今月も恥をさらして、先月読んだ本について書いて見ようと思います。
度々書いていることですが、体調不良が続いているということで、本は殆ど読めませんでした。
活字が読めないような時でも、漫画を多く読んだり、映画を多く見たりする事もあるのですが、漫画も6冊だけ、映画も2作品だけでした。
これだけを振り返っても自分自身の不調具合が分かります…。

さて、そんな中読んだ本は3冊でした。

まずはこちら↓


働く男 (文春文庫)


昨年末のNHK紅白歌合戦にも初出演したので、多くの人に知られるようになってきたと思われる、歌手であり、俳優の星野源さんのエッセイです。
まるで動き続けないと死んでしまうというマグロのようなワーカホリックぶりから、一転して、くも膜下出血により活動休止、という状況になりワーカホリックぶりが一皮むけたというところまでが書かれています。

「働く男」というタイトルから少し想像出来るように、星野源が関わった仕事について丁寧に書かれています。
僕自身は、星野源のエッセイは『蘇える変態』からだったので、ちょっと下ネタが入るような軽快なものに惹かれたのですが、今回は下ネタは少なめでした。
まぁ、仕事について語っているので当然なのですが。



女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル (朝日新書)


僕自身の大学や大学院にいた時からの関心は、ひとくくりに言ってしまえば「貧困」です。
そこには、教育格差や、ワーキングプア、非正規労働者、ブラック企業など、いろんなテーマが入ってくるのですが、その中でも最近よく読んでいるのが、この本の著者中村淳彦さんのものなので、読んでみました。

この本を読んでいて、一番僕の中に残ったのはこの文章でした。

 多くの風俗経営者や現場関係者が言うように、現在は入学難易度に関係なく、あらゆる大学の女子大生が裸の仕事をしてい。その中で特に目立つのは、青山学院や明治学院大学を代表とする付属校のあるキリスト教プロテスタント系の大学だ。
 女子の比率が高く、裕福な家庭の子供が多い。自由で華やかでゆとりのある校風で、必然的にある程度のお金があることを前提とした環境になる。そのような中で貧しい家庭や地方出身の苦学生が、周りに合わせた学生生活を送るために、単価の高い水商売や性風俗の仕事に流れる。90年代からよく聞く、プロテスタント系大学で定番のケースである。山田さんには家からの援助がないので、学内の友人たちとの格差は顕著だった。



僕がいた時はまだ今よりもマシな状況で、風俗業で働いている人がいましたが、それらの多くは、学費や生活費を稼ぐため、というよりは、より今の生活水準(ブランド物を買うなど)を上げるため、あるいはそこに自分自身の居場所を見いだした(そこにしか見いだせなかった)、という感じでした。
その中でもうすうす感じていた「女子の比率が高く、裕福な家庭の子供が多い。自由で華やかでゆとりのある校風で、必然的にある程度のお金があることを前提とした環境になる。」という指摘は、僕自身が見えなかったというか、見ようとしなかった現実を突きつけられた気がしました。

僕自身の出身大学も、今現在関わってるのもこのような校風なので、こういう現状に対して僕自身が何が出来るのか、あるいは、僕がこの現状を知りつつ、この場にこのままいても良いのだろうか、と考えてしまいます。

また、最近新聞などでも指摘されるようになってきた、大学生の奨学金制度についても鋭い指摘がされていました。

将来、なんの職業に就くかわからない高校卒業したばかりの未成年に有利子のお金を貸しつけるのは、どう考えても無謀だ。返済の一時猶予や返済期間延長の仕組みこそあるが、実質上、救済制度はほとんどない。大学卒業後から始まる月々の返済には容赦がなく、3か月間延滞をしたら一般の金融業者と同じく、ブラックリストと呼ばれる個人信用情報機関に登録される。そして、債権回収の専門会社からの取り立てが始まる。クレジットカードやサラ金と同じなのだ。
 実態は単なる学生ローンであり、”奨学金”という「支援や給付を想像させる」歴史ある聞こえのいい単語がビジネスに利用されている。実態と名称に乖離のある、いわゆるポエムビジネスといえる。日本学生支援機構の”奨学金” は国と金融業者がタッグを組み、低所得世帯をターゲットにした貧困ビジネスなのだ。
 驚博するのは、その利用者の比率の高さだ。「平成24年度学生生活調査」によると、全学生のうちの奨学金を受給する者の割合は大学昼間部で52.5%、大学院修士課程で60.5%、大学院博士課程で66.2%と過半数を大きく超えている。教育を受ける立場である
大学生の過半数が、利子を利益とする金融業者の顧客となるとは、とんでもないことだ。大学生の半数以上が数百万円の負債を背負って社会にでるという現実は異常としか言いようがなく、歴史的にも前例のない事態だ。



「アメリカよりはマシ」とか言う人や、団塊の世代以上の人たちが「私たちの時代だって大変だった」と平気で言う人がいますが、置かれている状況がまるで違ったり、アメリカでは既に借金を返すために「優秀な学生」は殆ど金融機関に就職してしまうなど、労働者の多様性が失われつつあると指摘されています。
このままアメリカのように進みたいのか、真剣に考えるべき(方策を取るべき)だと思います。



整形した女は幸せになっているのか (星海社新書)


今話題の(?)ライターの著作ということで、以前から少し気になっていたので読んでみました。

「幸せ」って計るのが難しいので、それをテーマにしている時点で何となく内容が分かってしまうな、と読み終わった後に思いました。
その中でも次の指摘は興味深かったです。

製進業中心の産業社会では、生産者は自身の「健康」に気を配る必要があった。労働者として何より大切なのは「健康」だ。一方、消費社会で人々が重視するのは「フィットネス=身体をフィットした状態にしておくこと」である。
 私たちは身体を心地よい状態にフィットさせるために、試行錯誤を繰り返す。ダイエットにボディビル、エステ通い、美容整形もその一例だろう。(中略)
「フィットネス」には中毒性がある。「健康」にはある程度の数値基準があるが、フィットネスには明確な基準がないからだ。



健康とフィットネスの違いについての指摘です。
ジムの宣伝などで盛んに使われている言葉は「フィットネス」で、そのフィットネスというのは、「身体をフィットした状態にしておくこと」。
健康を越えた状態なのかは人それぞれですが、自分自身が思い描く状態に身体をフィットさせることが優先される、ということは整形する人たちの心理ともリンクするのではないか、ということです。

まぁ、でも、最終的には整形をしても、フィットネスを続けようが、本人が「幸せ」を感じているかどうかが重要なのかなと思いますが、結局そこをうまく計るのは難しいようです。

それに対しては、前に紹介したことがある、『幸せのメカニズム』の4つの指標が有効かな、と僕は今の所考えています。
関連記事
スポンサーサイト
2016.01.02 Sat l 月間読書レポート l top