昨日書いたように、朝日新聞が12月16日にも出される予定の最高裁判決を前に、夫婦の姓に関する意見を募っています。

夫婦の姓、どう考える?(朝日新聞)

最高裁判決を間近に控えているこの時に、僕自身が何故夫婦別姓を望んでいるのか、今一度ちゃんと書いておこうと思いました。
しかし、考えれば考えるほど、どういう形で書けば良いのか分からなくなりました。
そこで、朝日新聞のフォーラムに載っている意見の中から、夫婦別姓に【反対】の意見を取り出し、それに対して僕の考えを書けば僕の考えがはっきりするのではないか、と思いました。
つまり、鏡に映すことで、直視するよりも形がくっきり認識できるのではないか、と考えたわけです。

そこで、朝日新聞に載っていた意見を引用しつつ、僕の考えを書いてみたいと思います。

1.子どものことを考えろ、という意見について

夫婦別姓の論議でいつも思うのだが、子供の意見が全くといっていいほど無視されている。
家族の問題なのに、子供が蚊帳の外状態で論議するのはおかしいのではなかろうか?
子供の意見を踏まえた上で論議していただきたい。 男 40代


別姓反対です 子供のためには、同じ姓の両親の安定的傘に守られて、安心して暮らせる環境が何より大切 自己のアイデンティティ維持というだけの過剰な自意識から、夫婦別姓で子を混乱させるべきではない 他人が1人の子の両親の名前を二つ覚えなければならないのは面倒だし、複数の子の姓が違えば同じ家族と認識するのも難しい 研究者やクリエイティブな仕事をする人で、旧姓時の実績との連続性が必要な人は、旧姓を通称として仕事すれば良い 晩婚化が進み、一般職の人も慣れた旧姓のまま仕事したいかも知れないが、仕切りなおしは一回すれば後はすっきり整合する 婚姻時どちらの姓にするか話し合い決めるので特に女性に不利とは言えない 女 60代


結婚=子どもが生まれる、という前提がそもそも間違いなのではないか、と思います。
結婚は憲法第24条1項に定められているように(「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」)、子どもより先に両性(これの解釈の如何はここでは省きます)の合意のみに基いて成立するものです。
なので、子どものことを持ち出すのはまず見当違いだと思います。

が、一応、この件について書いておくと、親の姓が違う、ということを我が家の子どもたちは当たり前のこととして捉えているようです。
先日も、娘は保育園の行事で(疑似のお買い物をするため)お金が必要で、その暗証番号が「両親の名前」だったのですが、僕と妻の名前を姓から別々に答えていました。
とまどったのは大人(保育士)たちで、本人はそのまま答えていたそうです。
もし、2人とも一緒じゃなきゃおかしい、と思うとしたら、「両親は姓が同じじゃなきゃおかしい」という考えの人が周りにいるからで、それは「両親が揃っていなきゃおかしい」という考えの人たちがいることと同じ事です。
そういう人もいるかも知れないが、そうじゃない人もいる、それだけのことです。


2.家族は姓が同じものだ、という意見について

私は独身の女性ですが、将来結婚する男性と同じ姓になることにしあわせを感じます。将来、子供が産まれても同じ家族で姓が違うなんて考えられないです。 女 20代


婚姻後家族として同一姓になることは、ごく普通のことだと思うし自分もそのようにしたい。 女 20代


 40年近く慣れ親しんだ姓から私の姓へと、夫が変わってくれました。
私の周囲ではイエを継ぐ立場にある人が結婚するときは、男女の別なく相手のかたに改姓していただくのが当たり前です。
 これから夫には「チーム○○」のキャプテンとして、頼りにしていくつもりです。
なのにゼッケン(別姓)が一人だけ違うと、同じチーム員であるという存在を否定されているように感じます。
自分の姓にこだわりのない同士では、ジャンケンで決めた知人もありました。
 どちらの姓にするかは平等なのだし、旧姓を名乗り続けたいからこその同姓なのではないでしょうか。
結婚=女性側が嫁ぐ、という前提で話されていて違和感を否めません。 女 30代


結婚した相手と同じ姓になることで幸せを感じるだとか、同一姓になることが【ごく普通】だと考える人たちは、そのまま同姓になれば良いだけです。
僕(というか殆どの人)は選択的夫婦別姓制度を望んでいるので、同姓が良いと考える人たちに別姓になれ、と主張しているわけではありません。
では逆に、同姓が良い、と考えている人たちは、何故、別姓が良いと考えている人たちに同姓になれ、と主張するのでしょうか。
今裁判で争われているのは、この点(強制的同姓、あるいは別の言い方をすれば、別姓の自由の侵害)です。


3.夫婦同姓は日本の文化であり、歴史がある、という意見について

夫婦同姓で歴史を紡いできた。何が不都合なのか理解できない。 男 50代


それぞれの文化と歴史を大事にすることは世界より遅れているとは思いません。
何故別姓にこだわるのか全く理解できません。 女 30代


まずは、日本での姓についておさらいしてみたいと思います。
(始まりをどこに持っていくかは議論がありますが、とりあえず、中世以降で考えてみたいと思います)
日本では、長い間、姓=氏は一部の人にしかありませんでした(認められていませんでした)。
それを、1875年(明治8年)2月13日太政官布告で「氏」(=姓)の使用が義務化されました。
その一年後の1876年(明治9年)3月17日に太政官指令で「夫婦別氏制」が出されています。
その後1898年(明治31年)、旧民法で「夫婦同氏」が制定されました。
現民法は、この旧民法を踏襲し、夫婦同氏(夫婦同姓)となっています。

つまり、日本での夫婦同姓という制度は、120年くらいの文化であり、120年くらいの歴史があるだけです。
これが「日本の文化」あるいは「日本の伝統」という風に言い切ってしまうことに僕は違和感を感じています。
なぜなら120年前、というと、僕からすれば、母方の祖父が生まれたころの話だからです。

これからも夫婦同姓を続けていけば【歴史】になるのかもしれませんが、僕が卒業した大学、あるいは僕の勤務先よりも短い歴史のものを【日本の文化】と言いきってしまえるのでしょうか。
文化、伝統、歴史ということを持ち出すのならば、そもそも姓(氏)が義務化されてすぐの時には「夫婦別氏制」を取っていたので、そちらの方が日本の歴史、ということも出来るのですが、どのように考えているのでしょうか。


4.夫婦別姓にしたいなら結婚しなければ良い、日本から出て行け、という意見について

結婚とは社会生活に於ける契約行為であり、その契約は「どちらかの『家』の一員となる」ことが条件となっている。その条件に従えないならば、結婚しなければ良いだけのこと。我を押し通すためにルール自体を変えようとするのは、本末転倒ではないか? 男 50代


姓の選択も含めて両性の合意で結婚は成り立っているはずなので、憲法違反でもなんでもないし、国連や外国などに言われて伝統的な価値観や文化を変えるのは愚の骨頂だと思う。嫌なら外国に行けばいい。別姓推進は外国の文化侵略。 男 40代


別姓論者の言い分は「自分の」考え方、「自分の」利便性など、「自分の」都合、我儘ではありませんか。
日本の社会は夫婦同姓で成り立っており、それは伝統や慣習であると共に「決まり」です。別姓を主張するのは、自分さえよければ迷惑や不便を被る人や組織はどうでも良い、と言う考え方です。
実際には妻が夫の姓に合わせる事が多い事から、女性と言うだけで優遇されるべきと主張する一部の人達の声も入っているように思います。
自分に都合のよい海外の例のみを引いてくるのも常套手段ですが、世界にはいろいろな国民、民族の決まりがあります。日本人としての決まりが不満なら、気に入った国の国民になればよいだけのことです。 女 40代


法律婚に際し、夫婦同姓に反対するならば、「結婚しなければ良い」、あるいは「外国に行けば良い」という意見があります。
あらゆる政治的な議論で一番悲しくなるのは、この様な意見で、「イヤならしなければいい」「イヤなら外国に行け」という意見です。
ここでは引用しませんでしたが、「こんなことを主張するのはどうせ在日だ」という意見さえありました。

まず前提として押さえておきたいのは、何故、夫婦別姓を希望することで、夫婦同姓をすることよりも明らかな不利益を被らなくてはならないのか、という点です。
現状の様に婚姻前の姓を通称したり、事実婚にすることのデメリットが分からない、という意見もありましたが、事実婚はLGBTQの方々と同じような課題を抱えますし、通称使用は、周囲の人々の理解(寛容さ)にゆだねられている、ということです。
通称使用では、職場の上司が「ダメだ」、と言えばダメであり、事実婚の場合抱える不安としては、手術の同意書に署名出来ない、というような事態が起きます(これも病院の判断によりますが)。

事実婚では生活上のあらゆる行為が「同居人」になり、「家族」ではなくなること、通称使用では、2つの姓を持っていることになり、一方は法的根拠がないので、相手の理解、という曖昧なものにゆだねなくてはならない、ということです。

さて、「そんなにイヤなら、外国に行けば?」という意見に対してですが、本当にイヤだと思う人は既にもう日本からはいなくなっていますし、外国人との結婚では同姓が強制されないため、外国人と結婚しています。
が、そういう話ではなく、結婚後に別の姓でいるという自由が日本国憲法に対して民法の規定が反しているのではないか、ということを主張しているので、これは外国の話ではありません。

改めて日本国憲法第24条を引用してみます(下線引用者)。

1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない


特に下線を引いた箇所に対し、姓に関する民法第750条を引用してみます。

夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。


そもそも、別姓を望んでいるのは日本国憲法で定めている「夫婦が同等の権利を有することを基本として」いることや、「婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定され」るべきだと考えるからこそ、民法第750条の規定のように夫婦同姓(夫婦同氏)を強制されることがおかしい、と考えています。
これは、外国の憲法の話や国連憲章の話ではなく、日本国憲法の話です。
日本という国で暮らす際の憲法に照らし合わせて求めていることを、「外国に行け」というのは、議論がずれているのではないかと思います。


さて、ここまで書いたところでかなり疲れてきたので、とりあえず今回はこれで終わりにしたいと思います。
実は、朝日新聞に寄せられている意見が大体1100ある時に、それを全て読み、そこから抽出しようと思いました。
しかし、まず1100もの意見を全部読むのがかなり大変だったこと、そして、反対意見を抽出していったので、それを丹念に読んでいたら、ものすごく悲しい気持ちになってきてしまいました。
ということで、今はこれ以上読む気にも書く気にもなれない、というのが、ここで一旦書き終える一番の理由です。

もちろん反対意見があることは知っていましたが、上にも書いたように、自分と違う意見を持っているというだけで「外国人」とみなしたり、あるいはこれは賛成意見にもありましたが「べき」という意見、あるいは、「~だったら認めてあげる」といった意見などがつらかったです。
まぁ、でも、まだ書き足りていないな、という理由もあるので、近いうちに書きたいと思います。
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2015.11.23 Mon l 夫婦別姓について l top