先日紹介した、『内向型人間のすごい力』という本、本を読んでこんなことを感じたのは初めてなのですが、自分が肯定されたように感じました。

先日書いたものでは僕自身がどこにそういうことを感じたのかを書けなかったので、書いてみたいと思います。

僕にとって、すごく大きかったのは、「人と会う」という行為についての記述でした。
よく知らない人と会話を交わすのも、人が大勢いる場も苦手です。
ある程度知っている人たちであっても、ずっとその場にいると疲れてきてしまいますし、基本的にパーティなどでは隅にいるのが楽なので、隅にいることになります。
僕にとっては、そういう大勢の人がいる場で隅にいる、ということは全く負担ではないのですが、「何故交わらないのか?」ということで逆に心配されたりしてしまうこともあり、そうすると余計に疲れてしまう、ということがあります。
そういう経験を度々してきて、パーティや大勢の人がいる場を楽しめない僕は人間として何か欠けている部分があるのではないか、と思ってきました。

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このよく知らない人となんでもない話をすることや、大勢の人がいる場が苦手、ということについて、内向型、外向型という気質を説明する中で、こんな記述がありました。

ユングによれば、内向型は自己の内部の思考や感情に心惹かれ、外向型は外部の人々や活動に心惹かれる。内向型は周囲で起きる出来事の意味を考え、外向型はその出来事に自分から飛び込んでいく。内向型はひとりになることでエネルギーを充電し、外向型は十分に社会で活動しないと充電が必要になる。



内向型、外向型という気質の定義は明確になっているとは言えないとのことですし、そもそも100%内向型、100%外向型という人も存在しないと思われるのですが、いくつかの点で合意されているものとして、具体的な例が書かれていました。

とはいえ、最近ではいくつかの重要な点で合意に達しているようだ。そのひとつは、内向型と外向型とでは、うまく機能するために必要な外部からの刺激のレベルが異なるという点だ。たとえば、内向型は親しい友人とワインをほどほどに飲むとか、クロスワードパズルを解く、読書するといった低刺激が「ちょうどいい」と感じる。外向型は初対面の人に会うとか、急斜面でスキーをする、ボリュームを上げて音楽を聴くといった高刺激を楽しむ。



端的に、パーティなどについてもこのように書かれています。

外向型はディナーパーティに活気をもたらし、あなたのさほど面白くもないジョークに大声で笑ってくれる。積極的で、主導的で仲間を強く求める。(中略)
対照的に、内向型は社交スキルがゆたかでパーティや仕事の付き合いを楽しむ人もいるにはいるが、しばらくすると、家でパジャマ姿になりたいと感じる。限られた親しい友人や、同僚や、家族との関係に全エネルギーを注ぎたいと思っている。しゃべるよりも聴くほうを好み、ゆっくり考えてからしゃべり、会話よりも書く方が自分をうまく表現できると感じることが多い。



これらの記述を読んで、自分自身が少なくとも何か人として「欠けている」のではない、ということが明らかになったような気がしました。
小学生の時にはサッカーという集団競技をやっていましたが、基本的には集団で群れることは苦手で、そうすると、「協調性が欠けている」だとか「協調性が欠けているのではないか」という指摘もされてきました。

でも、この外向型、内向型の人たちの記述を読んで、そもそもたくさんの人と会ったりすることが全く違う行為なのだと分かりました。
外向型の人にとっては、たくさんの人と会うという行為が食事をしたり眠るといった、エネルギーを溜めるものであって、でも、それは内向型の人にとっては、食事でも睡眠でもなく、体力や気力を消耗する行為であるということ。
みんな(だと僕は今まで思ってきました)食事や睡眠を楽しんでいるのに、僕がそれを楽しめないのは、僕がおかしい、と思ってきました。
でも、僕以外の人でも楽しめない、疲れてしまう人がいるのだ、ということを知れたこと自体が、自分を肯定されたような気持ちになりました。

まぁ、これからもたくさんの人と会ったりしなくてはいけない場面に遭遇するかと思いますが、そもそも僕はそういう場でエネルギーを消耗してしまう気質なのだ、と分かった上で行動できるようになるのは、今後にとてもプラスに働くような気がしています。
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2017.06.21 Wed l 日々雑感 l top