ずっと前から僕は言ってるけど、あんまり相手にされないので、放っておいたというか諦めていたことの一つが配偶者の呼称です。
女の人が夫のことを「主人」とか「旦那」とか言っているのを聞く度に、「あなたは奴隷か、はたまた雇用関係でもあるのですか?」と(基本的に心の中で)突っ込みを入れています。
男の人も割と「うちの嫁が~」とか、「奥さん」とか言うので、「お前の息子はもう結婚したのか」とまたもや心の中で突っ込みを入れたり、やっぱり女性はいつまで経っても男性・家の付属物なんだなぁ、と思ったりしています。

僕の中では、結構うんざりするくらい突っ込むのが当たり前のことになっていたので、ブログに書いていたと思っていたのですが、どうやら一度もこの話を書いていなかったので、改めて書いてみようと思った次第です。

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何故、うんざりするくらいのこの「主人」「旦那」「嫁」「奥さん」という配偶者呼称問題について触れようと思ったのかというと、ちょっと前に、作家の川上未映子さんのコラムを読んだからです。

川上未映子「主人」という言葉が心底嫌い(日経DUAL)

川上さんが書いていることに全面的に同意するので、もはや僕としては書き加えることなどないのですが、全面的首肯部分をちょっと引用してみたいと思います。

そう、どんな文脈であれ、やっぱり主人は主人だ。ご主人さまだ。言葉っていうのは、どうしてなかなか厄介なもので、使っているとその言葉のもつ意味は、けっこう心身にぐいぐい侵食してくるものなのだ。



そう、これ。
言葉にこだわり過ぎだと僕なんかは言われる方で、そうすると、「あぁ、みんなあんまり気にしてなくて、気にする僕が普通では無いのか」と思ってしまいます。
川上さんが言えば、「彼女は作家だから言葉に敏感になるのは当然」と受け入れられているように思うのですが、やっぱり作家だろうが一般人だろうが、言葉を使って生活しているのだから、言葉に縛られているわけです。

誰かが僕のことを「○○くん」と呼べば、学生時代の教員でなければ、「あぁ、この人は僕を下に位置づけたのだな」と僕としては認識するわけで、それと同じように誰かが配偶者のことを「主人」と言えば、「あぁ、この人は奴隷なのか」と僕は思うわけです。

これはその言葉を受け取った側の僕という人間の捉え方ですが、やっぱり言葉ってのは何かを規定したりする力があると思います。
「僕はダメな人間だ」と毎日言っていたり、言われ続けていれば本当にダメになっていくだろうし、「きっと大丈夫だよ」と言い続けてくれる人が周囲にいれば、どんなにひどい状況でも「うん、大丈夫」と思える。
そういう力を言葉ってのは持っていると思います。

川上さんも指摘しているように、僕がこの「主人」「旦那」「嫁」「奥さん」という言葉で気になるのは、その言葉を使っている人たちが、実際に主従関係にあったり、「家」制度が色濃く残っていた僕の両親(団塊とかそれより少し上)とか、祖父母(明治生まれ)とかの世代だったら、「そういう時代だったんだろうな」と思ってなんとか飲み込めるのですが、僕と同じとかその下(20~30代)でも頻繁に使われていること。

一緒にお話ししているときに「うちの主人が~」とか話をされると、川上さんの言う「知性は最低ランク」ということなのかも知れませんが、「あぁ、マジか」と幻滅してしまいます。

じゃあ、どんな呼び方すれば良いのか、ってことなのですが、これは普通に名前で良いんじゃないかと思います。
そうすれば、この「主人」「旦那」「嫁」「奥さん」とはちょっと違った意味で「?」と思ってしまう、配偶者のことを「パパ」「お父さん」「ママ」「お母さん」と呼ぶこともなくなりますし、聞いている人にも親しみが出て来て良いと思っています。

でも、この配偶者を名前で呼ぶということ、僕が結婚したばかりの時に「結婚して身内になったのだから、名前で呼ぶのはおかしい」と言われたことがあります。
僕も22歳で、相手も目上の人でしたし、関係を壊してしまうのを恐れて反論しませんでしたが、「身内」ってのもやっぱり「家」制度を前提にしているんですよね。

だから、僕は配偶者のことを名前で呼ぶのが良いかな、と思っています。
今考えれば、「身内なのにおかしい」と言ってきた人は僕の倍くらいの年齢なので、世代が違うから、ということで流せば良かったと思います。
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2017.02.14 Tue l 日々雑感 l top