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先日、Eテレ(NHK)のハートネットで「フェミニズム新時代」というテーマで、女性を中心にアナウンサーを含め7人がVTRを観つつ、座談会のように語りあう形式の番組が2回続けて放送されていました。

フェミニズム新時代 第1回 "フェミ"な女がカッコイイ(2017年5月16日(火曜) 再放送2017年5月23日(火曜))
フェミニズム新時代 第2回 あなたも私もフェミニスト(2017年5月17日(水曜) 再放送2017年5月24日(水曜))

「新時代」と銘打っていることもあって、現在のどのような動きが「フェミニズム」と捉えられているのかということを、特に日本でのフェミニズム運動の流れも踏まえつつ構成されていて、基本的に好印象でした。

しかし、出演者が語り会っている中で気になるやりとりがありました。
そのやりとりを文字起こししてみました。
括弧内は僕による補足です。

やっぱその(自分の)親の影響もあるんでしょうけれど
「まぁ、女として男の人を養うくらいじゃないとね」くらいのことを(自分は)言っちゃったりもするんで
それで新しい女性の生き方みたいなのは、その、(自分が)選択肢にはなれたら良いなと思うんですけど
そんなことばっかりしてたら、いわゆるヒモをどんどん生んでしまうので(周囲の人たちから「あはは」と笑いが聞こえる)
そこは紙一重ですよね(以下略)



先に断っておきたいのは、この発言をした人自体を批判する意図はないことです。

それを踏まえてこの発言と周囲の人たちの反応に何が気になったのか。
それは、

女性が誰かを養えるくらいの経済力を持つ→ヒモが増える

という図式で語ることに何の疑問も語った本人も周囲の人たちも感じていないことです。

僕がこの発言の上に書いた図式で疑問に感じるのは、主にこの2点です。
①(性別関係なく)パートナーの1人が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、他方のパートナーは何もしなくなるの?
②男性が主な稼ぎ手として、女性が家事・育児をしていることはあるのに、男女が逆だと何故男性が家事・育児をしないと考えるのか?

それぞれの疑問点をもう少し丁寧に言葉にしていきます。

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①(性別関係なく)パートナーの1人が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、他方のパートナーは何もしなくなるの?

女性がパートナーを養えるくらいの経済力を持つことが何故「ヒモ」を生んでしまうのでしょうか。
「ヒモ」という偏見まみれの言葉自体にはここではペンディングさせてもらいますが、パートナーが家族を養えるくらいの経済力を持った時、他方のパートナーは何もしなくなるのでしょうか?
それまで仕事をしていればそのまま仕事をし続けるというのが、日本の世帯調査からも多数だと明らかになっています。
つまり、結婚をしても女性は仕事を辞めることは少なくなっているにもかかわらず、男女逆転すると、何故か男は仕事を辞め、さらには家事もしない、という「何もしない人間になる」と決めつけているのです。

仕事を続けている上で、過酷な環境から逃れやすくなるとは思いますが、(パートナーが経済的に自立していれば、自分が過酷な労働環境にも関わらずその仕事を「継続しなければならない」という負担はかなり減ります)、そのことと「ヒモ」というように「何もしない人間になる」というのは全く違うことです。

②男性が主な稼ぎ手として、女性が家事・育児をしていることはあるのに、男女が逆だと何故男性が家事・育児をしないと考えるのか?

誰かを養えるくらいの経済力を持った男性が結婚したとき、女性が家庭のことを分担することになっても、殆どの人は疑問や違和感を感じないようです。
でも、それが女性がパートナーを養えるくらいの経済力があるので、男性が家事・育児を分担することになることには、多くの人は戸惑うようです。
「結婚したから仕事やめたんだ」と女性が言えば、多くの人は疑問や違和感を感じることなく受け入れるけれど、「結婚したから仕事やめたんだ」と男性が言えば、多くの人は疑問や違和感を感じる。
これこそが番組で触れられていた「性的偏見(ジェンダー・バイアス)」なのではないでしょうか?

さらに、この発言でより深刻だと思うのは、女性が誰かを養えるくらいの経済力を持つと、「パートナーの男性が何もしなくなる」(ヒモ)と当然のように考えられていることです。
女性がたとえば結婚し仕事を辞めたら、家事をする(している)ことは当たり前だと捉えられているにもかかわらず、男性が結婚し仕事を辞めたら、家事など全くしない(していない)と当然のように考えられているということです。

そもそも、パートナーに家族を養えるくらいの経済力があろうと、仕事をすぐに辞めると考えていることにも疑問がありますが、パートナーに家族を養えるくらいの経済力があると何故男性は何もしなくなると考え、そして多くの人もそれに何も疑問を思わず受け入れるのか。

番組では、フェミニストとはという話の中で、このように語られていました。

(フェミニストとは)性別・性自認・性的嗜好をもって
人を区別して序列を持ち込んで差別しない人



でも、残念ながら「ヒモをどんどん生んでしまう」という発言、そしてそれに対する周囲の「あはは」という笑いは、性別による序列を持ち込んでいるようにしか見えませんでした。

男性だろうが女性だろうが、パートナーとの関係の上で家庭のことを分担する立場になれば、家事・育児を当然のこととしてやるでしょうし、実際現にやっているのではないでしょうか。
2017.05.22 Mon l 日々雑感 l top
「今更?」と思う方もかなりいるかと思いますが、先日、コストコに行って来ました。

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車を持っていないので、知ってはいても行ったことがなかったのですが、先日実家で車を借りるついでにコストコに行ってきました。
コストコは会員制なので、会員じゃないと買い物が出来ないのですが、これもチラシでゲストとして買い物が出来るというのがついていたので、それを持って行ってきました。

連休中だったので、かなり中は混んでいましたが、買い物中はそこまで人の多さが気になりませんでした。

僕自身は、家計がずっと逼迫した情況であること、そして、多分そんなに良いものは売っていないんじゃないか(安かろう悪かろう)という疑念があってそこまで乗り気ではありませんでした。

でも、行ってみて初めて分かりましたが、結構我が家で使っているものが安く売っていたので、予想以上に買い物をしてしまいました。

僕自身の予想は半分当たっていて、生鮮食品は決して安いとは言えませんでしたし、国産の生鮮食品も少なかったので、生鮮食品はあまり魅力的ではありませんでした。
逆に、生鮮食品以外のものは魅力的なものも多かったです。
例えば、我が家で使っている浄水器のフィルターやクレイジーソルト、お風呂場用の洗剤などは普段買うよりも安く、買いませんでしたが、自分が使っている活動量計もかなり安く売っていました。

じゃあ、4千円以上も払って会員になるかというと、近くにないので良いかな、と思いました。
コストコに売っているものの多くは容量が多いので、車がないと運べず、我が家は車がないので買うことが難しいのです。
さらに、容量の大きいものはそこまで高い頻度で買うわけではないので、一番重要な生鮮食品が安くないとあまり意味がありません。

ということで、会員になることは見送り、買い物を楽しんで帰ってきました。
2017.05.11 Thu l 日々雑感 l top
保育園の送り迎えを主にしているのは僕なのですが、送りの時も迎えの時も保育士さんら保育園の方だけでなく、保護者にも挨拶しています。

送りの時は「おはようございます」、帰りの時は「こんにちは」と。

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朝はどの人も「おはようございます」と返ってきたり、先に先方から言われるのですが、帰りは少し違う挨拶が返ってきたりします。

僕は割とお迎えの時間が早く、保育園では送りは男性は多いものの、お迎え時は大体女性が来ているので、育休や産休の方や早めのお迎えの女性たちに会います。

その時に僕自身は「こんにちは」とか、保育園を出て帰るところだと「さようなら」とか言うのですが、たまに「お疲れ様です」と言われます。

「おつかれさまです」?

批判する気持ちは全く無いのですが、すごく違和感があります。
仕事場で帰り際に職場の人に言うのなら分かるのですが、保育園にお迎えに来て「お疲れ様です」と言われると、なんというかこれからやる家事や育児が急に仕事っぽくなるというか。
まぁ、実際、僕にとっての仕事なのですが、同時に子どもと一緒に過ごす家族との時間でもあるわけで、仕事とはちょっと違うかな、と。

勝手な妄想ですが、保育園で「お疲れ様です」と挨拶される度に、この方はそんなに仕事や家事・育児に疲れているのだろうか、と思ってしまいます。


先日、買い物の帰りに公園の脇を通ったら、そこで公園から切り上げようとしている子連れの女性が、公園に残っている子連れの女性に「お疲れ様です」と言っていました。
子どもを連れて公園に行き、そこでも交わす別れの挨拶が「お疲れ様です」。

家事・育児をしている世の多くの女性たちはそんなに「お疲れ」なのだろうか、とちょっと心配になるのでした。
2017.05.08 Mon l 日々雑感 l top
先日、ちょっとした用事があり、ムスコたちが通う小学校に次男を迎えに行きました。

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ムスコたちが通う小学校の玄関脇には保健室があり、次男のクラスはその時間たまたま校庭での観察学習だったようで、養護の先生も近くに出て来ていました。

次男がクラスに戻り、ランドセルを取りに行っている間、養護の先生と少しお話しました。

その先生は、公立小学校なのですが、この小学校での勤務が10年以上になっていて、昨年度末で定年退職だったのですが、今年度も再任用ということで勤務されている方です。

継続して勤務しているということで、長男は5年目、次男は3年目にはなるものの、話していると本当によく観て下さっているな、と話の端々に感じられました。

僕自身のちょっと長かった学生生活などの経験から、こういう、直接関わる機会はそこまで多くないけれどちゃんと観てくれている人、というのは、学校生活を送る上でとても重要だと感じています。

今年度から再任用ですし、来年度もいらっしゃるかどうかは分かりませんが、とりあえず今年はこの養護の先生もいらっしゃることだし、ムスコたちの小学校生活も安心できそうだな、と感じました。
2017.04.23 Sun l 日々雑感 l top
大分前の話になりますが、掃除機を買い換えました。

結婚し、ツレと2人で暮らしはじめる時にダイソンの掃除機を買い、それを10年来使っていました。
色は違いますが、使っていたのはこれです↓

DC12.jpg
DC12 - Dyson | ダイソン


音は結構うるさかったものの、不満があるとしたらそのくらいで、他には何にも不満なく使っていました。
じゃあ、何故買い換えることになったのかというと、ある日突然電源が入らなくなってしまったからです。
修理して使い続けようと思ったものの、10年以上経っているということで、修理代だけで3万円くらいかかると言われてしまい、やむなく買い換えることにしました。

ダイソンの掃除機が気に入っていたので、またダイソンで買い換えることも考えたのですが、結果的には、ダイソンの掃除機の修理代と言われた金額よりもかなり安く、レビューの評価がすごく良かったこれにしました↓


シャープ 掃除機 サイクロン ベージュ EC-CT12-C


今まで使っていたダイソンの掃除機のように10年使えるか分かりませんが、ダイソンの掃除機のように「何の前触れもなく突然電源が入らなくなる」ということが起きてもこの金額ならまぁ諦められるかな、と思ったのもこの掃除機にした理由です。

使用感ですが、これもレビューに書いてあった通りなのですが、ヘッドの小回りがあまり効かないという点がありますが、それが気になったのも最初だけで、使い続けていたら気にならなくなりました。

あとは、我が家は掃除機をクローゼットにしまっているのですが、その際、ホースの長くて固い部分がちょっと邪魔になります。
立てかけて収納できるスペースが出来れば関係がないのですけれども。

とりあえず、掃除機を買い換えるかかなり悩み、最終的に買うことに決めた掃除機がダイソンに遜色なく使えているので、本当に嬉しいです。
2017.04.18 Tue l 日々雑感 l top
最近、コミュニケーション不全でストレスを抱えるようになりました。

「言った」「言われてない」ということも大きな問題ですが、それは紙に残したり、メールやLINEにして「残す」ことで「言った」「言われていない」という記憶違いは防ぐことが出来ます。
そのような「残す」こともしないで「言った」と主張する人がいること自体も大きなストレスなのですが、より深刻だなと僕が感じていることが、言ったかどうか、よりも「相談したか」ということです。


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日々生活していると何かを「決定」していかなければなりません。
食事のメニューや買い物をどこでするのか、という家事に関すること、仕事などで外出する際には、どのような経路で行くのかということも決定していっています。

何故、食事のメニューを決定するのかといえば、食事を用意するのが【自分】であり、買い物をどこでするのかを決定するのは、買い物をするのが【自分】だからです。
自分自身のこと、つまり当事者であるから、決定するのです。
逆に言えば、その「決定」にかかわっていなければ、当事者ではない、ということになります。

食事のメニューの決定にかかわっていないということは、その食事を作ったり食べたりするのは自分ではなく、買い物をどこでするのか決定しないということは、自分で買い物に行かないからです。
買い物に「付いていく」ことはあるかもしれませんが、それは「付いていく」というだけで、主体性はなく当事者ではありません。


この何かを「決定」する際に、その「決定」にかかわったかどうかが、その人が「当事者」かどうか、「当事者性」を持つことが出来るかどうかに大きくかかわってきます。
他人が決定したものを知っただけでは、とても当事者であると認識したり、当事者性を持つことは出来ません。

じゃあ、誰かにも当事者であると認識してもらいたい、当事者性を持ってもらいたい、と思ったらどうすればいいのか。
それは、決定を下す際に、かかわってもらうことです。

決定を下す前に「相談」し、意見を聞く。
そうすればその意見を聞かれた人は自分の意見が反映された結果での「決定」に当事者として認識することが出来るでしょう。

逆に、既に何かしらの決定をしたものを、報告しただけでは、その話を聞いた人は意見を言う場もなく、意見を求められてもいないので、その「決定」に当事者としての認識を持つことは出来ないでしょう。

一応広辞苑で調べてみると以下のように書いてありました。

【相談】
互いに意見を出して話しあうこと。談合。また、他人に意見を求めること。

【報告】
しらせつげること。報知。
②ある任務を与えられたものが、その遂行の情況・結果について述べること。また、その内容。


何かを「決定」する際に、僕は常々「相談されていないことにはかかわることは出来ない(かかわりたくない)」と思っていて、それを伝えるようにしています。
それは、何故かと言えば、当事者としての意識を持つことが出来ないからです。

でも、相手は「相談した」と言ってくることがあるのですが、それは【相談】と【報告】ということの違いをその人が分かっていないということがようやく僕も気づいてきました。
僕に「意見を求め」ていないにもかかわらず、それを【相談】と相手は認識し、「意見を求め」られていないので、僕はそれを【報告】と認識する。

【報告】された僕としては、その決定にかかわっていると認識することは出来ず、当事者として認識することは出来ません。
でも、相手は【相談】したと思っているから、僕に当事者としての行動を求めてくる。
このズレに僕としては大きなストレスを感じることになります。


殆どの人にとって【相談】と【報告】が全く違うことだということは当然のことかもしれませんが(そうであって欲しい)、この【相談】と【報告】の違いが分かっていない人によって最近ストレスを感じることが多々あったので、改めて書いてみました。
2017.04.15 Sat l 日々雑感 l top
先日、ブロガーのイケダハヤトさんがこんな記事を投稿していました。

「整理整頓が苦手だから、部屋が汚い」という勘違い。片付けられない人の特徴と改善策。(まだ東京で消耗してるの?)

イケダさんはイケダさんの「妻の顔を想像しながら」書いたとのことですが、ここに書いてあるのはまさに我が家のツレのことだと感じました。

イケダさんは片付けられない人の特徴として以下の点を挙げています。
1. 「整理」しようとしている。
2. 捨てられない。
3. アンタッチャブルゾーンが生まれていく。
4. 同じ用途のものが部屋中に散らばっている。
5. 「無料でもらったもの」を後生大事にしすぎ。
6. 「スペースを生み出す」発想がない。
7. 「モノが減れば、迷う機会が減るのでラクになる」という発想がない。

太字にしたところは、うちのツレにぴったりはまる特徴だな、と思ったところなのですが、殆どイケダさんの挙げている「片付けられない人の特徴」と一致していました。


以前、自分の強みを明らかにしてくれる「ストレングスファインダー」をやってみたところ、僕自身の5つの強みの1つが「収集性」でした。
振り返ってみても、本や漫画というモノだけでなく、情報や知識なども「収集」する癖があり、ストレングスファインダーをやったあとに、「他の人は僕の様には収集しないのか」、と初めて気づきました。
その時、ツレもこのストレングスファインダーをやっていたのですが、ツレの5つの強みには「収集性」はありませんでした。

でも、我が家にあるモノの量は明らかにツレが多くなっています。
僕は本や漫画というモノが大量にあったので、それらは自炊することで、モノとしての本は7~8割くらい捨てましたし、最近はこんなに服があっても着る機会もないし、1年間着なかったものは今後も着ないだろうということで捨てていき、大分減りました。
自分の持っているモノで一番多いのが書籍類で、次が洋服だったので、この2つを減らしたことで僕自身の荷物は大分減りました。


が、ツレの荷物は相変わらず多いまま。
ツレがあまり家にいない生活をしているということも大きいとは思うのですが、ツレの荷物は増えることはあっても減ることはありません。
イケダさんも指摘しているように、僕たちは「生きているだけでモノが増えていく」生活をしています。
なので、捨てなければ一方的に増えていってしまうのですが、ツレは捨てる、ということを殆どしません。
これもイケダさんが指摘しているように、「無料でもらったものも大事にする」ので、普段家事のほぼ全てを担っている僕が絶対に使わないスポンジだとか、洗剤だとか、あるいはビニール袋や紙袋を、色んなところに置いていて、それを見つけていらないと思ったものを僕が捨てると、わざわざそれをゴミ袋から拾って違う場所に移したりするのです。

無料で配布されるようなモノ自体、僕はあまりもらわないようにしているのですが(今までの経験でポケットティッシュとビニール袋以外で便利あるいは日常的に使用するものはない)、何故か大事にし、その結果どんどんどんどん家にモノが増えていくのです。

子どもたちが成長した際に1人で東京を離れて生活したい、という希望は、他人と共同生活を送っているということにあまりにも無自覚な人と生活を共にすることが困難だと感じていることも大きな理由だったのですが、この「片付けられない」=捨てられないということでモノがどんどん増えていく、という事態が深刻なことも大きな理由になっています。
2017.04.14 Fri l 日々雑感 l top
今まで全く分かっていなかったのですが、去年から山登りを始めて気づいたのがJRの乗車賃の高さです。

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実家は私鉄沿線で、電車通学をした高校、大学(大学院)と全てその私鉄のみでの移動だったため、JRと比べる機会はありませんでした。
その後も、頻繁に移動することもない、というかJRと私鉄のルートを比べる機会自体が特に無かったのですが、山を登りに行く前に計画を立てるときに電車ルートを検索して初めてJRの乗車賃の高さに気づきました。

例えば先日書いた高水三山の登山口に近い軍畑駅に新宿駅から行こうとするとこんな感じです↓

スクリーンショット (18)


検索に使ったのはこのサイト↓
乗換案内|ジョルダン

安い順番に並べましたが、一番高いのがJRのみの場合になっています。
軍畑駅も新宿駅もJRなので、乗り換え回数も所要時間もJRだけを使って行くルートが回数も時間も一番少ないにもかかわらず、乗車賃が高いのです。

軍畑駅くらいならばまぁ、私鉄を使ってもそこまで大きな乗車賃の差にはなりませんが、移動の距離が伸びれば伸びるほど乗車賃の差が出て来ます。

僕は山登りにふんだんに資金を投入できるわけでもないので、例え少し移動時間が増えても乗り換え回数が増えてもなるべく安く済むルートを選んでいるので、もう少しJRの乗車賃が下がらないかなぁ、と思ったりします。
まぁ、国鉄ではないので安くしてほしい、ということを要求することは無茶なことなのかもしれませんが、他の私鉄と比べてしまうとどうしてもその高さに目がいってしまいます。
2017.03.26 Sun l 日々雑感 l top
毎日食事を作っていると、悩ましいのが何を作るか、ということ。
「今日はこれ作ろう!」と考えて買い物をすることは殆どなく、とりあえず安くなっている食材を買ってから、ネットで検索するということがほぼ毎日のルーティンになっています。

その時に大体調べるのは、Googleで、Googleで食材を入力して検索すると、大体NAVERまとめか、クックパッドのレシピが出て来ます。
NAVERも大体そこに載っているのはクックパッドのレシピなので、何回か検索すると、結局ほぼ同じレシピが表示されます。

定番料理なら検索するまでもないし、と最近、Googleで検索するのも億劫になってきていたのですが、Facebookを使って料理を作るようになりました。

Facebookも最近はなんだか面倒というか、自分のことを投稿する頻度もかなり減っているのですが、Twitterよりもレシピ検索には適しているようで、流れてきたレシピで良さそうなものがあったら保存し、それを思い出して作る、ということを最近はしています。


IMG_0652.jpg


Facebookだとレシピを文章だけでなく、動画でも流してくれるので、「美味しそうだな」と思ったらその動画を【保存】し、買い物をする時や、実際に料理をするときにその保存しておいた動画を観ながら作る事が出来るので便利です。

半年くらい前、僕がいつも聞いているポッドキャストでFacebookなどで今後こういうのが流行るということを言っていたのですが、僕自身も実際にFacebookの使い方がすっかり、友人の近況を知る、ということからレシピを知る、ということに一番重心が移ってきたようです。
2017.03.20 Mon l 日々雑感 l top
先日、ツレからブログに書いた内容について文句を言われました。
最初、何を言っているのか全く分からなかったのですが、この投稿についてでした↓

「口を出す前に、体を動かせ」(2017年2月22日)

読んでもらえれば良いのですが、僕が書いたのは、

ある仕事をしている人に、その仕事をしていない人が口を出すのはやめろ。もし、口を出したいのなら、まずはその仕事を自分でやってみてからにしろ。

という内容を書きました。
「口を出す」というのは、アドバイスでも批判でも関係ありません。
本人はアドバイスだと思って伝えたことが、相手には批判だと受け取られることもあるので、そもそも何もしていない人は求められていないのに口を出すのはやめ、まずはその仕事を実際にすることから始めましょう、ということです。

20170316.jpg



で、この投稿について、先日ツレから文句を言われたわけですが、上に書いた内容は全く無視し、自分が批判されていることについて「そんなことを書くな」「(ツレにとって)肝心なことが書かれていない」と言ってきました。
(ツレが書かれていないといった内容は、最終的にツレがムスメの習いごとに付き添って行ったこと)

ある仕事をしている人に、その仕事をしていない人が口を出すのはやめろ。もし、口を出したいのなら、まずはその仕事をしてからにしろ。」という内容を伝える上で関係がないことについて、文句を言われたので、元記事を訂正するつもりはないのですが、この出来事で、言葉の伝わらなさを再度痛感しました。

昨日、「ラ・ラ・ランド」で「言葉にして伝えることって大切だと思う」というようなことを書きましたが、言葉にしても伝わらないんだな、と。
実際、上のブログ記事を書いて1ヶ月弱経とうとしていますが、現にツレは(僕が強制的にやるようにさせている)夕食の片付け以外全くやりませんし、むなしさばかりが募ります。
自分が批判されて怒るなら、批判されている内容について検討することが必要だと思うのですが、そういうことは一切考えないようです。

(具体的には、「家事をほぼ全て担っている僕に家事のやり方について口出しする前に、少しは自分も家事をしろ」という批判について。
まぁ、実際にこれだけ言っても家事を全くやろうとしないので、もはや自分は家事などしなくて良い存在だと全肯定しているのかも知れませんが。
というか、一緒に暮らすようになって11年経つので、もはや家事など自分のやることではない、ということなのでしょうし、そういう意味でも僕がこのブログで「ツレが家事を全くしない問題」について言葉にしても無意味だということになります。
そういう意味でも言葉が通じないことを痛感し、絶望的な気持ちになっています。)

ちなみに、この記事についてもう一つ言われたのが、最後に書いた「子どもたちが大きくなった時にはツレとは別に生きていこうという決意が強固になりました。」という文章についてです。
「こういうことを書くな」、と。
「家事を殆ど何もしないのに口を出してきて、もはや一緒に生活することに嫌気がさしている」ということなのですが、それも伝わらなかったようです。
結婚してからのこの11年、ずっと言い続けている「自分のことなのだからもっと家事をしろ」ということを無視し続けるだけでなく、結婚当初の家事分担の約束を反故にしているにも関わらず、その自分の行動は一切顧みることなく、僕に文句を言ってくる。
やはり、言葉にしても伝わらないんだな、と。

言葉にしても伝わらないので、このブログを続けるかどうか、また悩み始めました。
でも、この場で言葉にしないと、普段の生活でも殆ど喋ることもなく、言語化することがなくなってしまうので、言語化するという時にどういう方法が良いのか、しばし模索してみたいと思います。
2017.03.18 Sat l 日々雑感 l top
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