも、これも小学校入学と同時に使えなくなってしまった。
 私のように、不規則な仕事の多いフリーの物書き兼非常勤講師掛け持ち就業者は、土日や夜間に突発的に仕事が入ることが多い。これまで、私は都内の一時保育所マップを自分の頭の中にたたき込み、「どの場所の仕事でこの時間帯ならここ」というのを組み合わせ、綱渡りのように仕事を続けてきた。それが、子どもの就学と同時に白紙になってしまったのである……。



仕事を持つ女性にとって、子育てや家事はその仕事量の「純増」でしかない(男性はやらないので)という指摘は調査結果からも明らかですし、水無田さんの置かれている(置かれていた)状況が特殊ではないことも分かります。
そして、本当に困難な状況なので、何とか変えていかなければ、と僕も思います。

しかし、これらの文章で気になるのは、「パートナー(夫)」の存在です。
オランダの状況について詳述し、「ワークライフバランス」や「ダイバーシティ」の重要性を説き、日本でも変えていくことは可能だ、と述べる中で、不思議なことに著者のパートナーについてはほぼ触れられません。

結婚するのも、子どもを授かるのも、著者だけが望んだから可能になることではありません。
パートナーがいるからこそそれらは実現できるもので、非常勤講師という育休・産休も取れない非常に不安定な状況にあることは、パートナーも十分に分かっているはずです。
そして、女性が仕事をしながら子育てをするのはかなり大変なので、男性も変わっていかなければならない、と書いているにも関わらず、著者は結局自分(女性)だけで子育ても家事もしながら仕事をしています。

(読んでいる途中で、「離婚したのかな?」と疑問が沸くくらい、パートナーの存在が出てこなかったのですが、最後の謝辞で一応夫が出てくるので、離婚はしていないようです。)


目の前にいる人が変わらなければ社会は変わらない


これは水無田さんだけではないのですが、女性たちが「社会が変わってほしい」ということを書いているときに、時々感じる違和感と同じです。
それは、「夫に期待出来ないものを、社会に期待している」ということです。

家事・育児について「もはや夫には何も期待していない」という女性の多さは、著者が示している各種調査からも明らかで、そのような心境に至ってしまうことは理解出来ます。
でも、目の前にいる人に何も期待していない、ということは、つまり、その状況を認め、受容しているということに他なりません。
それなのに、社会には変わって欲しい、というのは矛盾しているように感じるのです。

「他の男性には変わって欲しいが、目の前にいるパートナー(夫)は変わらなくても仕方が無い」と言っているということだと思います。
ここに僕は(多くの)女性たちの意見に違和感を感じるところです。

変わらなくても仕方が無い、と、男性が家事・育児をしないことを認めているのも女性であり、同時に家事・育児をちゃんと応分にやってくれ、と迫っているのも女性なのです。
しかも、その意見が同じ人から発せられているのです。


社会は目の前のことから変わっていく


僕が子育てをするようになった時と今とで全く変わった風景があります。
それは、平日昼間に乳児を連れている男性が増えた、というものです。
長男T(8歳)がまだ乳児だったとき、僕がベビーカーに乗せて歩いたり、スーパーに買い物に行くと、それだけで奇異な目で見られました。
一時期通っていた近所にあった子育て支援センターでは、スタッフの方には腫れ物を扱うように接せられたのを今でも鮮明に思い出せます。
でも、それからおよそ8年経った今、僕が買い物をしていると、乳児を連れた男性を毎日必ず目にするようになりました。

今では、(少なくとも僕が住んでいる地域では)平日昼間に乳児を連れた男性がいても、それだけでじろじろ見られるようなことはありません。
8年前の状況とは明らかに変わりました。
どのようにして変わったのか。
いきなり、突然変わったわけではありません。
少しずつ少しずつ、1人1人が平日昼間でも乳児と過ごすということを繰り返し、積み重ねて来たからこそ、今では珍しくない状況になったのです。

社会が変わるべきだ、と主張することは大切なことです。
だけれども、目の前にいる人が変わらないのに、目の前のことを変えようとしないのに、社会が変わることはありません。
目の前にいるパートナーが家事・育児を主体的に行うようになり、その「目の前にいるパートナー」が積み重なったとき、「社会も変わった」となるのだと思います。

どんなに諦めそうになっても、もはや期待出来ないと思っても、目の前にいるパートナーに変わることを求め続けない限り、「家事・育児を応分に担う男性が一般的になる社会」はいつまでも現れないように思います。


蛇足

最後に、内容ではなく、文章の書き方がちょっと気になる点があったので、それについてです。

内閣府の2013年版「男女共同参画白書」によれば、総合職として採用された社員の10年後で女性は7割が離職し、管理職に昇進したのはたった1割だ。一方、男性は4割が管理職に昇進し、離職は3割。この差は大きい。



先に述べている女性は、「離職」→「管理職」となっているのに、そのあとに述べる男性は「管理職」→「離職」となっています。
さらっと読んでいると、僕は混乱してしまうので「離職」→「管理職」という順で書いたなら、続く場合は「離職」→「管理職」と書いた方が読みやすいように感じます。

まぁ、これは個人の読みやすさの問題かもしれませんが。
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2015.10.24 Sat l 主夫の本など l top