突然ですが、僕はある性質を持っている人とは基本的に関わらないようにしています。
どんな性質を持っている人かというと、
・息を吐くように嘘をつく
・自分は1ミリも動かないのに、口だけ動かす
という人たちです。

今日は、「自分は1ミリも動かないのに、口だけ動かす」という人たちについて。
例えば、小さな子どもが泣いたり騒いだりしているときに、その子どもに微笑んだりあやしたり、あるいは直接注意を促すようなことをするのではなく、保護者にキレたり文句を言う人。
果物などが傷んでいるのをみて、自分は食材を買ったことなどないのに、「最初から悪かったんじゃない?」とか言う人。
選挙にさえ行かないのに、政治の愚痴を言っている人。
こういう、自分は全く行動をしていないのに、口だけ出すという人とは、なるべく関わらないようにしています。

言動がすごく暴力的な人とか、サービス提供者に対してものすごく高圧的な態度を取ってくる人は、すぐに分かるので、その後関わらないようにするのは簡単なのですが、「自分は1ミリも動かないのに、口だけ動かす」人というのは、ものすごく柔和な態度の中に現れることもあるので、すぐさま関わりを断つように判断するのは少し難しかったりします。
でも、30年ちょっと生きてきて分かったのは、そういう人と関わると逆に自分自身が疲弊してしまうということ。

既に気づいている方もいるようですが、去年、このブログのコメント欄を消しました。
何年も前の、我が家の子どもたちのことを書いた記事に、誰だか全く分からない人から、僕の行動を非難する内容のコメントが書かれました。
それを書いた人のことは直接知らなくても、コメントで書かれていたことの中には僕が反省すべき点があるのかもしれないと思い、悩んでしまいました。
でも、考えてみたら、そのコメントを書いた人は全く誰だか分からないし、僕と子どもたちに直接何か関わる人ではなく、単にその人にとって気に入らない行動を取っている僕がいて、その人の意のままに僕をコントロールしようとしているだけ。
例えそのコメントの中に、「正しい」ことが書かれていたとしても、そんな直接関わる事のない人の意見自体を受け入れる必要はないだろうと思いました。
それ以降、そういう性質を持つ人たちとは接触しないようにコメント欄自体を消しました。

そういえば、もう何年も前にお会いしたこの方↓もこの著作の中だったか、直接お話を聞いた時に、同じようなことをおっしゃっていました。


経産省の山田課長補佐、ただいま育休中 (文春文庫)


例え自分の親であれ、実際に自分の子どもたちの子育てに関わる人からの意見以外は聞かなかった、と。


親であっても一緒に生活していない人であれば、関わらないようにする方法はいくらでもあるのですが、一緒に暮らしているとそういうわけにはいきません。

ツレには、普段から、残業はいくらでもして良いから、家で仕事をしないで欲しいと言っているのですが(家で仕事をされ、家事・育児を全くしない邪魔な存在が増えるよりは、いない方が良いので)、僕自身は全ての家事と子どもたちの送迎などの殆どを担っている関係で残業を基本的にしません。
なので、勤務先の滞在時間内にいかに仕事を片付けるかが外勤時の最重要事項で、それでも終わらなかった仕事や家で出来る仕事は家でするようにしています。

先日、勤務先で片付けなければならない仕事はなんとか片付けたものの、家でたくさん仕事をこなさなければならない時がありました。
当然、その仕事は、家の仕事をやりながら進めなくてはならないので、洗濯掃除買い物などを済ませ、空いた時間にこなします。
その日はツレが休みの日で、普段ならツレが子どもの習いごとの付き添いをする日でした。
ですが、ツレが仕事ではない予定を入れたため、僕に付き添いをするように言ってきました。
それまでの数週間、すでにツレは同じ曜日に休日出勤をしていたので、習いごとには数週続けて僕が付き添っていたのですが、仕事が休みにもかかわらずツレは予定を入れ、僕に付き添いを押しつけてきました。
僕自身のやらなくてはならない仕事もかなり溜まっていたので、「やらなくちゃいけない仕事もたくさんあって付き添いに行く時間がない」と答えました。

そして、その時、僕は何をしていたのかというと、家計簿を付けていました。
それを見たツレが一言僕に「家計簿なんて付けなくて良い」と言ってきたのです。

20170217.jpg


ツレは料理も洗濯も掃除もしないので、基本的にツレにとって必要なもの(仕事で使うものや衣類、生理用品など)以外を買ってくることはありません。
あらかじめ決められた金額を毎月の給料から家計口座に振り込むだけです。
そうすると、僕がその金額の中からやりくりして買い物をし、食事を作り、掃除をし、洗濯をし、と5人での生活を回していきます。

家事を全くしないツレにとっては「家計簿を付ける」という行為は無駄なことだと見えたのでしょう。
ここで、家計簿を付けるということが無駄か無駄じゃないかという話は重要ではありません。

重要なのは、「全く何もやらない人が、何故口を出すことが出来るのか」ということ。
家計を管理し、その中から買い物をし、料理を含めた家事を担っている人が、「(家事の中の)これはやらなくても良いかも」と判断することとは違います。
あまりにもむかついたので僕がツレの仕事(教員)を「やめれば?」と言ったところ、急にツレは怒り出したのです。

ツレは全く自覚がないようですが、この反応には2つの大きなポイントがあると思います。
①自分が言ったこと(「家計簿付けるのやめたら?」)の意味を理解していない。
②家事を自分の仕事(教員)よりも劣った仕事だとみなしている。

僕は今回のようなことをツレから言われ、自分が言っていることがどんなことなのかを理解してもらおうという意図以外でツレの仕事に口を出すことはありません。
非常勤で同じような仕事をしているとはいえ、勤務先もそこにいる人間も、立場も何もかも違うので、全く口を出すことはありません。

ですが、僕が全てを担っている家事をツレは自分が全く何もやっていないにもかかわらず口を出してくるのです。
これは、家事だけでなく、どんな仕事をしている人にもあてはまることです。
実際にやっていない人が、ある人の仕事を傍から見て、「ねぇ、あんなことしないで良いんじゃない?」とか言えば、張り倒されるでしょう。
で、実際に、ツレが僕に対して言った言葉がどんなことなのか全く自覚していないので、僕に「そんな仕事やめれば?」と言われると、僕がものすごく失礼なことをツレに言ったとツレは急に怒り出したのです。

ツレは、他の仕事をしている人にはそんなことを(多分)言わないわけで、じゃあ、何で僕がやっている家事に口を出すのかと言えば、「家事は(少なくとも)自分がやっている仕事(教員)より劣ったもの」と無意識であれ認識しているからです。
全くやったこともない仕事であっても、家事であるからこそ、自分も何か言える立場であると勘違いする。
これは、家事という仕事を軽んじているからこそ出来ることだと思います。

育休を取り、家事育児を担っている人に対して、「良いなぁ、休みで」と言う人のように。
「主婦/主夫って(楽そうで)良いよな」とか言ってくる人のように。

医師がカルテを書いている様子をみて、「そんなことしなくて良いんじゃないですか?」とあなたなら言いますか?
でも、家事をしていなくても、家に関わることを担っている人に、「そんなことしなくて良いんじゃない?」と言ったことのある人はどのくらいいるでしょうか?
子どもの時に親に、大人になって配偶者に言ったことのある人は多いのではないでしょうか?

家事・育児というのは、基本的に「家」の中で行われ、あまりにも日常に近く、明確な目標や期待される結果が定まっている仕事ではなく、日常に密接しているにも関わらず他と比べる機会も少なく、日常に関わること全てが家事という仕事の範囲も明確ではないということから、自分が門外漢であり、全く何もしていなくても口を出して良いと勘違いしてしまうのでしょう。
でも、勘違いしやすく、勘違いしてしまうのだとしても、家事を軽く扱って良いことにはなりません。
家事を何もしていないにも関わらず、「そんなことしなくてい良い」と言ってしまうのは、家事を「仕事」として明確な範囲を設定して依頼する家事代行業の人にだけであって、そうではない数多の家事を担っている人へ言って良い言葉ではありません。
その言葉は家事という仕事を、家事を担っている人を軽んじているのです。

僕はこういう性質を持つ人を総じて「昭和のオッサン」と名付けていますが、まさにツレはこの「昭和のオッサン」です。
最初に書いたように僕はなるべくこういう「昭和のオッサン」とは関わりたくないので、今回の出来事で、より明確に子どもたちが大きくなった時にはツレとは別に生きていこうという決意が強固になりました。
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2017.02.22 Wed l 日々雑感 l top