上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
いよいよ衆院選投票日が明日に迫りました。
僕は気持ちも固まったので、今日にも期日前投票をしにいこうと思っています。
今までの選挙へのスタンスを振り返ってみると特定の支持政党があるわけではなく、選挙権を得たばかりの頃は投票には行くものの【白票】を投じていました。
しかし、小泉政権時の【郵政改革選挙】で特定の政党(自民党)への反対票を投じ、それ以来、なんとなくこの社会が危機的な状況になってきているように感じ、地方選挙でも国政選挙でも【白票】を投じることななくなりました。

白票を投じる可能性がある方についてはこの記事を読んでもらえたらと思います↓
【総選挙2014】「選挙なんか行っても無駄」じゃないいくつかの理由~この一票で変える、のではなく、「この一票で変わる」と思える社会を作り出すために(ポリタス)

さて、かといって僕も日本国民の大多数の方のように「争点が見えない」「選挙自体に意味を感じない」「選挙費用の無駄」と考えています。
が、僕がどうこう考え、言ったところで選挙はあるわけで、「無駄な選挙費用」と批判しつつ、選挙に行かなければそれは本当に「無駄なまま」終わってしまいます。
ということで、僕が今回注目した点(そして、メディアを見ても殆ど触れられていない点)について各政党の公約を見ていこうと思います。

子育て世代のマニュフェスト比較はこちらのサイトがとてもわかりやすくなっています↓
衆院選2014 教育・子育てマニフェスト比較(子育て支援・ワークライフバランス、子どもの人権など) - 信州大学比較教育学研究室
衆院選2014 教育・子育てマニフェスト比較(初等中等教育、震災対応・防災分野) - 信州大学比較教育学研究室
衆院選2014 教育・子育てマニフェスト比較(高等教育、グローバル化) - 信州大学比較教育学研究室

さて、僕が注目した点は、【教育内容】です。
あくまでも【教育内容】についてなので、学級編成などについては触れません。
【教育内容】、つまり【何を教えるのか】についてだけ抜粋していきます

公示前勢力順に各政党がどのように公約として掲げているのかを見ていきたいと思います。
以下のリンクから直接読むことも出来ます↓
自民党(PDF)
民主党(PDF)
維新の党(PDF)
公明党(PDF)
次世代の党(PDF)
共産党(PDF)
(教育についての詳細はこちらのリンク
生活の党(PDF)
社民党

自民党
<教育再生の実行とスポーツの振興を>
学習指導要領の改訂に着手し、小学校英語教育の早期化、高校の日本史必修化、特別の教科「道徳」、新科目「公共」の設置、日本の領土に関する記述を充実させるとともに、新しい教科書検定基準に基づく教科書検定を進めます。
・教育行政の責任体制の明確化等を行い、いじめ問題に的確に対応できる体制を整えるとともに、道徳を「特別の教科」として位置づけ、道徳教育を充実します
・学校においてタブレットPCや電子黒板、無線LAN等のICT環境の整備を進めるとともに、情報モラル教育や離島・過疎地での遠隔教育を推進します。


民主党
●保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画するコミュニティスクール(学校理事会)の導入を促進します。
●ICTの利用を促進し、小・中・特別支援学校へのネットワーク基盤環境整備などに取り組みます。


維新の党
多様性こそ国家の活力緋な人材を育てる教育改革
・公設民営学校の設置等、地方の発意で多様な教育のあり方を可能にする。
・多様な教育提供者の競い合いによる教育の質と学力の向上をめざし、教育パウチャーを支給する。
・教育委員会制度を廃止し、選挙で住民から遺ばれた首長が教育目標を設定する。
・学校での授業と企業でのインターンシップを並行して進め、切れ目なく職業人を育てる「デュアルシステム』によるキャリア教育を推進する。


公明党
安心で質の高い教育へ
①新しい教育の推進
少子化の進展などに対応した新しい教育への転換が必要であるとの視点に立ち、子どもたち一人ひとりの個性や学習状況等に応じた、きめ細やかな教育を推進します。
双方向型・課題解決型授業の導入など、子どもたちの創造性や主体性を伸ばす授業への転換を図るほか、チーム学校やコミュニティ・スクール等の導入を積極的に進めます。


次世代の党
正しい国家観と歴史観を持つ「賢く強い日本人」を育てる教育
①国際的に第一級の知力と科学技術の革新力を持たせるための教育の重視
「独立自尊」の精神を養い、愛国心を育む教育
社会における公正と秩序を維持するための規範・道徳教育

(以下略)

共産党
国定道徳の押しつけでなく、市民道徳の教育を…… 安倍首相は愛国心教育を強調し、「道徳の教科化」をすすめようとしています。しかしそれは、教科書検定などを通じて国に都合のいい愛国心などを押しつけよ うというものです。しかも文科大臣は戦前「お国のために血を流せ」と教えた教育勅語を「しごくまっとう」と礼賛している人物です。私たちはこのような国定 道徳の押しつけに反対し、すべての人に人間の尊厳があるという民主主義を土台にし、子ども自身の選択による価値観形成を大切にする市民道徳の教育を提案し ます。愛国心も戦前の偏狭な愛国心の問題を伝えてこそ、世界の人々と共生できるものとなりえます。憲法や子どもの権利条約などの学習、身の回りの問題をみ んなで解決していくクラス討論や学校行事などの自治活動、すべての授業や生活で子どもが人間として大切にされ体罰などがきびしく批判されること、そうした 教育全体をとおした道徳教育を尊重します。「道徳の時間」はそれらの一つとして位置づけてこそ有効なものになります。

侵略戦争を美化する教育の押しつけを許しません…… 安倍首相は「日本軍慰安婦などなかった」「日本の戦争は自存自衛とアジア解放が目的」などが持論の、国際的には通用しない特異な右翼的立場の政治家です。 閣僚の多くも同様で、ヘイトスピーチの「在特会」と閣僚との親しい関係などの問題もおきました。こうした特異な立場に基づく教科書や教育現場への圧力を許 さず、侵略戦争と植民地支配の歴史的な事実と反省を子どもに伝える教育を大切にします。そうした教育こそ、日本の子どもの人間的な誠実さや真の誇りをはぐ くみ、世界・アジアの人々と肩を並べて生きていく子どもが育ちます。

私学の自主性を守ります…… 「私学の自由」は、国民の教育の自由を保障する上できわめて大切なものです。2007年に自公政権が強行した「教育三法」改悪は、私学にたいする権力統制 に道をひらく危険があります。日本共産党の国会質問にたいして、政府は「私学の建学の精神尊重」を認めるとともに、教員評価・学校評価を私学助成の交付要 件にすることを「考えていない」と答弁しました。こうしたことをふまえ、私学の自主性を守るために全力をあげます。

先生が子どもの声に耳を傾け、保護者ともコミュニケーションをとりながら、創意工夫しながら教育をすすめる――このことは人間的な教育にとって不可欠な条 件です。ところが、長年の自民党型の「教育政策」は、こうした教育の自主性を敵視し、教育を政治の言いなりになるように、上意下達の学校運営を押し付けて きました。しかも東京や大阪では、教育への政治的介入が露骨なかたちですすめられ、「君が代」の口元チェックなど人間性を疑うようなことまでおきていま す。私たちは、こうした教育への統制をやめ、子どもの権利と教育の自由と自主性を大切にします。

子どもをしめつけず人間として大切にする学校を……学校は何よりも子どもたちの成長・発達のためにあるものです。ところが行き過ぎた決まりごとや校則、「許容度ゼロ」の容赦ない生徒管理で、子どもをしめつける学校がひろがっています。そうした傾向を克服し、子どもの権利の保障を学校運営の中心にすえます。

保護者・子ども・教職員の話し合いで運営する「参加と共同の学校」…… 教職員、子ども、保護者らが話し合って教育を創造していく「参加と共同の学校」をめざします。職員会議の形骸化をあらため、教育方針についての合意形成の 場として位置づけます。学校評議員制度や地域運営学校は教員や生徒の参加を保障し、改善します。行政の決めた数値目標に教育を従属させてゆがめる 「PDCAサイクル」などの押しつけに反対します。

学習指導要領の強制性のない「大綱的基準」とします。現在の指導要領は国の強い関与のもとで一部の考えだけでつくられ、過密カリキュラムで「落ちこぼし」 をふやす、内容的にも科学性や系統性に欠けるなど多くの問題をかかえています。にもかかわらず「法的強制力」があるとされ、スピード授業、創造性のない画 一的な授業をしいる原因となっています。学習指導要領の内容を、研究者や教職員、保護者など国民参加で抜本的に見直すとともに、その強制性をあらため、戦 後直後のように「試案」と明示し、子どもの状況や学校・地域の実情に即した教育課程を自主的につくれるようにします。子どもをふるいわけ、人間として傷つ ける危険のつよい習熟度別学習の強制に反対します。

教科書制度を改善します。教科書の検閲的な検定は教科書を魅力のないものにしていま す。しかも安倍政権になってから「社会科教科書は閣議決定の内容を書け」などと教科書を政府言いなりのものにしようとさえしています。こうした動きに歯止 めをかけ、教科書・教育の自主性を守ります。同時に、検定制度そのものをやめ、教科書は、専門家や教員、保護者らからなる第三者機関が検討し、認証するよ うな認証制度とし、開かれた討論を通じて教科書が真理真実に即し、魅力あるものになるようにします。教科書採択は、教育委員会が独断で決めるのでなく、当 該の教員や保護者らの意向を反映して採択が行われるようにします。

性教育への介入に反対します。性教育は、子どもを人間として大切にし ようと、専門家や保護者らの努力ですすめられてきました。ところが、自民党や民主党などの国会・地方議員が、性教育の実践をゆがめて描き、一方的な攻撃を おこない、行政が教材を奪う、不当な処分をするなどの事態がひきおこされました。これらの政治介入は、違法な「教育への不当な支配」だと判決が下りました が、政治勢力による、マスメディアも動員した性教育バッシングを行うなかで、現場の柔軟なとりくみが萎縮させられています。こうした政治的介入をゆるさ ず、子どもたちに科学と人権をベースに、体や心の仕組みや発達、性のちがいや多様性などを伝え、自己肯定感情をはぐくむ、自主的な性教育を尊重します。

原発推進教育を中止し、原発と被曝についての科学的な教育を保障します…… 自公政権は2002年から、原子力発電所立地を目的とするエネルギー特別会計によって偏った原発推進教育をすすめていました。すでに「原発安全神話」が書 かれた副教材「わくわく原子力ランド」等はわが党の追及で「見直し」となりましたが、それにかわって発行された副教材は、原発事故についての反省もなく、 放射能や被曝の過小評価を子どもに与えるような内容となっています。こうした原発推進教育の影響を一掃して、原発や被曝に関する科学的な教育が自主的にとりくめるようにします。

子どもの権利条約を教育に生かします…… 子どもの権利条約は、日本政府も批准しており、その精神と各条項を、政府、自治体ともに遵守することは当然のことです。「意見表明権」「余暇・休息、遊 び、文化の権利」など子どもの権利を学校などあらゆる教育の場で生かし、それに反する制度や法令を見直します。同条約を学校その他の場で子どもに教えると ともに、教職員や行政関係者をはじめとする大人全体に条約の普及をはかります。子どもに関する施策への子どもの意見反映をすすめます。

憲法と子どもの権利条約に基づいて、教育基本法を改めます…… 教育への国家的統制を進める改悪教育基本法(2006年)を、憲法と子どもの権利条約に基づいて再改正するための国民的討論を進める場を設けます。そのなかで、戦前の教育を反省し、教育の目的を「人格の完成」にすえた、戦後初期の教育基本法(1947年)の精神を受け継ぎ、発展させることを重視します。


生活の党
教育内容について記載なし


社民党
教育内容について記載なし



こうして並べてみると、教育内容については、各政党の力の入れ方が歴然です。
共産党は詳しすぎる(長すぎる)ので下線を引きませんでしたが、その他の政党では下線を引いたところが【教育内容】、あるいは【教育内容】に触れるところではないかと思います。

貧困世帯への対策や35人学級の維持、幼児教育の無償化などは【教育内容】ではないので省きましたが、基本的にどの政党も書いてあり、大差ありませんでした。
しかし、上記のように、明確に【道徳】、あるいは、【愛国心】教育を打ち出している政党もあり、これをどう評価するかが問われると思います。

では、僕自身がどのように考えているかというと、【道徳】を【教科】にすることには明確に反対です。
それは、かつての【修身】を想起するというアレルギー的反応でもありますが、一つの価値観を【評価する】ということ自体に、教育に関わっている身として危機感があります。

教育、特に自分自身が何かを教える立場にあると、【自分が正しい】という錯覚を起こしてしまいがちで、常にそれを警戒しつつ生徒に向き合っています。
生徒が正しい時も多く、自分自身が教えられることも多いのです。
しかし、【道徳】という一つの【価値観】を教えるということは、単に知識を問い、それが【正しい】か【間違っている】かを判断するだけでなく、その人が生きる上での考え方を評価することにつながります。
そのことにとてつもない危機感を覚えているのです。

1人の教師に【評価されなかった】ことで、その生徒にとって大切な【価値観】が崩れ、その後の生き方に大きく影響を及ぼしてしまう。
【道徳】という科目でなくても、1人の教師のたった一つの言葉、1回の言動を何年も何十年も影響を及ぼしているのをよく目にします。
それが、【道徳】という【教科】であったら。
【評価される】側の生徒にも深刻な影響を与えますが、この【道徳】という科目に真剣に、そして繊細に向き合う教師であればあるほど、自分が生徒に与える影響の深さによって悩むのではないかと思います。
なので、このことは生徒にどういう教育をするか、というだけでなく、教育する側(教師)に与える影響も計り知れないことから、危機感を覚えてしまいます。

また、もっとシンプルに言えば、【道徳】が【教科】になった場合、「学校ではこういう考えが評価された」ということを子どもたちは言うようになるでしょう。
僕と同じ考え方だったら特に衝突は起きませんが、違った場合、「お父さんの考え方は学校では評価されない」と言って軽んじるようになるでしょう。
別に違う考え方があることは問題ありませんが、そこに【評価されるかされないか】という視点が入ってきたときに、他の意見を軽んじることが出て来てしまうこと(懸念があるということそれ自体でも)が大きな問題があるのではないかと思います。
関連記事
スポンサーサイト
2014.12.13 Sat l 日々雑感 l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。